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2021/10/04

曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 奇遇

 

[やぶちゃん注:これは滝沢興継の発表であるが、国立国会図書館デジタルコレクションの「馬琴雑記」の「巻第一下」のこちらに所収しているので、それを底本とする(「兎園小説」版とは表記その他に多くの異同がある)。長いので段落を成形した。読みの一部は送りがなとして出した。一部の句点(読点はない)には従わず、読点にも代えた。なお、表記は底本を忠実に再現してある。例えば鄕右衛門主人公の表記は「山本鄕右衞門」ではなく、「山本鄕右衛門」である。 個人的に、妙に惹かれる話である。但し、明らかに親馬鹿の父馬琴の手になるものであることは、最早、見え見えである。]

 

   ○奇遇        琴嶺舍興繼稿

予が年來(としごろ)恩顧を蒙る松前候[やぶちゃん注:「兎園小説」では「某侯」で伏せてあるが、興継が松前藩の医員であることは知られており、伏せるのは、最後のシークエンスを憚ってのことであろう。]の國足輕に、山本郷右衛門といふもの【この藩中には、内足輕・外足輕とて、内外の足輕あり。此山本郷右衛門は、外足輕の上席なり。[やぶちゃん注:「外足輕」というのは屋敷内には住まない通いの者か。]】、寬政四年壬子[やぶちゃん注:一七九二年。]の夏四月、飛脚をうけたまはりて江戶へ來つ。

 又、陸奥(みちのく)へ還るをり、奧州街道鍋掛[やぶちゃん注:栃木県那須塩原市鍋掛にあった鍋掛宿(グーグル・マップ・データ)。]の驛はづれなる坂中に、回國のもの、親子ふたり、居たり。

 その父、ちかごろ、此わたりにていたく病み煩ひつゝ、命も危かりければ、驛のものども、憐(あはれ)みて、渠等(かれら)が爲に、坂中に、いとあやしげなる小屋を造りて、しばらく、そこに置きたるなり。

 かくて、その病者の小娘、往還に立ち、旅人につきて、袖乞ひをしたりける。

 郷右衛門、これを見て、特に不便に思ひしかば、懷をかゝぐりて、一片の南鐐(なんれう)に、持ちあはしたる藥を添へ、此の二種(ふたくさ)を楊枝挿(やうじさし)の囊に入れてぞ、とらせける。

[やぶちゃん注:「南鐐」江戸時代に良質に銀で製して発行された南鐐二朱銀の異称。 長方形の銀貨幣で、一枚で一両の八分の一の値であった。]

 その後(のち)、五箇年ばかりを經て【寬政八年。】、郷右衛門は、又、飛脚をうけたまはりて、奧より江戶の邸(やしき)にまゐりたる。

 逗留の程、朋輩(ほうばい)に誘(いざな)はれて、新吉原江戶町なる「丸海老屋(まるみほや)」とか呼ばれたる靑樓に登りしに、夜は、はや、更(かう)の闌(たけ)しころ、この樓の若者(わかいもの)【むかしはこれを「妓有」[やぶちゃん注:「ぎゆう(ぎゅう)」。遊里で客を引いたり、遣手婆について、二階の駆引きや客の応待などもした。「牛」「牛太郎」と呼んだ。】、高坏に菓子を積みて、郷右衛門がほとりに、もて來つ。

「こは清花(きよはな)さまより、まゐらせたまふなり。」

といふ。郷右衛門は、意(こゝろ)を得ず、

「われは、さる覺へ[やぶちゃん注:ママ。]なし。人たがへならん。」

といふを、わかいもの、推し返して、

「いな。人たがへには候はず。口上もこそ候へ。御目(おんめ)にかゝりたく願ひ侍り。こなたへこそ。」

と、いはれし、といふ。とざま、かうざま、おもへども、いと不審(いぶか)しき事なれば、菓子は、そがまゝにして、引かれて、その部屋にゆきて見るに、素(もと)より見識(みし)れる遊女(あそび)にあらず。又、清花は、郷右衛門をうち見つるより、俯し沈みて、しのび音(ね)に泣くばかりなり。暫くして、頭(かうべ)を擡(もた)げ、

