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2021/10/12

曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 素馨花

 

[やぶちゃん注:輪池堂屋代弘賢の発表。「素馨花」はジャスミンの起原植物であるシソ目モクセイ科ソケイ属ソケイ Jasminum grandiflorum のこと。当該ウィキによれば、『落葉性の灌木で』、『オオバナソケイ(大花素馨)とも呼ばれる。英名、中国名が多く、英名はSpanish jasmineRoyal jasmine、中国名は素馨、素馨花、素英、耶悉茗花、野悉蜜、玉芙蓉、素馨针など』。『南アジアのインドや、パキスタンのSalt Rangeという山とラワルピンディ地区』の五百~千五百メートルの『標高に自生』するが、『 ヨーロッパへは古代ペルシャを、日本へは中国を通って伝わった』。『インドで、葉が広く使用されている。アーユルヴェーダの漢方薬、花は女性のヘアスタイルを飾るために利用される。庭木や観賞植物として広く栽培されている。花からとれる香油をジャスミンといい、香料として使用される』。『中国、五代十国時代の劉隠』(八七四年~九一一年:唐の節度使で後梁の南海王。本貫は汝南郡上蔡県だが、遠祖はアラブ系という説もある。賢士・名士を好み、唐末や後梁の混乱で、中央から逃れてきた多くの人材を登用し、十国南漢の基礎を作り上げた人物)の『侍女に素馨という名の少女がいて、死んだ彼女を葬った場所に素馨の花が咲き、いつまでも香りがあったという伝説が由来という説』や、『花の色が白く(素)、良い香り(馨)がする花という意を語源とする説』『がある』。一~四メートルの『高さに生長する。葉は長く』、五~十二センチメートルで、『奇数羽状複葉になる。小葉は卵状楕円形で』二~四『対ある。花は枝先や上部の葉腋に直径約』三・五センチメートルで、七~十一月に『咲き、白く、独特で甘い香りがする』。『温帯や亜熱帯地域でよく生育する』とある。]

 

   ○素馨花

素馨花は、遠からぬ世に、はじめて渡りしとて、いまだ世に稀なるを、この比、手に入りたれば、になく[やぶちゃん注:「二無く」。この上なく。]、めづるあまりに、本草のたぐひを書きうつしつゝ、かうがへ合するに、「花鏡」に、『花郁李に似て、香・艷、これに過ぐ。』といへる誌には合ひたれば、『葉桑よりも大なり。』といふと、「綱目」および「岸芳譜」に、『花、四辨。』といふに、あはず。疑なきにあらざるなり。

[やぶちゃん注:「花鏡」(かきやう(かきょう))は清初の一六八八年に刊行された園芸書。当該ウィキによれば、『園芸植物の栽培法を述べた実践的な書物としては中国最初のものとされる。中国では』「花鏡」、日本では以下に出る「祕傳花鏡」と『称することが多い。著者名は従来、版本にしたがって』「陳淏子」(ちんこうし)『と記されてきたが、近年』、「陳淏」『という本名が明らかになったため、中国ではこれを用いる例も出てきている』。著者陳淏は『浙江省杭州府銭塘県の人』。当初、「花鏡」は「陳淏子」の『名で刊行されたため、近時まで長らく本名も生涯もほとんどわからないままであった』が、一九七八年に、『誠堂と署名した短文が林雲銘「寿陳扶揺先生七十序」をもとに著者陳淏子の生年の誤りをただすとともに』「花鏡」の『序文から想像されてきた著者の人物像が修正されるべきことを指摘した』。『これを端緒として名、字、号がただされ、その生涯、人物像もある程度まで解明されるにいたった』。本書は『よく読まれた書物で、中国で版を重ねたのみならず、日本にも舶載されて数度にわたって和刻本が出された』。『和刻本では、安永』二(一七七三)年に『刊行された』日本平賀先生校正「重刻祕傳花鏡」(六巻六冊)が『最初で』、『平賀先生とは平賀源内である。丁序・張序・自序がそろっているなど、文治堂の原刻本』(中国で最初に版本として刊行されたもので一六八八年の序がある)『をもとにしたと認められる。序・本文に訓点を施し、項目にあげられた植物名の大半に和名を書き加えてある。この源内校正本はその後』、文政元(一八一八)年・文政一二(一八二九)年・弘化三(一八四六)年と『版を重ねた』とある。本「兎園会」文政八年十月一日発会であるから、初版か再版を元にしている。『日本では木下順庵』(元和七(一六二一)年~元禄一一(一六九九)年:江戸前期の儒学者。名は貞幹。京都出身。柳生宗矩に従って、一時、江戸に出たこともあるが、帰洛後、加賀国金沢藩主前田利常に仕え、後に幕府儒官となり、第五代将軍徳川綱吉の侍講を務めた。その間、「武徳大成記」を始めとした幕府の編纂事業に携わり、林家の儒家らとも交流している。朱子学に基本を置くが、古学にも傾倒した。教育者としても知られ、元禄六(一六九三)年)に徳川綱豊(後の第六代将軍徳川家宣)の使者高力忠弘が、甲府徳川家のお抱え儒学者を探しに来た際、順庵は門人であった新井白石を推薦している)『・新井白石・松平綱豊』が、本書の『最も早い読者であったと思われる。順庵が白石をとおして綱豊に薦めたものであるという』。『順庵存命中』、則ち、元禄十一年以前には「花鏡」は『舶載されていたわけで、貝原益軒は元禄』十二『年正月にこれを読んでいる』。『京都本草学について言えば、山本亡羊あたりから師承関係をさかのぼって小野蘭山、松岡玄達、稲生若水とたどると、これらの博物学者はいずれも』「花鏡」との『関係が密接である。玄達、若水の時代はあたかも』「花鏡」『舶載の初期にあたるが、特に若水は自分の著作にこれを最大限に活用して』おり、元禄十四年三月、『金沢において前田綱紀に』、「毛属」十冊と「鱗属」・「羽属」の拾遺二冊を『献じた若水が翌』四月七日に『葛巻新蔵に提出した書類に「私一見仕り候分」としてあげた』十一『種の「花果類ノ書」の一つは』「花鏡」であった。若水が大著「庶物類纂」の『「花属」「果属」の編纂に参照した書籍という意味であろう』とある。早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらで、文政十二年版原本の六巻が視認出来る。]

