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2021/11/07

曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 風流祭

 

[やぶちゃん注:目次では、この発表は『海棠庵編 西原晃樹』とする。本編冒頭の大槻氏の解説によれば、彼はまた、別な会員の『松蘿舘』西川好和の親族ともあり、また、この西原晃樹は『柳河人』とあり、ネットで調べると、柳川藩の国学者のようである(とすれば名の読みは「てるき」か)。幕本記載の祭礼舞踏の旧筑紫に出身地が一致する。「風流祭」は本文ですぐに出る通り、「ふりうまつり」(ふりゅうまつり)と読み、これは起原が古いが、所謂、芸能としてのそれが全国に広がって行くのは、平安末期と考えられているようである。詳しくは、ネットの「コトバンク」の「風流祭」の小学館「日本大百科全書」の解説が詳細を極めるので見られたいが、例えば、ウィキの「風流踊」も参考になろう。さらに、その系統と関係がありそうなウィキの「筑紫舞」の内容を見ると、『筑紫傀儡子(つくしくぐつ)と呼ばれる人々によって古来伝承されてきたとされる、伝統芸能』で、とあり、「傀儡子」は、添えられた図で躍り手が、皆、面を被っているように見える事実と親和性が認められ、さらに、『跳躍や回転を取り入れた、独特の足づかいを大きな特徴とした舞である』あるというのは描かれた図の踊り手たちのポーズと一致するように思われる。ただ、この筑紫舞について、『その起源は古く』「続日本紀」の天平三(七三一)年の『記事にその名を見ることができ』、『以来、神舞、くぐつ舞など、何種類かに分類される二百以上の舞が、すべて口伝によって伝承されてきたと云われる(ただし、木に記号なども刻んでいたらしい)』とあることから、所謂、「風流祭」の踊りとしては最古層に属するもののようである。図は底本のものをトリミング補正した。図の標題は「風流祭りの圖」で、右の大太鼓の上に設えられた幣が首のように婦人の服のようなものから突き出ているのだが、その右手にキャプションで『女の帯をもてかさる』(飾る)と記されてあるのが、民俗学的にも興味深い。やや長いので、段落を成形した。なお、文中に出る短歌や「風流祭」の詠歌は四字下げであるが、引き上げた。]

 

Hurtu

 

   ○風流祭

 つくしの道のしりの國に、「ふりう」といふ神わざ、有りけり。そは八月より、なが月かけて、新しね(稻)[やぶちゃん注:「ね」或いは「しね」への漢字ルビ。]を苅り得て、はつ穗のかけちから(懸税)[やぶちゃん注:「かけちから」への漢字ルビ。「懸税」とは上代に於いて、稲の初穂を、穂のままに、青竹に懸けて、神に供えたもの。神税(かんちから)などとも呼ぶ。]をたむけに、ひらほりの[やぶちゃん注:「ひらほり」の右に『(本ノマヽ)』とある。意味不詳。]しろ酒をかみて、處々の產神の御社にぞ、ものすなる。年ごとの定まれる目次[やぶちゃん注:祭礼次第を決めたもの(口伝或いは文書)の意であろう。]もあり。はた、稻ども、みな、納めたる後に、祭るもあり。あるは、その月の初に、神鬮[やぶちゃん注:読みは「かみくじ」か。]といふ事して、日を、うら問ふもあり。されば、二度の月、見るころは、

「けふは、くれの邑、あすは彼のさとの。」

など、いひのゝしりて、民のかまどは、けぶり、にぎはしく立ちけぶる成りけり。

 殊に、

「ことしは、豐けきたのみを得たれば。」

と、かねてより、悅びあへれば、いとゞしく競ひつゝなん、ものする。

 こゝかしこのさまども、見あつむるに、いさゝかづゝのたがひめはあなれど、大かたはおなじさまにぞ有りける。

 みこし(神輿)[やぶちゃん注:漢字ルビ。]など、かきいだす前に、傘鋒[やぶちゃん注:「かさほこ」か。]といふものを立てゝ、御社の前に居て、大なる鼓に向ひ、撥を額に當て、おなじさまに、そうぞきて、面持・足ぶみ、いと、しづけくて、歌をなん、うたふ。さて、かたへのものども、付きてうたふは、「諸あげ」[やぶちゃん注:「諸擧げ」で、古代歌謡の歌い方の一つ。本(もと)・も末(すえ)も、ともに調子をあげて歌うことを言う。]と、いひつべし。謠ひ終るを待ちとりて、うつなるが、「女撥」・「男撥」などいふ名ありて、打手ども、飛びちがひ、入りかはりつゝうつに、拍子、いさゝかも、たがはず、聲を揃て、

やおは。」[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。]

と、「はやしごと」して、打つに、笛に鼓・鞨鼓やうのもの、合するも有り、鉦をも交へうつも有り、神々しさ、いはんかたなし。「里かぐら」とも、いひつべく、いにしへめきたり。

 かくて、みこし、かき出だすより、御跡に立ちて、うつを、「道ゆき」といふ。拍子、又、ことなり。

 橋を渡るときは、又、拍子をかへて、橋がゝりにて、二かへり、三かへり、あそびて、ゆくなり。

 又、別神の社の前をわたるにも、かたのごとく、手向つゝゆくに、村長が門のべには、かねて、大舂[やぶちゃん注:「おほうす」と読んでおく。「大臼」。]をなん、持ち出て置くなるは、太鼓を、すうる、まうけ成りけり。

