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2021/11/23

萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 拾遺詩篇 編者前書・「供養」 / 筑摩版「拾遺詩篇」所収の「供養」の別稿

 

   拾 遺 詩 篇

 

[やぶちゃん注:パート標題。この裏に以下の編註がある。]

 

編註 「愛憐詩篇」から『靑猫』に到る年代の作品中、雜誌に發表されただけで、既刊の何れの詩集にも收錄されなかつた詩は、既刊『遺稿詩集』に三十二篇、『氷島』に四篇を收めたが、なほ他に、十七篇の雜誌發表作品が蒐集された。このうちの「街道」は本卷「愛憐詩篇拾遺」に、「竹」は「蝶を夢む拾遺」[やぶちゃん注:二十鍵括弧なしはママ。]に編入し、他の一篇を除外した殘りの都合十三篇を、ここに「拾遺詩篇」として年代順配列した。これら作品の多くは、『月に吠える』收錄の「松葉に光る」とその作風が共通しており、その意味で萩原朔太郞のいふ「月に吠える前派」に該當する、ものである。

 

[やぶちゃん注:「既刊『遺稿詩集』」既に私のブログ・カテゴリ「萩原朔太郎」で全電子化注を終えたそれ。

「『氷島』に四篇」本コンパクト版の先行する「萩原朔太郎詩集Ⅲ 氷島」に収録された「遺稿詩篇」パートの「都會と田舍」「よき祖母上に」「紫色の感情にて」「我れ何處へ行かん」と、無題の(旅や味噌こしの)で、正確にには五篇である。リンク先は総て国立国会図書館デジタルコレクションの同書の当該詩篇。なお、詩集「氷島」は既に私のブログ・カテゴリ「萩原朔太郎」で全電子化注を終えている。

「一篇を除外した」除外した理由も不明なら、如何なる詩篇だったかも分からない。戦後の出版であるから、時局や公序風俗に抵触する作品とも思われない。不審。単に極めて短い断片であったものか、或いは、既に公開された詩篇と全く同じ内容の遺稿だったからかも知れない。

「『月に吠える』收錄の「松葉に光る」」この『月に吠える』は第三詩集『蝶を夢む』(大正一二(一九二三)年新潮社刊『現代詩人叢書』第十四編)の誤り。同詩篇は以下。底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本当該詩篇の表記に拠った。太字は底本では傍点「ヽ」。

   *

   松葉に光る


燃えあがる
燃えあがる
あるみにうむのもえあがる
雪ふるなべにもえあがる
松葉に光る
縊死の屍體のもえあがる
いみじき炎もえあがる。

   *

なお、本詩篇の初出は、筑摩版全集によれば、大正四(一九一五)年二月発行の『遍路』の題違いの「炎上」であるが、標題以外は異同がないので示さない。]

 

 

  供  養

 

女は光る魚介のたぐひ

みなそこ深くひそめる聖像

わが手を伸ぶれど浮ばせ給はず

額(ひたひ)にみどりの血をながし

われはおんまへに禮拜す

遠くよりしも步ませたまへば

たちまち路上に震動し

息絕ゆるまでも合掌す

にちにち都に巡禮し

もの喰まざればみじめに靑ざめ

おん前にかたく瞳(め)をとづる。

 

[やぶちゃん注:これ、詩の題名の後にあるべき行空けがなく詰っている。一ページに全詩篇を詰めて載せるための仕儀と思われるが、特異的に今まで通り、一行空けた。底本末の「詩作品發表年譜」によれば、初出誌を大正三(一九一四)年十一月発行の『詩歌』とする。しかし、筑摩書房版全集では、「拾遺詩篇」に載るものの、そこでは、同雑誌の同年七月号とし、しかもその初出とは微妙に異なる箇所がある。以下に示す。

   *

 

 供養

 

女は光る魚介のたぐひ

みなそこ深くひそめる聖像

われ手を伸ぶれど浮ばせ給はず

しきりにみどりの血をながし

われはおんまへに禮拜す

遠くよりしも步ませたまへば

たちまち路上に震動し

息絕ゆるまでも合掌す

にちにち都に巡禮し

もの喰(は)まざればみじめに靑ざめ

おん前にかたく瞳(め)をとづる。

 

   *

有意な異同から、これは初出のそれではなく、発見された同詩篇の草稿と推定される。

 また、筑摩版全集の『草稿詩篇「拾遺詩篇」』に、この「供養」標題違いの以下が載る。歴史的仮名遣の誤りはママ。

   *

 

  女人崇拜

 

女は光る魚介のたぐひ

みなそこ深くひそめる聖

わが手を伸ぶれど浮ばせ給はず

額(ひたい)にみどりの血をながし

われはおんまへに禮拜す

遠くよりしも步ませたまへば

たちまち路上に震動し

いき絕ゆるまでも合掌す

しきりに都に巡禮し

ものはまざればみぢめに靑ざめ

おん前にかたく瞳(め)をとづる。

 

   *

これとも一致を見ない。]

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