曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 邪樫の親
[やぶちゃん注:発表は文宝堂。段落を成形した。如何にも救いようのない悲惨な話である。]
○邪樫の親
南部一の戶にすめるもの【名は忘れたり。】[やぶちゃん注:割注は「すめる」の後にあるが、特異的に訂した。]いかなる子絹か有りけん、妻の病中といひ、殊に六つになる、一人の娘【名はしらず。】を捨て、江戶へ出でたり。妻は、間もなく身まかりて、娘は伯父なるものゝ方に引きとられ成長しけるに、針商人吉五郞といへるものに嫁しけり。娘は、とし頃、父に逢ひたく思ひ、手すぢもとめて、便をきけば、
「今は江戶にて醫業をして居る。」
よし、夫吉五郞に其事を告げて、
「何とぞ、一度は江戶ヘ出でゝ、父の行方を尋ねたき。」
よしを、せちに賴みければ、吉五郞も『尤なる事』に思ひ、
「幸ひ、此春も、針の仕入に、江戶へ出づるなれば、つれゆかん。」
とて、夫より、旅の支度をしつゝ、一の戶を立ち出でゝ、江戶京橋「みすや」といへる針問屋方に着きぬ。
[やぶちゃん注:最初の割注「【名は忘れたり。】」は「すめる」の後にあるが、特異的に訂した。
「京橋」東京都中央区京橋(グーグル・マップ・データ)。]
こゝは、每年仕入に來ぬる時、吉五郞が定宿なれば、夫婦ともに、此「みす屋」に逗留して、每日、父のありかを尋ねけれども、元より、江戶にての名も、しらず、所も定かならねば、手がゝりにせんよしも思ひわかで、ある日、淺草のかたに出でたる時、花川戶に自得齋といふ賣卜あり、
「此所にて、父のゆくへを、占ひもらはん。」
とて、其所に立ちより、さまざまと、ありし事ども、語り聞せけるに、此自得齋は、則、此娘の實父なりければ、おるすの歡び、大かたならず。
[やぶちゃん注:「花川戶」東京都台東区花川戸。
「おるすの」当初、他のことに心を奪われ、その方(この場合は「夫の仕事の手伝い」か)に気が回らないことを「お留守」(或いは「留守」「留主」とも)というので、そうした形容で、所謂、「大事なことがお留守になってるよ」のそれであろうかとも思ったが、どうも言い方がおかしい。先に「一人の娘【名はしらず。】」と言っていながら、次の段で「おるすをば、父に預け」とあるから、この娘の名である。]
夫より、父の宅、馬道、壽命院といふ寺の地内にあれば、娘を伴ひ、我宅に兩人とも止宿させければ、吉五郞も安堵して、その身は上方に賣用[やぶちゃん注:底本に右注して『(マヽ)』とある。「商用」の誤字か。]あれば、おるすをば、父に預け置きて、上方へ登りける。
[やぶちゃん注:「馬道、壽命院」ここ。東直近に花川戸内の旧町名の「馬道(うまみち)」を冠した「馬道通り」の名が残る。]
此おるすは、ことし、十八歲にて、しかも、容儀、よろしければ、父の自得齋、道ならぬ戀慕の情おこりて、ある夜、娘を犯さんとしければ、娘は大きに驚きつゝ、きびしく父をいさめければ、其座はそのまゝに、思ひやみぬ。
されども、是より、娘を、大に、にくみて、吉五郞のかへらざる内、
「勤奉公に出だして、金にせん。」
と、はかりけるを、娘に告ぐるものあれば、娘は、猶更、かなしく思ひ、京橋なる「みすや」方へ、にげゆき、
「父の恥を申すに似たれども、淺草には、居がたし。何とぞ、夫吉五郞の歸るまで、かくまひ置き給はれ。」
とて、
「しかじか。」
の、よしを、語りければ、「みす屋」は、なさけあるものにて、