「祕傳花鏡」

    素馨花

素馨花。一名耶悉茗花。俗名玉芙蓉。木高二三尺。葉大於桑而微臭。蟻喜聚其上。花似郁李。而香艷過之。秋花之最美者。性畏寒喜肥。幷殘茶不結實。自霜降後。卽當護其根。來年年便可分栽。黃霜時扞亦可。廣州城西彌望皆種素馨。僞劉時美人葬此。至今花香。甚於他處。

[やぶちゃん注:同前の第五巻PDF)の39コマ目で視認出来る。訓点に従い、訓読する。一部推定で読みと送り仮名・濁点を補った(なお、リンク先の原本は一部の漢字表記(例えば「耶」が「那」)が違っている)。

   *

    素馨花

素馨花。一名は「耶悉茗花」[やぶちゃん注:「ジヤスミン」の漢音写に「花」を附けたもの。現代中国語をカタカナ音写すると、「イエ・シィー・ミィン・フゥア」である。]。俗に「玉芙蓉」と名づく。木の高さ、二、三尺。葉、桑より大にして微(すこし)く臭し。蟻、喜んで其の上に聚(あつま)る。花、郁李(いくり)[やぶちゃん注:庭梅。バラ目バラ科スモモ属ニワウメ亜属ニワウメ Prunus japonica 。同じく江戸時代に原産地中国から渡来した。]に似て、香・艷、之れに過ぐ。秋、花の最も美なる者。性、寒を畏る。肥(こえ)幷びに殘茶を喜(この)む。實を結ばず。霜降るの後、卽、當に其の根を護るべし。來年年[やぶちゃん注:衍字か。]、便(すなは)ち、分栽すべし。黃霜(わうさう)[やぶちゃん注:霜にうたれて葉が黄色に変色すること。霜葉(そうよう)。]の時、扞(おほ)ふも亦、可なり。廣州城の西、彌望、皆、素馨を種(う)ゆ。僞劉[やぶちゃん注:先に注した劉隠のことらしい。]の時、美人を此に葬(はふ)るに、今に至るまで、花、香しきこと、他處より甚し、と。

   *]

「本草綱目」【「茉莉」附錄。】

素馨【時珍曰。素馨亦自西域移來。謂之耶悉茗花。卽酉陽雜俎所載野悉密花也。枝幹裊娜葉似末利而小。其花細瘦四辨。有黃白二色。釆花壓油。澤頭甚香滑也。】。

[やぶちゃん注:確かに巻十四の「草之三 芳草類」の「茉莉」の「附錄」にある。「茉莉」は本邦では「まつり」と読み、ジャスミンの近縁種である「茉莉花(まつりか)」(アラビア・ジャスミンとも呼ぶ)ソケイ属マツリカ Jasminum sambac 、或いはジャスミンの異名でもある。訓読しておく。なお、「密」は「蜜」の誤りである。

   *

素馨【時珍曰はく、「素馨も亦、西域より移し來たる。之れを「耶悉茗花」と謂ふ。卽ち、「酉陽雜俎」に載する所の「野悉蜜花」なり。枝幹、裊娜(だうだ)[やぶちゃん注:「じょうだ」は「しなやかなさま・なよやかなさま」の意。]、葉、末利[やぶちゃん注:「茉莉」に同じ。]に似て小なり。其の花、細瘦にして、四辨。黃・白の二色有り。花を釆(と)り、油を壓(しぼ)り、頭を澤(ぬら)して、甚だ香滑なり。」と。】。

   *]

「二如亭群芳譜」花部

素馨 一名耶悉茗花。一名野悉蜜花。來自西域枝幹裊娜。似萊裊而小。葉纖而綠。花四瓣細瘦。有黃白二色。須屛架扶起。不然不克自竪。雨中嫵態並自媚人。

[やぶちゃん注:「二如亭群芳譜」は明の王象晋(一五六一年~一六五三年)が自らの栽培体験と広範な文献収集によって編撰した十七世紀初期の多種作物生産及び生産に関する問題について論述した大著。各植物の特徴と品種・園芸技術・関連する植物及び、その典故や詩歌まで載せる。清代になって増補を経て、「四庫全書」に収録された。国立国会図書館デジタルコレクションで原本(明版本)のここから。参考出来る資料が全くないが、前の二篇が参考になるので、それで訓読しておく。最後の部分は力業で読んだ。「萊」は「茉」の誤りである。

   *

素馨 一名「耶悉茗花」。一名「野悉蜜花」。西域より來たれり。枝幹、裊娜たり。茉に似て、裊として小さし。葉は纖(ほそ)くして綠なり。花、四瓣にて、細瘦たり。黃・白の二色有り。須らく、屛(べう)を架(かけわた)して扶(たす)け起すべし。然らざれば、自(みづか)ら竪(た)つるに、克(た)へず。雨中の嫵(みめよ)き態(すがた)の並ぶは、自(おのづか)ら人に媚びたり。

   *

最後は「媚びるに似たり」と読みかった。]

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