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2021/11/23

曲亭馬琴「兎園小説外集」始動 / 目録・馬琴注・第一 年の和名幷に月の異名考餘 著作堂

 

[やぶちゃん注:「兎園小説外集」は曲亭馬琴編の「兎園小説」に続き、「兎園会」が断絶した後の、文政九(一八二六)年から翌同十年に至るまでの記録。所持する吉川弘文館随筆大成版の「日本随筆大成」第二期第三巻所収の解説によれば、『馬琴を初として、琴嶺、屋代輪池、鈴木分左衛門、山本庄右衛門、中井乾斎、文宝堂、海棠庵、南無仏庵等九人の執筆による』ものとある。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの大正二(一九一三)年国書刊行会編刊の「新燕石十種 第四」のこちらから載る正字正仮名版を用いる。但し、挿絵は画像が今一つぼんやりしているが、キャプションもそのまま使えるので、底本の画像をトリミング補正して使用することとした(底本は『インターネット公開(裁定)』『著作権法第67条第1項により文化庁長官裁定を受けて公開』『裁定年月日: 2020/03/25』であるから、引用使用は許される)。また、本文は吉川弘文館日本随筆大成第二期第三巻に所収する同書のものをOCRで読み取り、加工データとして使用させて戴く(結果して校合することとなる。異同があるが、必要と考えたもの以外は注さない。稀に底本の誤判読或いは誤植と思われるものがあり、そこは特に注記して吉川弘文館版で特異的に訂した)。諸凡例は先行する「兎園小説」(正編)に準じて、字下げその他は必ずしも底本に従わない(ブログのブラウザ上の不具合を防ぐため)。【 】は二行割注。今まで通り、句読点は現在の読者に判り易いように、底本には従わず、自由に打った。鍵括弧や「・」も私が挿入した。踊り字「〱」「〲」は正字化した。また、今回からは標題の下に筆者名を記して、判り易くした。【二〇二一年十一月二十三日始動 藪野直史】]

 

 

兎園小說外集目錄

   第 一

年の和名幷に月の異名考餘 著作堂

狗の物語くさぐさ 琴嶺舍

靈劔感得の物語 輪池

[やぶちゃん注:吉川弘文館随筆大成版では『夢中に剣を得るの物語』とする。]

前後身紀事 著作堂

[やぶちゃん注:底本では著者を『同』とするが、本文を見るに著作堂馬琴のものであるので、誤りとが断じて特異的に訂した。]

墮陰莖 同

蛇甑 鈴木氏

[やぶちゃん注:同前では『蛇怪』。]

同 山本氏

[やぶちゃん注:底本では著者を『輪池』とするが、本文を見るに山本庄右衛門のものであるので、誤りとが断じて特異的に訂した。]

猩々 乾齋

多胡郡碑註釋抄錄 同

紀の山の大榎 著作堂

   第 二

唐船漂着の記 輪池

秦鼎手筒 同

大河内藤藏紀事 文寶

池笠問答 著作堂

筑後柳川風流祭再考圖說 海棠庵

小松内大臣重盛公寶塔の圖搨本 同

冷泉左衞門朝臣詠歌 輪池

カピタン獻上目次 同

丙戌百目紀事 輪 池

異形小兒の圖二本 同

一本  文寶堂

近藤氏紀事 海棠庵

著作堂小集展覽目錄

御坊主伊東久勝忰宗勝橫死之話

江戸地名考小識 著作堂

ふるきはんじ物の盃考 著作堂

六足狗 輪池堂

峨眉山下橋 南無佛庵

[やぶちゃん注:発表者は下方に揃えて並んでいるが、本ブログでは字空けがその通りに反映せず、綺麗に並ばずに気持ちが悪いだけなので、総て標題から一字あけで示した。

 以下、著作堂馬琴の注。底本では全体が一字下げ。]

「兎園」集會、自ㇾ是而斷絕。社友内中入鬼籍者、文寶【後號「後蜀山人」。文政十二年三月二十三日歿。享年六十二。】、海棠庵【文政十三年九月二十七日歿。三十四歲。】・移住筑後者、松蘿館【文政八年春、分袂以來如胡越。】。有レ故而絕交者、好問堂【文政八年季冬以來、不與ㇾ此交。其志不ㇾ愜也。】。交遊不ㇾ全如ㇾ此。浩嘆何堪。余以閑居爲ㇾ常。無ㇾ友亦一樂也。