「絕えて久しくなりにたる。君にはいよいよ恙(つつが)もあらで、御目(おんめ)にかゝる、うれしさよ。」

といふ。

 郷右衛門は、猶ほ、意(こゝろ)を得ず、

「抑(そもそも)、おん身は何人(なにびと)のむすめにて有りけるやらん、見わすれたる歟、しらず。」

と答ふ。

 その時、「きよ花」は、楊枝挿の囊をとり出でて、

「わらはを見わすれ給ふとも、是をば、おぼえ給はずや。」

と問はれても、まだ、こゝろもつかず、

「これも、知らず。」

と答へけり。

 そのとき、清花、聲をひそめて、

「いぬるとし、鍋掛にて御合力(おんがふりよく)に預りし。そのをりに、賜はりし楊枝挿にて侍る。」

よし、その折からは、

「箇樣(かやう)箇樣、如此如此(しかじか)。」

と說き示すを、郷右衛門は、聞きも訖(おは)らず、

「さては。」

とばかり、はじめて曉(さと)りて、うち驚くこと、大かたならず。

 流れの里に沈みたる、はじめ・をはりをたづぬるに、清花は、又、うち泣きて、

「君には、つゝむべうもあらず。わが故郷(ふるさと)は越後なる高田にて侍るなる。故郷にありしとき、母は長き病着(いたつき)にて、世になき人となりし頃、旱損(かんそん)・水損、何くれとなく、わろき祥(さが)のみ打ちつゞきたる。世を味氣(あぢき)なく思ひぬる父は、歎きに堪へずや、ありけん。遂にわらはを携へて、なき人の菩提の爲、回國にとて出でしより、行方(ゆくへ)定めぬ草枕、旅寐はかなし鍋掛の、鍋ひとつだになき宿に、病み臥したりしわが親を、憐れまれたる、おん身の賜(たまもの)、『しかじかなり』とて、見せしかば、父は驚き、且つ、感じて、『かくまで慈悲ある人は稀れなり。おん顏ばせを見覺えて、めぐり逢ふ日のありもせば、此よろこびを申せよ。』と、かへすがへすも、いはれたり。その日よりし賜はりし藥を用ひたりけれ共、定業(ぢやうがふ)、のがれがたくやありけん、幾日(いくひ)もあらで、親は身まかり、わらはは、しらぬあちこちの人手にわたり渡されて、里の遊女(あそび)になりにたり。はじめ彼(か)の鍋掛にて、おん身に逢ひしは、十四のときにて、本(もと)の名を「そよ」と、いへり。味氣なき世にながらへて、はや、十八になり侍り。今宵は父の命日なれば、「身あがり」といふことをして、客をむかへず、籠居(こもりゐ)の、心ばかりの供物(そなへもの)、回向(ゑかう)をしいる折りもをり、思ひがけなく、恩ある君に、めぐり逢ひしは、亡(な)き親の、こゝろざしにて侍るめり。」

と、いひつゝ、

「よゝ」

と泣きにけり。

 郷右衛門は聞く每(ごと)に、感歎せずといふことなく、我うへさへに、名のりしらしつ。そがまゝに立ちわかれしとぞ。

 かくて、件(くだん)の郷右衛門は、文化の初めより、定府(ぢやうふ)になりて、江戶の邸中(ていちう)に居り。同じき三年丙寅の大火[やぶちゃん注:文化三年三月四日(一八〇六年四月二十二日)の江戸三大大火の一つ「文化の大火」。死者は千二百人以上に上った。]のころ、清花は、年季、闋(は)てて、そが親品(おやぼん)なる河崎屋平八といふものゝ宿所にゐたり。かの平八は、乳母奉公の口入(くちいれ)とかいふことを世渡りにすなるものにて、郷右衛門が仕へまつる邸中にも、已前より、出入(でい)りをするよしあれば、この手より、清花が消息を屆け來て、「年季の闋てたるよし」を告げられ

――「流れの里」を出でしかど 猶ほ「浮き草」の根を絕えて 「よるべの岸」も侍らず――

なんど、いとゞあはれに聞えしかば、うちも措(を)かれず、訊(と)ひ慰めしは、只、一たびの事にして、其のゝちは、いかになりけん。よくも知らず、と聞えたり。

 そが、相方(あひかた)の遊女(あそび)ならねば、「疑はれじ」との用心なるべし。

 抑(そもそも)この一條は、文化十三年丙子[やぶちゃん注:一八一六年。]の秋、閏八月廿五日、彼(か)の藩の醫師櫻井立安(りふあん)といひしもの、老侯の夜話(やは)に侍りて、

「しかじか。」

と申せしに、さるすぢをも捨てたまはねば、その孝信を感嘆のあまり、近習(きんじゆ)の人々に、心得させて、次の日、山本郷右衛門を遠侍(とほざむらひ)まで召し上(のぼ)して、透見(すきみ)をしつゝ、そのよしを問ひたゞさせ給ひしかば、郷右衛門は、懼る懼る、有りつるまゝに、まうしゝとぞ。

