「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第二(淨罪詩篇)」 (無題)(犯せるつみの哀しさよ) / [やぶちゃんの呟き:原稿は、これ、不思議なパズルのようである。]
「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第二(淨罪詩篇)」 (無題)(犯せるつみの哀しさよ) / [やぶちゃんの呟き:原稿は、これ、不思議なパズルのようである。]
○
犯せるつみの哀しさよ
うすぎの窓にたれこめて
日もはやたそがれにちかづけば
いえすの素足やはらかに
ふりつむ雪のうへをふみゆけり。
[やぶちゃん注:底本では『遺稿』とし、推定で大正四(一九一五)年とする。筑摩版全集には「窓」というちゃんと題名を持った酷似するもの(整序すると順序が異なるが、各詩句は相同)が載るが、原稿は複雑を極める。以下に示す。誤字・歴史的仮名遣の誤りはママ。
たそがれ
窓
犯せるつみのかさしさよ
日もはやたそがれとき
3いえすの素足やわらかに
4ふりつむ雪のうへをふみゆけり
2うすぎの窓にたれこめて
1犯せるつみのかさしさよ
ざんげの淚せきあへず
1 2日もはやたそがれにちかけれづけば
行頭の数字は朔太郎自身が附したもの、という注がある。しかし、この最後の詩句は朔太郎が一行目或いは二行目に配するか、並置した記号と読める。筑摩版の校訂本文では、それについて何も言わず、以下のように消毒・整序してしまっている。
窓
犯せるつみの哀しさよ
日もはやたそがれにちかづけば
うすぎの窓にたれこめて
いえすの素足やはらかに
ふりつむ雪のうへをふみゆけり
編者は「1 2」を――「1」と「2」間に入れる――と解釈したとしか思われないのだが、果してこれでいいのだろうか? だったら、前の数字を削除して書き換えるであろう。先の私の推理によるなら、
*
窓
日もはやたそがれにちかづけば
犯せるつみの哀しさよ
うすぎの窓にたれこめて
いえすの素足やわらかに
ふりつむ雪のうへをふみゆけり
*
か、或いは、
*
窓
犯せるつみの哀しさよ
日もはやたそがれにちかづけば
うすぎの窓にたれこめて
いえすの素足やわらかに
ふりつむ雪のうへをふみゆけり
の孰れかに迷ったものと考えられる。小学館版の編者は、同じ詩稿を見て、「1 2」を――「1」と「2」後に入れる――と解釈したのであろう。最早、朔太郎に聴くわけにはゆかぬが、個人的には「うすぎ」(「薄黃」或いは「薄絹」の略か)「の窓にたれこめ」るものは「たそがれにちかづ」いた「日」の残光なのではなく、「犯せるつみの哀しさ」なのだと思う。さすれば、小学館版が私にはしっくりくる。とんだパズルだが、それぞれの読者にお任せしよう。にしても、「窓」という題名を記さない本篇は、或いは、最早、失われた推敲原稿なのかも知れない。]
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