[やぶちゃん注:訓読する。吉川弘文館随筆大成版の解説に書き下してあり、それを一部で参考にはした。読みは私が推定で歴史的仮名遣で附した。

   *

「兎園」の集會、是れよりして斷絕す。社友内の中(うち)、鬼籍に入る者、文寶【後に「後蜀山人」と號す文政十二年三月二十三日歿す。享年六十二。】、海棠庵【文政十三年九月二十七日歿す。三十四歲。】。筑後に移住せしは、松蘿館【文政八年春、分袂(ぶんべい)以來、胡越のごとし。】。故有りて絕交せし者、好問堂【文政八年季冬以來、此れと交はらず。其の志し、愜(こころよ)からざるなり。】。交遊、全(まつた)からざること、此くのごとし。浩嘆、何ぞ堪へん。余、閑居以つて、常と爲(な)す。友無きも亦、一樂なり。

   *

「後」(「こう」?)「蜀山人」この「後」は前の「後」の衍字の可能性が高いが、ママとした。文宝亭文宝は明和五(一七六八)年生まれの狂歌師にして江戸飯田町の茶商であった。姓は今井で、通称は亀屋久右衛門。初代蜀山人大田南畝に書と狂歌を学び、別号に「食山人」「散木」があり、晩年には二代目「蜀山人」を名乗った。

「文政十二年」は一八二九年。

「松蘿館」既注であるが、再掲しておくと、西原好和(宝暦一〇(一七六〇)年~天保一五(一八四四)年)の号。筑後国柳河藩士であったが、幼少より江戸で生活し、定府藩士として留守居役・小姓頭格用人などを勤めた。文政七(一八二四)年五月から「耽奇会」に、後の「兎園会」にも参加したものの、文政八(一八二五)年四月、「驕奢遊蕩」を理由としてか、「風聞、宜しからず」によって、幕府から国元筑紫(柳河藩)への蟄居の譴責を受け、江戸を強制退去させられた。天保年間は柳河藩領南野(現在の柳川市大和町)に隠棲して終わった。

「胡越のごとし」ここは「志(こころざし)合えば胡越(こえつ)も昆弟(こんてい)たり」(「漢書」の「鄒陽伝」から)を掛けたもの。「志しが合えば、北方の胡の者と南方の越の者とでも兄弟同様になれる。」の意で、「志が一致すれば、他人同士であっても兄弟のように親しくなれる。」ことを言い、彼との不本意な理由による永の別れを愛惜している馬琴の心情が滲んでいる。

「故有りて絕交せし者、好問堂【文政八年季冬以來、此れと交はらず。其の志し、愜(こころよ)からざるなり。】」随筆家で雑学者の山崎美成(よししげ 寛政八(一七九六)年~安政三(一八五六)年)。「耽奇会」の方で亀屋文宝堂が発表した「大名慳貪(だいみょうけんどん)」(「倹飩箱(けんどんばこ)」(盛り切りで売るうどん・そば・飯・酒などを江戸時代に「けんどん」と称したが、その倹飩饂飩や蕎麦など、一杯盛りの食品を入れて運ぶ箱を言い、上下又は左右に溝を切って、蓋の嵌め外しが出来る)に汁次(しるつぎ)や薬味箱なども一緒に収めたものを「けんどん提重(さげじゅう)」「忍(しのび)けんどん」と称したが、これに種々の蒔絵を施した豪華なものを「大名けんどん」と呼んだ。その考証。「耽奇漫録」第十二集所収。文政八年三月十三日発会。国立国会図書館デジタルコレクションのオール・カラーの美しい画像のここと、ここを参照されたい)について、「慳貪」の使用法を巡って、中心メンバーであった馬琴と山崎美成との間で論争となり、この「慳貪争い」が致命的に拗(こじ)れてしまい、孰れも譲らず(二人とも心が慳貪だねぇ!)、絶交に至ったのであった。]