「さらば、吉五郞の下らるゝ迄、こなたに居給へ。」
とて、かくまひ置き、猶、又、吉五郞方へも、早飛脚にて、
「大事出來たれば、とく下り給へ。」
と、いひつかはしけり。
扨、自得齋は、娘を尋ねけるに、
「定めて『みすや』へ行きたらん。」
とて、「みすや」方へ來て、
「娘を出だしくれよ。」
と、いひけれ共、さまざまにこしらへて、あはせざりければ、大に、いかり、彼是、むつかしく、いひかけ、爭ひしが、理に、かつよしのなかりければ、「みす屋」より、
「娘をあづかりし。」
といふ一通を、とりて、歸りぬ。
かくて、自得齋は、又、奸計をめぐらしつゝ、
「その身、急病にて、いと危き。」
よし、人をもて、告げしらせけり。
娘は、此事、まことゝも思はね共、はるばる、父をたづねきつるものゝ事なれば、
「もし、さる事のあらんには、後に悔ゆるも甲斐あらじ。」
とて、やがて、父の宿所に走り來て見れば、案の如く、そら言にて、自得齋は、娘を見るより、おどりかゝり、引きよせて、いたく打擲し、其上、娘は懷胎にて五月になるよしなるを、おろし藥をのませて流產させければ、遂に、血のぼりて、狂氣しけり。
夫吉五郞は、大坂にありしが、江戶よりの狀に驚き、取るものもとりあへず、夜を日に繼ぎて下りつゝ、まづ、京橋なる「みす屋」にて樣子を聞きて、自得齋が宿所にゆきて見るに、妻のおるすは、亂心しつゝも、夫のかへり來つるを見て、いさゝか、正氣になりたるやうなり。
されど、
「こゝにあらんは、事むづかしかるべし。」
とて、湯島金助町へ借屋もとめて引きうつりけり。
[やぶちゃん注:「湯島金助町」現在の東京都文京区本郷三丁目附近。]
抑、金助町に太兵衞とて、伯樂[やぶちゃん注:馬の調教。]を渡世にするものあり。しばしば、奧州へ往來せしものなれば、吉五郞とは相識るどちなり。故に彼をたよりて、そが同じ長屋を借りて、夫婦、うつり住みたるなり。
かくて、二、三日も過ぎける程に、おるすの亂心も治しければ、大に歡び、吉五郞は禮ながら、京橋「みすや」方へ行きける留守へ、亦復、自得齋、來て、
「いよいよ勤奉公に出ださん。」
とて、引きたてゆかんとせしを、かたはらにありし「はした錢」を取りて、投げつけゝるに、父の顏にあたりければ、大に怒り、腰なる短刀を引きぬきて、一突に、娘を、ころしけり。
長屋のものども、驚き、さわぎけれど、自得齋は悠々として、さのみ騷ぎたつに及ばず、
「親に慮外せし娘なれば、殺したり。」
とて、聊も、騷ぐ氣色、なし。
されども、其まゝにうちおきがたく、大勢、あつまり、自得齋をからめて、上へ訴へ出でしとなり。
これは、文化十四年二月朔日の事にぞ、ありける。
[やぶちゃん注:「文化十四年二月朔日」一八一七年三月十八日。
以下、最後まで底本では全体が一字下げ。]
評に曰、
「自得齋は『おるす』の實父にては、あるべからず。『おるす』に占ひを賴まれし時、これぞといへる親子の證據もなく、殊に『邊鄙のもの』と見くだして、『いかにも、よく、たばかりて、此娘を賣らん。』と思ひ、賣卜をするほどのものなれば、よきやうに詞を合せ、まことしやかにもてなして、『實父なり』と僞りしものなるべし。いかに國のはてに住むものなればとて、親子の恩愛をしらぬものやは、ある。さるを、實のむすめに不義をしかけ、且、藥をのませて、墮胎させ、さらに、怒にまかせて、殺害する事は、よにあるまじき事なり。」
と、いへり。