曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 奇夢
○奇 夢
いぬる八月廿五日[やぶちゃん注:本「兎園会」は文政八(一八二五)年九月一日の発会。]の夜半に、日向、稱名寺【淨土眞宗にて、廣國山と號す。余が菩提寺なり。】といへるに、盜賊入りたり。このごろは、その邊、處々に、賊の入るよし、人々、心を付くる折なりしに、其夜、納所の僧義山といふもの、いかゞしけん、子の刻過ぐるまで、いねられずありしに、丑の時ばかりに、ぬるともしらず、まどろみし夢に、賊四人、おし入り、各、手に白刄を提げて、義山をおし伏せ、刄をつきつけ、「住持の居間に案内せよ。」と責めらるゝ、と、見て、おどろき、さめぬ。總身に流せし汗をぬぐひても、轟くむねは、なほ、おちつかず、「かゝる時には、用心に、しくこと、なし。」とて、火そくして、あなたかなたを搜索のいとまなさに、此事を記して、けふの「兎園」に充つるになん。
乙酉九月朔 海 棠 庵 誌
[やぶちゃん注:う~ん、本物の賊と鉢合わせしたところが描かれていないのは、ちょっとどころか、大いに食い足りぬ。まあ、義山は怪我なしではあったのであろうけれども。
「日向、稱名寺」文京区小日向にある浄土真宗本願寺派廣國山一心院称名寺(グーグル・マップ・データ)。]