「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第一(「愛憐詩篇」時代)」 秋日行語
秋 日 行 語
菊もうららに咲きいでたれど
砂丘に宿りて悲しめり
さびしや海邊のおくつきに
路傍の草を手向くること
このわびしきたはむれに
ひとり樹木にすがりつき
たましひも消えよとむせびなく。
ああふるさとの永日に
少女子どものなつかしさ
たとしへもなきなつかしさ
やさしく指を眼にあてて
ももいろの秋の夕日をすかし見る
わが身の春は土にうもれて
空しく草木の根をひたせる涙。
ああかくてもこの故鄕に育ちて
父母のめぐみ戀しやと歌ふなり。
[やぶちゃん注:初出は大正二(一九一三)年十一月号『創作』。
「少女子」「をとめご」と訓じておく。
まず、初出形を示す。
秋日行語
今日にて三日
菊もうらゝに咲きいでたれど
我身は巡禮の群よりのがれ
砂丘に寄りて悲しめり
さびしや海邊のおくつきに
路傍の草を手向くること
このわびしきたはむれに
ひとり樹木にすがりつき
たましひも消えよとむせびなく。
あゝふるさとの永日に
少女子とものなつかしさ
たとしへもなきなつかしさ
やさしく指を眼にあてゝ
もゝいろの秋の夕日をすかしみる
わが身の春は土にうもれて
空しく草木の根をひたせる淚。
あゝかくてもこの故鄕に育ちて
「子とも」はママ。しかし、全体にいかにも不審な印象が残るのだが、この詩篇と次に掲げる「歡魚夜曲」は、実は初出雑誌の校正・編集に於いて、致命的な誤りが生じていることが、筑摩版全集の注記で判明する。「歡魚夜曲」の注に、『雜誌發表の際の』、「歡魚夜曲」の方の『最終行「父母の慈愛戀しやと歌ふなり。」は同』雑誌に一緒に発表された本『「秋日行語」の最終行を誤って印刷したものと推定される。作者加筆の雑誌が殘されている』とあって、それによって、本詩篇と「歡魚夜曲」の正しい決定稿が校訂本文で復元されてある。以下にその校訂本文を示す。
秋 日 行 語
菊もうららに咲きいでたれど
砂丘に寄りて悲しめり
さびしや海邊のおくつきに
路傍の草を手向くること
このわびしきたはむれに
ひとり樹木にすがりつき
たましひも消えよとむせびなく。
ああふるさとの永日に
少女子どものなつかしさ
たとしへもなきなつかしさ
やさしく指を眼にあてて
ももいろの秋の夕日をすかしみる
わが身の春は土にうもれて
空しく草木の根をひたせる淚。
ああかくてもこの故鄕に育ちて
父母のめぐみ戀しやと歌ふなり。
但し、私は本当にこれが萩原朔太郎の手入れの雑誌に忠実になされたものであるかどうかについては、その手入れ本を実見していないので、無批判にそれが萩原朔太郎の本詩篇の真の決定稿であるとするには躊躇を感ずる部分がある(特に頭の「今日にて三日」の削除に対してである。後述する。また、筑摩版は次の「歡魚夜曲」でも、おかしな校訂を行っているのである)。次に初期形である「習作集第九巻」のものを以下に示す。
秋日行語
今日にて三日
菊もうらゝに咲きいでたれど
砂丘によりて悲しめり
さびしや海邊のおくつきに
路傍の草を手向くること
この佗しきたはむれに
ひとり樹木にすがりつき
たましひも消えよと咽ふび泣く
あゝ故鄕の永日に
少女子どものなつかしさ
たとしへもなきなつかしさ
やさしく指を眼にあてゝ
もゝいろの秋の夕日を透かし見る
わが身の春は土(つち)に埋れて
空しく草木の根をひたせる淚
かくてもこの故鄕に育ちて
ちゝはゝの慈愛(めぐみ)戀しやと歌ふなり。
この始まりの「今日にて三日/菊もうらゝに咲きいでたれど/砂丘によりて悲しめり」であるが、まず、底本の「砂丘に宿りて悲しめり」の「宿」は「寄」の字の原稿の判読の誤りと考えてよい。しかし、先に私が言った疑義は、二行目の末の逆接表現は、前に「今日にて三日」という表現があってこそ生きるものだからである。
なお、「砂丘によりて悲しめり」以下の哀傷部から、この一篇は、明らかに、萩原朔太郎の永遠の恋人「エレナ」、朔太郎の妹ワカの友人で馬場ナカ(仲子とも。明治二三(一八九〇)年生まれで大正六(一九一七)年五月五日に没した。朔太郎より四つ年下。「エレナ」は彼女の後の洗礼名(受洗は大正三(一九一四)年五月十七日)で、朔太郎が十六歳の頃に出逢い、十九で恋に落ちた。後、ナカは明治四二(一九〇九)年に高崎市の医師と結婚して二人の子も儲けたが、結核に罹患、湘南地方に療養し、最後は鎌倉の七里ヶ浜附近の療養所で享年二十八で亡くなった)をこの大正二年二月に平塚の病院に見舞いに訪ねたものの、逢えなかった(既にそこに居なかったか、居ても逢えなかったか、拒絶されたか、それは一切不明である)という経験に基づくものである。私の「ソライロノハナ 附やぶちゃん注」(PDF縦書版)を参照されたい。但し、そこでは、『あはれの人妻は一と月ほどまへ影のやうに此の世から消えてしまつたのである』と朔太郎は記している。しかし、現在、これは、萩原朔太郎による創作的歌物語であり、この謎の無名の女性が「エレナ」であることは、最早、間違いないとされているのである。]
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