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2021/10/24

曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 品革の巨女(オホヲンナ)

 

[やぶちゃん注:目次は「品河の巨女」。画像は底本のものをトリミング補正して用いた。私は筆者と同じくこの「おつたさん」がしみじみ哀れに感じたれば、懇ろに清拭し、画像サイズも実物大に限りなく合わせておいた。段落を成形した。]

  ○品革の巨女(オホヲンナ)

 文化四年丁卯の夏四月のころより、世の風聞にきこえたる、品川驛の橋の南なる【こゝを「橋むかふ」と唱ふるなり。】鶴屋がかゝえの飯盛女に、名を「つた」といへるは、その年廿歲にて、衣類は、長さ六尺七寸にして、据をひくこと、一、二寸に、すぎず。膂力ありといへども、そのちからを、あらはさゞりし、とぞ。

[やぶちゃん注:「文化四年丁卯」一八〇四年。

「品川の橋の南」「こゝを「橋むかふ」と唱ふるなり」これは品川宿の南の目黒川に架かる現在の品川橋(グーグル・マップ・データ)で、その南に渡った地域を「川向かふ」「橋向かふ」と呼称した。これは、「あっちは江戸ではない」という江戸庶民の差別的呼称であることは言うまでもない。目黒川河口右岸である。正規の品川宿は左岸であるが、右岸にも非正規の旅籠屋や客相手の曖昧宿(飯盛旅籠)があった。

「飯盛女」(めしもりをんな)は、本来は旅籠屋での接客をする女性のことを指すが、多くは宿泊客相手に売色を行った。彼女たちの多くは貧困な家の妻か娘で、年季奉公の形式で働かされた。江戸幕府が宿場に遊女を置くことを禁じたために出現したもので、東海道に早く、中山道は遅れて元禄年間(一六八八年~一七〇四年)である。飯盛女を抱える旅籠屋を「飯盛旅籠屋」といい、幕府は享保三(一七一八)年に一軒につき、二人までを許可しており、幕府の公式文書では殆んど「飯売女」と表現されている。飯盛女の存在が旅行者をひきつけることから、宿駅助成策として飯盛旅籠屋の設置が認められることがあった。しかし、次第に宿内や近在、特に助郷(すけごう:宿駅常備の人馬の不足を補充するために宿駅近傍の村々が伝馬人夫を提供させられたこと、また、それを課された郷村を指す。最初は臨時で宿の周囲二、三里までの村に課されただけであったが、参勤交代などで交通量が増大し、恒常的となり、十里以上まで課され、金銭代納が多くなり、一種の租税ともなった。これは農村疲弊の一因となり、百姓一揆が頻発することとなった。ここは「旺文社日本史事典」に拠った)の村々の農民を対象とするようになり、宿と助郷間の紛争の種となった。明治五(一八七二)年、人身売買や年季奉公が禁止されたことにより、形式上は解放された(以上は小学館「日本大百科全書」に拠った)。

「六尺七寸」二メートル三センチメートル。]

 世に稀なる巨女なれども、全體、よく、なれあふて、しな・かたち、見ぐるしからず、顏ばせも、人なみなれば、

「この巨女に、あはん。」

とて、夜每にかよふ嫖客、多かり。

[やぶちゃん注:「嫖客」(へうかく(ひょうかく))は「飄客」とも書き、花柳界に遊ぶ男の客や芸者買いをする男を指す。]

 當時、その手形を家巖におくりしもの、あり。すなはち、草して左に載せたり。

 その手は中指の頭(サキ)より、掌の下まで、曲尺六寸九分、橫幅、巨指(おほゆび)を加へて、四寸弱なり。その圖、左のごとし。

[やぶちゃん注:「曲尺六寸九分」二十・九センチメートル。

「四寸弱」十二センチメートル弱。]

 

Otuta

 

 件の「つた」は、出處、駿河のものなり、とぞ。『ひが事をす』とよまれたる、「いせ人」にあらねども、阿漕の浦に引く網のたびかさなれる客ならねば、手を袖にして、あらはさず、足さへ、見するを、恥ぢし、とぞ。