 

 

兎園小說外集第一

 

   〇年の和名幷に月の異名考餘

[やぶちゃん注:長いので、段落を成形した。]

 

 近來、國學のいよいよ、さかりに開けしより、先哲・後學おのおの、發明の辨あり。これにより、物の名の起原なども、定かにしらるゝことぞ、多かる。

 そが中に本居氏の「古事記傳」に、

「年の和名を『とし』といふよしは、『畊作』の義也。」

と、いへり。

[やぶちゃん注:「畊作」「こうさく」と読み、「耕作」に同じ。]

 この言、尤、よし。もて定說とすべし。只、その註釋のいまだ具はらざれば、尙、あかぬこゝちぞする。

 愚、按ずるに、「とし」の言は、「とねしづく(百穀播收[やぶちゃん注:漢字ルビ。])」の義なるを下略せしなり。唐山にて、始て字を造れるもの、亦、この義を取れり。その「季」と「稔」の兩字のごとき、幷に「禾」に從ふをもて、知るべし。

 字書に、『「禾」は「戶羅切」[やぶちゃん注:中国語音の反切表示。]、音「嘉」。「穀」總名。黍稷稻粱自ㇾ苗至レ實、曰レ禾。』と、いふと、いへり。

[やぶちゃん注:「とねしづく」不詳。

 引用の漢文を訓読してみる。

   *

「禾(くわ)」は「戶」・「羅」の切、音「嘉(か)」。「穀」は總名。黍(もちきび)・稷(うるちきび)・稻・粱(おほあは)、苗より實に至り、「禾」と曰ふ。

   *

「戶」は「」で、「羅」は「luó」であるから、「」となる。但し、現代中国語では「禾」は「」。これは思うに「ó」(オー)と「é」(ウーァ)が近似するからいいのであろうか。だいたい、「クワ」が「カ」と同じというのと通じていると感じたからである。

 又、「季」は「年」の本字なり。「說文」に、『季、穀熟也。』、「正字通」に云、『古人謂一年一稔。取穀一熟也。』。これ、和漢、その義、相同じ。かゝれば、「とし」の、「とねしつくる」の略辭たること、疑ふべからず。

 唐山は文華の國也。この故に、物每に、その字、三も、四つも、ありて、なかなかに煩雜をなせり。譬ば、「季」の字あるうへに、或は「稔」に作り、又、「歲」に作り、又、「紀」にも作るが如し。

 按ずるに、「歲」は冬至より冬至までをいふ也。人の年歲に、「歲」を書くことも、この義におなじ。その年の冬至後に生るゝものは、明年の支干によるべし。今の俗は、この義を知らず、冬至後に擧たる兒にも、なほ、その年の支干をもて數ふ。さては、「歲」の義に稱はず[やぶちゃん注:「かなはず」。]。いかにとなれば、「歲」は「日の步み」也。日の天を行くこと、三百有六旬六日有て、日の行こと、一周なり。これを「一歲」といふ。かゝるゆゑに、中冬を「二之日」とす。日、行周り盡して、復、始る。これ、歲の日步たるゆゑん、「一之日」は冬至なり。周は十一月をもて、正月とす。これを「正歲」とい

ふ。職[やぶちゃん注:「しよく」であろうが、「営み」の意であろう。]として、これに由るなり。「歲」、又、「載」に作るよしは、「爾雅」に、『「載」は「歲」也』。『唐虞[やぶちゃん注:「たうぐ」。伝説上の聖天子陶唐氏堯と有虞氏舜を併せて呼ぶ名。また、その二人の治めた時代を指す。]に「載」といふ。』。「物の終て、更に始る」の義を取るといふ。又、「紀」に作るよしは、「書」の「供範」に、『「五紀」あり。その一を「歲」といひ、その「二」を「月」といひ、其三を「日」といひ、その四を「星辰」といひ、その五を「曆數」といふ。又、十二を「一紀」とす。歲星の天を一周するの義を取る。』といふ。唐山は、一事に、その字、多くして、その義も、隨て、亦、煩雜なること、かくのごとし。

