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2021/10/11

「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第一(「愛憐詩篇」時代)」 もみぢ

 

  も み ぢ

 

しもつききたり

木ぬれをそむるとおもひしものを

庭にあづまやの遠見をそめ

うすべにさせる魚をそめ

わかるるきみのくちをそめ

あはれもみぢば

さびしきわれのいのちをそめ。

 

[やぶちゃん注:底本の「詩作品年譜」では、『遺稿』とし、推定として制作年を大正三(一九一四)年にクレジットする。以下で示す通り、これは「習作集第九巻(愛憐詩篇ノート)」のそれを整序したものである。但し、この詩は推敲されて大きくカットして書き直したものが、同題で、大正四年九月号『沙羅樹』に以下の形で初出している。まず、その初出形を示す。

 

  もみじ

 

霜つききたり

木ぬれをそむると

おもひしものを

庭にあづまやの

遠見をそめ

うすべにさせる

魚をそめ

わかるるきみの

くちをそめ

 

次に「習作集第九巻」の初期形を示す。

 

  もみぢ

 

しもつききたり

木ぬれをそむるとおもひしものを

庭にあづまやの遠見をそめ

うすべにさせる魚をそめ

わかるゝきみのくちをそめ

あはれもみぢば

さびしきわれのいのちをそめ、

 

私は思うのだが、萩原朔太郎の連用中止法は彼独自の余韻を示す常套手段であり、それは本底本や筑摩版がほぼ一律に行っている詩篇末の句点校訂は正しくないと考えている。朔太郎にとっては、断言して終了し、二度と振り返ることのない感懐はそれほど多くないと感じている。さればこそ、私は、彼の草稿や一部の決定稿でも盛んに用いられる読点は、通常の詩篇や文章では句点とすべきところであっても、それを安易に句点に変えてよいものではない、と考える人種であることをここに表明しておく。]

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