「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 銀座の菊 / 附・草稿
銀 座 の 菊
都に灯(ひ)ともり
おとろへはててわれあゆむ
金の粉ゆき途にふり
戀魚のめざめこそばゆく
しみじみと銀座の街に鳴き出づる
あはれくつわ虫なくものを
また空には光るまつ蟲
おほいなる紙製の花もひらくころほひに
につけるの雲雀かがやく銀座四丁目三丁目。
なやましげなる宵にしあれば
こよひ一夜を觀工場(ばざあ)の窓に泣きぬれて
あしたの菊をぞわれ摘まむ
あしたの菊をぞわれ摘まむ。
―東京遊行詩篇一―
[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。底本では大正三(一九一四)年十月作の『遺稿』とする。
「につける」は金属のニッケルのこと。
「觀工場(ばざあ)」「勸工場(くわんこうば)」で「觀」は萩原朔太郎の誤字(以下の全集のものを参照)。百貨店やマーケットの前身で、具体的には明治一〇(一八七七)年に開催された「第一回内国勧業博覧会」で、出品者が引き取らなかった残品を処分するため、翌明治十一年一月に、東京府が丸の内に「龍ノ口勧工場」を開場した時に始まる。日用雑貨・衣類などの良質商品が一ヶ所で定価販売されたので、一躍、人気を得て、明治一五(一八八二)年頃から、全国の主要都市に大小の勧工場(関西では「勧商場」と呼んだ)が乱立した。多くは民営で、複数の商人への貸し店舗形式の連合商店街であった。明治四〇(一九〇七)年以後には、取扱商品の品質の低下や、大手百貨店の進出により、経営不振に陥って衰退し、関東大震災後に消滅したが、正札の定価販売で実績を残した。
さて。筑摩版全集では、まず、「未發表詩篇」に以下の形で載る。太字は同前。誤字はママ。
銀座の菊
都に灯(ひ)ともり
おとろへはててわれあゆむ、
金の粉ゆき途にふり、
戀魚(れんぎよ)のめざめこそばゆく、
しみじみと銀座の街に鳴き出づる、
あはれくつわ虫なくものを、
また空には光るまつ虫、
おほいなる紙(かみ)製の花もひらくころほひに、
につけるの雲雀かがやく銀座四丁目三丁目。
なやましげなる宵にしあれば、
こよひ一夜を觀工場(ばざあ)の窓に泣きぬれて、
あしたの菊をぞわれ摘まむ、
あしたの菊をぞわれ摘まむ。
(東京遊行詩扁、1)
なお、同全集の『草稿詩篇「未發表詩篇」』に「銀座通の菊」と題して草稿が載る。以下に示す。誤字はママ。
*
銀座通の菊
都に灯(ひ)ともり、
おとろへはててわれあゆむ、
金のこなゆき路にふり、
戀魚のめざめこそばゆく、
しみじみと銀座の街に鳴きいづる、
あはれくつわ虫鳴くものを、
また空には光るまつ虫、
酒毒の紫蘇の花も咲くころこひ
おほひいなる
紙製の花のひらくころほひ
[やぶちゃん注:「紫蘇の花咲くころこひ」(「ころほひ」の誤字であろう)と「紙製の花のひらくころほひ」は並置。]
疾患せんちめんたる齒痛の夕ぐれに、
疾患いるみねえしよんの夕ぐれに
この紙製の花が吹くは
につけるの雲雀かがやく銀座四丁目三丁目、
まことにげになやましき宵なれば、にしあれば、
こよひ一夜をBAZAAR歡工場の窓に泣きぬれて、
あしたの菊をぞわれつまむ、
あしたの菊をぞわれつまむ。
「疾患せんちめんたる齒痛の夕ぐれに」「疾患いるみねえしよんの夕ぐれに」は気の利いた少年詩人でも、決して口にしない失笑物のフレーズだろうなぁ。]
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