[やぶちゃん注:底本でもここは改行している。]

 天朝は、いにしへより今に至るまで、「とし」といふのみ、異名を呼ぶもの、なし。文の辭に及ばざるもの、これを推して、その餘を知るべし。

[やぶちゃん注:以下の一段落は、底本では全体が一字下げ。]

 先輩の考に、月の異名も、すべて農事のうへにかけて、倡へ[やぶちゃん注:「となへ」。]來たる、といふ。こは動きなき[やぶちゃん注:「ゆるぎなき」。]妙案なり。しかれども、註釋の、なほ、詳ならぬものあり、よりて、考餘の一篇を綴りそへて、もて、遣忘に備ふ。博士の爲には笑るべし。

 正月を「むつみ月」といひ、略して「むつき」ともいふよしは、舊說に、『この月は良賤、迭に[やぶちゃん注:「たがひに」。]往來・慶賀して、むつまじき義也。』と、いへり。是、究めて、いはれ、なし。しかれども、新說も、いまだ詳ならず。

 按ずるに、「むつき」は「むす月」也。「むつみ月」といふも、「むすび月」の義なれば、相同じ。この月の陽氣、下に蒸して、草木、將に萠出んとするの勢ひあり。譬ば、胎生のもの、其胎内に蒸れ、卵生のもの、その殼中に蒸るゝが如し。故に「むつみ月」といひ、略しては、「む月」といふ。「書紀」、「神代の卷」なる、「かんむすび」の尊を、「神產靈」と書れたり。「產靈」は、則、「母德」にして、「子を胎内に蒸す」の義、あり。故に「神產靈」と唱ふ。今の世も、人の子を「むす子」・「むすめ」といふ。是も「むすび子」「むすび女」の略にて、元來、その母の胎内に、蒸されて生出(なりいで)しものなれば也。されば、正月を「むつみ月」といふも、これにおなじ。もし、漢字を借用せば、「產靈月」と書こそ、よけれ。「月令」に、『孟春之月云々』。『天氣下降。地氣上騰。天地和同。草木萠勁。』と、いふ。凡、この十六言、「むつき」の中に、こもりたり。抑[やぶちゃん注:「そも」と訓じておく。]、亦、妙ならずや。

 二月を「きさらぎ」といふよしは、舊說に、「この月は、或は寒く、或は暖にして、更に又、寒中より、さむきこと、あり、故に『衣更着』と名づく。」と、いふ。これも亦、いはれ、なし。又、新說に、「『きさらぎ』は『息、更に來つる』の義にて、東風、氷を解きて、蟄虫、動く。『いき』とは天地の陽氣也。」と、いふ。こは、理りあるに似たれど、いまだ、甘心しがたし。

 按ずるに、「きさらぎ」は「鋤[やぶちゃん注:「すき」。]さらぎ」なるべし。この月は、をさをさ、田を鋤き、畑を打也。この故に「すき浚ぎ」を略して、「きさらぎ」といふなり。

 三月を「やよひ」といふよしは、「彌生」の義にて、この月は、草木、いやがうへに、生出れば、しかいふ。」と、眞淵の說に從ふべし。

 四月を「うづき」といふよしは、「莫傳抄」に、『夏かりの かへる越路の となみ山 卯のはな月と 何はいはまし』とあるによりて、「卯月」と書きて、この月は、卯の花、さかりなれば、しか名づけたりと思ふもの、多かるは、みな、あやまりを傳へたる也。新說に、『「うづき」は「植月」也。この月は、根をわけ、種をくだすことの、最、さかりなる頃なれば、「うゑ月」といふ。それを略して「うづき」といふ。』と、いへり。この說は、いと、よし。さばれ、「うゑ月」の義にはあらで、「うみ月」の「み」を略せしならん。既に播したる百[やぶちゃん注:「もも」。]のたなつ物[やぶちゃん注:「穀(たなつもの)」で田畑から穫れる稲を筆頭とした穀物のこと。]、みな發生(なりいで)たるを、或は、移しうゑ、或は、つちかひ、養ふこと、譬ば、胎内の兒のうまれ出たるを、育るが如し。よりて、正月を「むつき」といふにむかヘて、「うみ月」と名づけたるなるべし。唐山にて、四月の節の中を「小滿」といふも、この義に、かなへり。「小滿」は「臨月出產」のこゝろをもて、見るべし。

