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2021/11/02

「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 龍宮城 / 筑摩版全集の「みなそこの都會龍宮城」の別草稿

 

  龍 宮 城

 

瞳はぬるる

われの行く手に

ながるるごとく路遠み

七つの窓ぞつらなれる

窓には七つの魚をかけ

そのしろがねのうろこもて

月光の都を泳がしむ

 

せはしなき影のゆきかひ

あはれまた建築ののくちゆるね

そこはかとともしびの銀紙になげき

ほのかなる巷路のかげに

菫ばな光り光りてむらがるけはひ。

 

ああこよひわがたましひは

廓橋哀しさすみて

ふんすゐのひびきをみつめ

見も知らぬみなそこの靑き都會に

漏刻のひびくをぞきく。

 

[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。底本では、推定で大正三(一九一四)年の作とし、『遺稿』とある。筑摩版全集には同題の詩篇はないが、「未發表詩篇」に酷似した「みなそこの都會」「龍宮城」(並置標題)がある(後掲)。

 第二連の「廓橋」は不審がある。まず、この「廓橋」(「くるわばし」か)は、非常にレアな橋名・地名であり(あることはある)、一読、

『これは「廐橋(まやばし)」の誤字・誤判読・誤植ではないか?』

と考えた。

 何故か?

 先行する「遠望」に注したように、「廐橋」なら、現行は「厩橋」で「まやばし」と読む。旧上野国中央の利根川左岸の群馬郡の旧地名で、もと「うまやばし」だったものが、「う」が脱落して「まやばし」となり、さらにこれが江戸初期に「まへばし」から「前橋」と記されるようになって定着、現在の群馬県前橋市の名に引き継がれてある地名として知られているからである。但し、由来は諸説あって、東山(とうさん)道の「群馬駅」(くるまのえき)近くの川(利根川の前身)に架けられた橋の名から起こったともされる。

 だが、知られた詩碑にもなっている萩原朔太郎の名詩篇「廣瀨川」(私の「萩原朔太郎 氷島 初版本原拠版 附・初出形 廣瀨川」を参照)に掛かる実在する橋の名でもあるのである。

 この碑がある場所(ストリートビュー地図附)のごく上流直近に国道十七号が通るが、そこに架橋されている橋が「厩橋」(グーグル・マップ・データ)(橋自身は「うまやばし」(ストリートビュー)とある。漢字表記の橋名は画像が悪いが、対岸右で同前でこれである。「がんだれ」と確認出来る)而して、萩原朔太郎の生家跡は、この「厩橋」から南南西に四百メートル弱のここであって、彼にとっての愛憎半ばしつつも懐かしい郷里の核心的詩的フィールド圏内であるからである。

 しかし、この私の推理には一見、弱点があると言われるかも知れない。本詩篇では、「月光の都會」に詩人は、いる。しかも、最後から二行目で、詩人は「見も知らぬみなそこの靑き都會」とそこを形容している。もしここが前橋の「厩橋」を指しているとせば、それを「都會」と称し、しかもそこを「見知らぬ」「都會」とは言わないだろうという反論である。

 だが、言うまでもなく、この「都會」とは、「窓には七つの魚をかけ」「そのしろがねのうろこもて」「月光の都を泳がしむ」奇体な「都會」なのであり、「見も知らぬみなそこの靑き都會」なのであって、現実の世界ではない、まさに「廣瀨川」の水底(みなそこ)に「龍宮城」を詩人は幻視しているのである。

 例えば、老婆心乍ら、言っておくと、これを東京の隅田川に掛かる巨大な「厩橋(うまやばし)」の誤りと読む読者がいるだろう。海も近い。龍宮城もしっくりくるように見えてしまう。しかし、私はそれは詩想に於いて、そのロケーションは全く採れないのである。

 そもそも龍宮城は、民俗伝承では古くから、内陸の琵琶湖にも、峨々たる深山の溪谷の川や小流れや泉にさえも、その通路を持っている水を通底器とする異界なのである。前橋の「廣瀨川」は立派に龍宮城へと繋がる装置としての呪的な意味に於ける「水」「水底」が立派にあるのである。

 無論、萩原朔太郎のお好きな方なら、初めから、『前橋の厩橋の誤りに決まってる』と考えておられよう。そういう方には、釈迦に説法――失礼致した。私は、あくまで、若い、この詩篇に初めて触れるであろう読者のために、以上の、言わずもがななことを言ったのだ、と弁解しておこう。

 次に二連目の「巷路」の読みの問題がある。恐らく、最も知られたものでは、「殺人事件」(私の『萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 殺人事件』を参照)「街の十字巷路(よつつぢ)を曲つた。」がある。されば、「つぢ」とも読めるが、他に「かうぢ」・「かうろ」とも読む。確定は不能である。ルビを振らなかったことを考えれば、後者の孰れかか。判らぬ。

 なお、「のくちゆるね」フランス語の「ノクチュルヌ」(nocturne)の朔太郎独自の音写であろう。「夜想曲」。

 最後に最初に言った筑摩版全集の「みなそこの都會」「龍宮城」(並置標題)の本篇の酷似した別草稿を示す。太字は底本では傍点「﹅」。歴史的仮名遣の誤りはママ。

   * 

 みなそこの夜の 影の都會の夜曲、

 靑き都會、龍宮城

 

┃なそこふかみ思はしづみ、

┃ながるる如く、ぬれ瞳をこらすさもしめやかにわがはぬるゝをこらす

┃わが行く路に七つの窓ぞつらなれる

┃はぬるゝ

┃われの行く手に

┃ながるゝごとく路遠み

┃七つの窓ぞつらなれる

[やぶちゃん注:「┃」「↕」は私が附した。前者と後者が並置残存していることを示す。]

窓には七つの魚をかけ

そのしねがねのいろこもて[やぶちゃん注:「しねがね」は底本校訂本文では「しろがね」と訂している。]

月光の都會を泳がしむ

せわしなき影のゆきかひ、[やぶちゃん注:「せわしなき」はママ。]

あはれまた 形なきあはれまた建築ののくちゆるね

あわれそこはかとともしびの銀紙になげき

ほのかなる巷路のかげに

菫ばな光り光りてむらがるけはひ

 

ああこよひわがたましひは

廓橋の哀しさすみに[やぶちゃん注:校訂本文はまさしく「厩橋」とする。]

音もなきふんすゐのひゞきをみつめ

形なきいさならの泳 ぐを嘆き

しめやかに 額を 想ひをぬらし

みも知らぬ 都の→世界の 水の見も知らぬみなそこの靑き都會に、

砂時計漏刻のひゞきを★きけり//ぞきく★

[やぶちゃん注:「★」「//」は私が附した。「きけり」と「ぞきく」が並置残存していることを示す。]

 

   *

なお、編者注があり、『題名の上部に「水底」とある。一行目下部に「綠酒(リキール)盃(グラス)玻璃杯」[やぶちゃん注:「リキール」と「グラス」はルビ。]とある(リキールはリキュール)。また、』として、「月光の都會を詠がしむ」の下部に「★綠金//乳綠★の魚ら泳げり」(記号は同前)とあるという旨の記載がある。]

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