 こゝにても、かしこにても、二歌、三歌ぞ、まひ、あそぶなる。

 かくしつゝ、日暮れて歸りては、曉かけて遊ぶなれば、こゝかしこの、つゞみの音、よる、ひる、たえまもなくぞ、聞ゆる。

 豐秋を神にまをすとさとかぐら月のよかけて鼓うつなり  晃樹

又、おなじこゝろをよめる、

 豐秋の稻かり月と露にぬれ時雨にぬれて立てる民はも

 夕月の影も利鎌にかよふまで秋の山田を苅りくらしつゝ

[やぶちゃん注:老婆心乍ら、「利鎌」は「とがま」と読む。]

 いにし年、江戶に在りけるをり、山東醒齋に問ひとはれ、なにくれの物語せし序に、風流祭のことを語り出でたるに、いとよろこぼひて、ほご(反故)[やぶちゃん注:漢字ルビ。]の中より、とり出でて見せらるは、右の記を引きて、「風流渡大路云々」・「傘鉾如常云々」とかいふ事、ありしと、おぼゆ。

[やぶちゃん注:「山東醒齋」(さんとうせいさい)は、かの知られた戯作者山東京伝(宝暦一一(一七六一)年~文化一三(一八一六)年)のこと。本名は岩瀬醒(さむる)。「醒齋」は号。江戸深川の生まれで、後に京橋銀座一丁目(新両替町)に「京屋」という小間物屋を開いていた商人である。煙管・紙製煙草入れなどを商い、その傍ら戯作を著述した。]

 又、醒齋語らるゝ、

「今は、大城の御能に、としあるとき、『蓬萊風流』とか、『鶴龜風流』などやうに稱へて、鷺・大藏などいふ、家の子の、ものすなる。これは、いにしへの神祭にせし風流の、纔に殘れるなりけり。」

と、かたりき。

[やぶちゃん注:「大城」江戸城の美称。

「としあるとき」豊作であった時。

「鷺」鷺流は狂言師の一流。徳川家康のお抱え狂言師となった鷺仁右衞門宗玄が一代で築き上げた流派。宗玄は、もとは山城国猿楽系の長命座に属していたが、長命座が金剛座に吸収されてからは、宝生座に移り、慶長一九(一六一四)年に家康の命令で観世座の座付となったのを機に一流を成した。家康に寵愛され、大蔵流を差し置いて、幕府狂言方筆頭となって以降は、江戸時代を通じて狂言界に重きをなした。

「大藏」同じく狂言の一流。猿楽の本流たる大和猿楽系の狂言を伝える唯一の流派で、代々、金春座で狂言を務めた大藏彌右衛門家が室町後期に創流した、能楽狂言最古の流派。

 以下、「み山に云々」まで底本では全体が一字下げ。但し、馬琴の挿入注は私は「思ふのみ。」までで、「風流祭に謠ひ來し歌」は西原によるものと採る。]

 解云、「この風流祭は、いにしへの」『田舞』[やぶちゃん注:「たまひ」。古代の儀式舞踊の一種。民間の田植行事に行われていた歌舞を宮廷に取り入れ、大嘗会などで行った。今日では大阪の住吉大社などに伝えられているに過ぎない。]のなごりなるべし。『田舞』のこと、拙考あるも、いと長やかなれば、いとまあるをりに別にしるすべう思ふのみ。」。

[やぶちゃん注:馬琴の田舞のそれは不詳。]

 風流祭に謠ひ來し歌

 高き屋にのぼりてみれば煙たつ民のかまどは「二遍にぎはひにけり

 君が代の久しかるべきためしにはかねてぞ植ゑし「二遍住しの松

 長からうさゝげの花はながからでいらぬ栗の花のながさや

 さゝぐりのさゝにはならで「二遍柴にこそなれヤリオリハリ いせ人はひがごとしけり

 といふ句、うたはず。

 家持歌 かさゝぎの云々

 庭燎歌 み山には云々

[やぶちゃん注:「さゝぐり」「笹栗」「小栗」で「実の小さい栗」の意。種としてのクリの原種である「柴栗」「山栗」の異名。

「といふ句、うたはず。」というのは、直前の「いせ人はひがごとしけり」という俚言歌は禁忌であるということであろうか。

「家持歌 かさゝぎの云々」「百人一首」(六番)で知られる大伴家持の一首、「新古今和歌集」の「巻第六 冬」の(六二〇番)

 かささぎの渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける

「庭燎歌 み山には云々」「庭燎歌(にはびうた)」は宮中神楽の一曲。ここは中でも「古今和歌集」の「神遊の歌」の中の採物の歌の、

 みやまには霰(あられ)ふるらし外山(とやま)なるまさきのかづら色づきにけり

を指す。]

 こは、

「風流祭のさまを畫にかきてよ。」

と、公和の乞はるゝまゝに、そのあらましのかたちをかきたるに、又、

「その言書をも。」

と、そゝのかされて、端には、しるしつるなり。いと、にはかにものしつれば、いはまほしきことも、おほかたはもらしつ。 西原 晃樹

[やぶちゃん注:以下、底本では最後まで全体が一字下げ。]

 この記事は、このごろ、つくしの梭江より贈りこしゝなりけり。兎園のまとゐにも、此會、既に終りなれば、

「なにをがな、しるしつけなん。」

と、かねては、おもひ起しゝかども、いぬる月のなかばごろより、いといと、事の蝟集して、これかれ、搜し索め得ず。はや、けふにもなりぬれば、せんかたなさの、一、二條をとう、出て、社友の席末に披講すと云ふ。

 文政乙酉嘉平朔         海案庵再識

[やぶちゃん注:「梭江」「ひこう」と読んでおく。ネット上の書誌を見るに、松蘿館西原好和の号と思われる。

「嘉平」(かへい)は元は中国で陰暦十二月に行なわれた祭儀の名。臘祭(ろうさい)とも。転じて、十二月の異名となった。臘月に同じ。]

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