[やぶちゃん注:短歌は句で空隙を入れた(以下同じ)。

「莫傳抄」後鳥羽院口伝とする「和歌肝要 莫傳抄」(わかかんよう ばくでんしょう:現代仮名遣)。]

 五月を「さつき」といふよしは、舊說に「早苗月」とし、「祕藏集」には、「さくも月」と、よめり。新說に、「さは耕作」の事にて古言也。この月は、稻の苗をうつし植る時にして、農事に大切のよしなれば、「さつき」といふ、と、いへり。理りあるに似たれど、いまだ、詳ならず。猶、考ふべし。

 六月を「みな月」といふよしは、舊說に、この月は、暑熱、酷して、水に乏しきころなれば、「水無月」といふといヘり。東滿は、これを否み、『「みな月」は、かみなる月の上下を省る[やぶちゃん注:「はぶける」。]也。この月は雷の、しばしば、なるものなれば、しかなづけたり。』と、いへれど、甘心しがたし。又、一說に、「みな月」は「水なす月」也。この月は、田に水の乏しきをもて、をさをさ、水をまかする也。よりて「みづなす月」といふべきを、略して「みな月」といふ、と、いへり。姑く[やぶちゃん注:「しばらく」。]、この說に從ふべし。

[やぶちゃん注:「東滿」不詳。思うに、後にも出る、江戸前期の国学者荷田春満(かだあずままろ 寛文九(一六六九)年~元文元(一七三六)年:本姓は羽倉氏。初名は信盛、後に「丸」、また「春」と名乗ったからである。]

 七月を「ふみ月」といふよしは、舊說に、『「ふみひらき月」の略辭也。この月は二星に書をたむけ、且、書籍を曝すことあれば、「ふみ月」といふ。』と、いへり。「藏玉集」に、「たなばたの かふ夜の空の かげ見えて かきならべたる ふみ披き月」とあるは、これ也。又、新說に、『ふみ月は「ふえ月」也。この月は稻の葉の特に殖る[やぶちゃん注:「ふえる」。]ころなれば。』と、いヘり。前の「ふみひらき月」には、立まさりて、聞ゆれども、いまだ、可ならず。

[やぶちゃん注:「藏玉集」(ざふぎよくしふ)は「蔵玉和歌集」のこと。室町時代の歌学書。一巻。撰者は二条良基に仮託されているが、未詳。草木・鳥獣・月の異名などを詠んだ歌を収集分類し、考証を加えたもの。先に出た「莫伝抄」を増補した形となっている。「草木異名抄」の異名もある。

「かふ夜」「交ふ夜」であろう。牽牛淑女が年に一度だけ行き交わる夜であろう。]

 按ずるに、「ふみ月」は「ふくみ月」の中略也。この月は稻の花、其皮中に、なり出て、物をふくむが如し。譬ば、頰の和名を「ホホ」といふも、「ふくむ」の義也。物の胎を「はらむ」といふも、「ハ」と「ホ」、音通にて、亦、「ふくむ」の義に近く、花のつぼみに「含」の字を當たるも、「含」に「ふくむ」の義、あれば也。これらによりても、「ふみ月」の「ふくみ月」なるを、しるべし。

 八月を「はづき」といふよしは、舊說に、『葉月也。この月、梧桐の葉落れば也。』といひ、一說には、『「はち月」の「ち」を略して、「はづき」といふ。』といへるは、笑ふべし。又、新說に、『この月は、稻の葉、さかりにして、いまだ、穗を見ず。よりて「葉月」といふ。』と、いへるも、うけがたし。

 按ずるに、「はづき」は「はな月」の「な」を省る也。この月、上旬には、早稻の花、ひらき、中旬には、晚稻の花、さかり也。依て、「はな月」といふべきを、略して「はづき」と、いへるなり。