[やぶちゃん注:「老侯」先代の第八代藩主松前道広(宝暦四(一七五四)年~天保三(一八三二)年)。彼は文化四(一八〇七)年五十四の時、藩主在任中の海防への取り組みの不全や、吉原の遊女を妾にするなどの素行の悪さ(遊興費が嵩み、商人からの借金が嵩み、藩の財政も窮乏していた)を咎められ、幕府から謹慎(永蟄居)を命ぜられていた(後の文政五(一八二一)年には謹慎は解かれた)。

「さるすぢをも捨てたまはねば」その人物が藩内でも賤しい最下級の外足軽であることをもお憚りになられることもなくて。

「遠侍」武家の屋敷で、主屋から遠く離れた中門の脇などに設けられた警護の武士の詰め所。 主殿の東西にも同様の板敷きの警護の武士などの詰所があったが、そちらは「内侍」と呼ぶ。

「透見」藩主が足軽に直面(じきめん)することはあり得ない。しかも、話の内容は自分自身の忌まわしい処分理由の一つで、身の覚えのある吉原であればこそ、極めて憚られるものである。そこで、秘かに普通、立ち入ることのない外侍に赴き、外に控えさせた郷五右衛門に、透き見格子(外からは見えず、内からは見える)越しで、「家中のさる御重臣のお訊ね」という触れ込み辺りで、実否を糺したものであろう。]

 其の時の聞書(きゝがき)の、

「ことさら、奇談なるべし。」

とて、わが父に見せ給ひしを、己(おのれ)、乞ひ請(う)けて、収め置きにき。當時(そのかみ)、家嚴の賛歌あり。册子(さうし)のしりに書かれたり。可否をば、しらず。賛に云、

  離レテ火宅火㘫

  鍋掛(ナベカケ)ハ猶如熱閙塲

  一潮恩一汐

  圓蝦(マルエビ)ハ苦海慈航

[やぶちゃん注:漢詩は二段組だが、一段にし、読み部分は( )で入れた。訓読しておく。

  火宅を離れて 火㘫(くわせい)に堕(お)つ

  鍋掛は 猶ほ 熱閙塲(ねつたうば)のごとし

  一潮(いつてう)の恩 一汐(いつせき)の信

  圓蝦(まるえび)は此れ 苦海(くかい)の慈航(じこう)

「火㘫」は「火の燃える穴」であるが、廓を、この世の日常(火宅)の底にある火炎地獄に譬えた。「熱閙塲」本来は「人が込みあって騒がしい場所」の意だが、閙(とう)には「病気などになる・災害などが生ずる」の意があり、これに「熱」を添えて、そんな「塲」所となれば、前句と対になって焦熱地獄を想起させ、それを地名の「鍋掛」と「鍋」を「掛」けた下に燃える火の「熱」に掛けた。病む父を抱え、往来を行き来する者に乞食する少女の鍋掛での生活はまさに既にして苦界であったのである。「一潮」「一汐」は、まず、非常に短い時間の喩えである「一朝一夕」に掛けて二人の出逢いと再会を言いつつ、「一潮」も「一汐」も孰れも「ひとしほ」と読め、これを「一入」(いっそう・さらなる)郷右衛門の「恩」と「そよ」(「清花(きよはな)」)の生涯の彼への「信」を強調したものであろう。さらにこの潮の干満の意は、次の「苦海」を引き出すための装置となっている。「圓蝦」は言うまでもなく、彼女のいた遊女屋「丸海老屋(まるみほや)」に掛けて、この世を比喩する仏語「苦海」を引き出し、縁語で仏の絶対の「慈」悲によって速やかに極楽浄土へと曳航されてゆく「そよ」の後ろ姿を想起させてコーダとなる。技巧の面白さはあるが、ちょっとやり過ぎで、ゴテゴテして逆に五月蠅い感じがする。]

 丸海老屋(まるえびや)つるにもにたり鍋掛のふたゝび逢ひぬすくはれし身は

[やぶちゃん注:バラ亜綱クロウメモドキ目ブドウ科ブドウ属エビヅルVitis ficifolia var. lobata の蔓は古くは縄や紐に用い、鍋の持ち手の滑り止めに相応しいし、そのあざなえる紐で結ばれた二人が邂逅し、再び逢えたことにも掛けていよう。]

 本書は、只、その意をうけて、及ばずながら、文(ぶん)を易へたり。賛は、因みにしるすのみ。嗚呼、風流の藪澤(そうたく)にも、かゝる忠信孝女あり。いと憐むべきものになん。文政八年乙酉八月朔琴嶺興繼識

[やぶちゃん注:最後に二人を夫婦(めおと)にさせたくなるが、そう書いたら、これは明らかな創作になってしまう。既に述べた通り、「某侯」としても、ばればれであるから、もし、この話が馬琴の完全創作だったら、それこそ松前藩から咎めを受け、期待している興継の昇進にも障りが起こる。されば、この話全体は、完全な事実であると考えてよい。]

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