[やぶちゃん注:「『ひが事をす』とよまれたる、「いせ人」」「ひが事」(ひがごと)は「道理に合わないこと・事実に合わないこと・不都合なこと」の意。直接は、鴨長明作とされる紀行「伊勢記」にある、

いづみ野とは、尾張の津島より京へのぼる道を、舟に乘りてゆく。甲斐川を越えて、弓削原村にいづる。

 伊勢人はひがごとしけり津島より

      かひ川行けばいづみのの原

に基づくか。但し、この書は、「方丈記」執筆以前の若き日に、長明が伊勢へ旅した際の和歌と紀行文とされるものの、本文は散逸しており、抜粋などで残存するものを集めたものに過ぎず、一部では偽作ともされる。但し、平安末から鎌倉初期にかけて、かの「伊勢物語」の「伊勢」の名の語源説として、藤原清輔や、彼の養子であった顕昭によって、『伊勢人は僻事(ひがごと)す』という風説に基づく書名とする説が、元にあるようである。

「阿漕が浦に引く網」「人知れず行う隠し事も、たびたび行えば、広く人に知れてしまうこと」の喩え。「阿漕が浦」は三重県津市東部の海岸一帯で、昔は伊勢神宮に奉納する魚を取るために網を引いた場所であり、古くから神聖な漁業域として、一般人の漁は許されていなかったが、「阿漕の平治」という漁師が病気の母親のために、たびたび密漁をし、遂には見つかって簀巻きにされて海に投げ込まれたという伝説に拠る。因みに、「強欲であくどいさま」を指す「あこぎ」も同根。詳しくは、私の「諸國里人談卷之三 阿漕塚」の私の注を参照されたい。]

 これらは、をなごの情なるべし。

 あまりに、いたく、はやりにければ、瘡毒を傳染して、あらぬさまなりしかば、千鳥なくのみ、客は、かよはず。

「いく程もなく、その病にて、身まかりにき。」

と、いふものありしが、さなりや、よくは、しらず。

[やぶちゃん注:「瘡毒」(さうどく(そうどく))は梅毒のこと。]

 又、その翌年【文化五年。】の冬のころ、湯島なる天滿宮の社地にて、「おほをんなのちからもち」といふものを見せしこと、あり。

 予は、なほ、總角にて、淺草の「としの市」のかへるさに、立ちよりて、それをば、見けるに、よのつねのをんなより、一岌、大きなるは、偉きかりしが、品川の「つた」が手形にくらぶれば、いたく見劣りて、さのみ、多力なるものとは、見えざりき。

[やぶちゃん注:「總角」(あげまき)は、元は古代の少年の髪の結い方の一つで、髪を左右に分け、両耳の上に巻いて輪を作る、角髪(つのがみ)とも呼ばれたそれを指すが、ここはそれから転じた「少年」の意。馬琴の長男であった滝沢宗伯(そうはく)興継は寛政九(一七九八)年十二月二十七日生まれであるから、当時は恐らく未だ満六歳であったと思われる。

「一岌」(いつきふ(いっきゅう))は、ここでは、一際、背が高いことの意。

「偉き」「えらき」或いは「おととけき」と読めるが、前者でよかろう。「勇ましい」とか、「猛く勇ましい」の意だが、ここは、単に「一般的な成人女性の標準体躯の程度を遙かに超えている」の意。]

 『彼「品川のおほをんな」は、是なるべし。』と、おもはする、「紛らしもの」としられたり。

 かばかり、はかなきうへにだも、贋物、いで來たる、油斷のならぬ世にこそありけれ。

 こゝに、すぎこしかたを思へば、十八、九年のむかしになりぬ。

 時に、筆硏の間、亦、戲れにしるすといふ。

  文政八年乙酉小春念三     琴 嶺

乙酉霜月兎園會

[やぶちゃん注:「文政八年乙酉小春念三」この発会日。文政八年十月二十三日(グレゴリオ暦一八二五年十二月七日)。]

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