 九月を「ながつき」といふよしは、舊說に、『「夜長月」也』。又、新說は、これを否して、『この月は、稻の穗、既に長し、よりて「長月」と名づく。』といへり。

 按ずるに、「なが月」は「稻刈り月」の略辭なるべし。稻は、「イナ」、音通にて、體に「いね」といひ、用に「いな」といふ【稻城・稻村・稻光の類の如し。】。「いな」の「な」と、「かる」の「る」を省きて、「なが月」といふか【「か」を濁音に倡るは、音便にて、この例、多し。】。この月は、をさをさ、早稻を刈る頃なれば、しか名づたるべし。

[やぶちゃん注:「體」「たい」であろう。本体の正式な「晴れ」の呼び名。

「用」「よう」で慣用として使う日常語の意であろう。]

 十月を「かみな月」といふよしは、舊說に、『「神無月」也。この月は、諸神、出雲の大社に集合(つどひ)給ふ。よりて、この名あり。』と、いふ。荷田氏は、これを斥けて、『「かみな月」は「雷無月」也。この月は、雷、その聲を收るの、かぎり也。六月を「雷鳴(かみなる)月」といふにむかへて、「雷無月」と名づく。』と、いへれど、これも亦、甘心しがたし。

 按ずるに、「かみな月」は、「かりね月」なるべし。「かりね」は、卽、「刈稻」也。「リ」と「ミ」と橫音にて、「ナ」と「ネ」は音通也。よりて、「かり稻」を「かみ」と倡ふ。十月には、なべて、稻を刈盡すものなれば、しか、名づけたり。九月を「なが月」といふも、「稻かり」の義なれど、稻に早晚の遲速あり。おほよそ、九月に刈はじめて、十月下旬に刈果るものなれば、この兩月、同義にして、異名也。譬ば、「たね」と「さね」との如し。「タ」と「サ」と橫音なれば、「たね」も亦、「さね」也。しかるに、稻を「たね」と訓み、實を「さね」と訓じたる、これも亦、同義にして異名也。この理りをもて推すときは、「なが月」「かみな月」の同義にして、名の異なるをあかすに足らんか。

[やぶちゃん注:「橫音」(よこおん)は母音行の「ア・イ・ウ・エ・オ」の横の「段」のこと。

 以下は一段落全体が底本では一字下げ。]

 再、按ずるに、十月を「雷無月」の義とするよしは、「祕藏集」に、「四方山は からくれなゐに なりにけり しぐれひまなき 神なかり月」とあるによるか。「神なかり月」の「神」は、「雷鳴なき月」といふに似たり。

[やぶちゃん注:「祕藏集」は「古今打聞」(こきんうちぎき)「祕藏抄」「和歌祕藏鈔」の異名を持つ、伝凡河内躬恒の作とされる歌学書のことであろう。]

 十一月を「しも月」といふよしは、舊說に、『霜降り月也。「藏玉集」に、「風さむみ 霜ふり月の けふよりや 雪げと見えて くもりそむらん」。』と、あり。新說も、これに從ふのみ。

 愚、按ずるに、「しも月」は、「しておさめ月」の略辭なるべし【「も」と「お」と、橫音也。】。この月は、貢の新穀を「收斂(をさめい)るゝとき」なれば、この名、あるか。いまだ、必、と、しがたけれども、姑く、こゝろみに、いふ、のみ。

 十二月を「しはす」といふよしは、俗書に、『「師走」と書て、この月は、諸生、師に走り、故舊を訪へば也。』などいふ說あれども、あげつらふに足らず。貝原益軒は、筑紫の四極(しはつ)山を證として、『「とし極(はつ)る」の義なるべし。』と、いへり。契冲、眞淵も、「年極る」の義とするのみ。

 按ずるに、「しはす」は「としはつる」の義にあらで、「しねはつる」の略辭なるべし。この月は、農事、既に果て、耒耜[やぶちゃん注:「らいし」。「耒」は「鋤の柄」、「耜」は「鋤の刃」で、農具の鋤を指し、ここは農事一般の意。]に暇あり。調貢(みつぎもの)の新穀を斂め果ぬる[やぶちゃん注:「をさめはてぬる」。]ころなれば、「しはす月」[やぶちゃん注:「仕果つる」。]といふにやあらん。「月令」に、『季冬之月云々』。『命ㇾ晨計耦耕事、修耒耜田器、乃命四監。收秩薪柴。以共郊廣及百祀之薪燎』といへるにも、かなへり。

[やぶちゃん注:「礼記」の「月令」(私は「がつりょう」と読むのを常としている。「礼記」の中でも一年の農事の指標を示したものとしてよく知られる)の訓読を試みる。

   *

『季冬の月』、『晨(あした)に命じて耦耕の事を計り、耒耜(らいし)を修(をさ)め、田器を具(そな)ふ。乃(すなは)ち、四監に命じて、秩(ちつ)[やぶちゃん注:稲をしっかりと積み上げたもの。]・薪(たきぎ)・柴を收めしむ。以つて郊廣(こうかう)及び百祀の薪燎(しんりやう)を共にす』。

   *

「郊廣」不詳。「都城郊外の広野」の意か。「薪燎」は篝火。]

 右十二ケ月の異名、愚按の當否は、とまれ、かくまれ、すべて、農事のうへにかけて、倡ざるもの、あることなし。されば、いにしへの聖皇、農事をもて、年に命じ、月に名づけて、民に耕作を勸め給ひし善政、今に歷然たり。農は、司命の奴[やぶちゃん注:「ど」。]にして、その身、貴きにあらねども、そのわざの重きこと、何ものか、亦、これに加ん[やぶちゃん注:「くはへん」。言わずもがな、ここは反語。]。後世、「こよみ」といふものゝいで來しよしも、「民に、時をうしなはせじ。」との爲なれば、「正月」・「二月」と數んより、この異名をもて、農を勸めば、「こよみ」にも、ます、捷徑なるべし。さるを、後々に至りては、「藏玉」・「莫傳」・「祕藏」の諸集に、月の異名を、こちたく、出して、歌よますべき爲にのみ、せられしは、いかにぞや。

[やぶちゃん注:「司命」中国に於いて、本来、北斗七星の魁(かい)(桝(ます)の部分)の上方にある星座「文昌宮六星」の第四星を「司命」という。古来、「人間の寿命を司る天神」と考えられ、「楚辞」の「九歌」には「大司命」・「少司命」の二神が見え、文昌宮第五星の「司中」、第六星の「司禄」とともに、祭祀の対象とされた。特に道教では、人間の寿命台帳を管理し、人間の行為の善悪を監視する「三尸虫」(さんしちゅう:本邦の庚申信仰の核である信仰と関わる)や、竈神(かまどがみ)の報告に基づいて、寿命の増減を行う神と考えられた(以上は平凡社「世界大百科事典」に拠った)。

「捷徑」(せふけい(しょうけい)は「捷逕」とも書き、元は「目的地に早く行ける道・近道」で、転じて、「目的を達するに手っ取り早い方法」の意。]

 物の名義の多なるは、から國ぶりにて、紛れ易く、「物そこね」なる、わざにこそ、あれ。

 こは、「ひがごと」にやしらねども、

「この春はじめのまどひには、ふさはしかるべき事を。」

とて、ことふりにたる、とし月の、異名の考餘を綴るになん、多かる中に、ひとつ、ふたつ、取らるゝことの、ありもせば、新奇に走る怪誕に、いさゝか、ますよしも、あらんかし。

 文政九年丙戌春二月時正  瀧 澤 解 稿

[やぶちゃん注:私は、この馬琴の農事に従った月の異名説に諸手を挙げて賛同するものである。嘗て、私は古典の授業用にそうしたコンセプトで統一した農事秘訣に従った月の異名説を作り、生徒に配布したことがあった。古い紙ベースの資料(生徒の自作作品は別に保存してある)は総て九年前に廃棄した。古いデータを捜してみたが、なかった。少し残念な気がしている。もし、持っている元教え子がいたら、どうか、画像で送って呉れると嬉しい。多分、B5だと思うのだが。

「怪誕」(くわいたん(かいたん))の「誕」は「偽り」の意で、奇怪にして、出鱈目なこと・さまを指す。「兎園会」のメンツはそうした物がお好き。]

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