譚海 卷之四 羽州秋田領湯澤百姓聟宇治茶師子どもの事
[やぶちゃん注:物語風なので、特異的に段落を成形した。その関係上、特異的に読点や記号を追加してある。]
○羽州秋田領湯澤といふ所に、百姓某(なにがし)なるもの、豪富なるもとに、上方より來(きた)る奉公人、年來(としごろ)、篤實に仕へしかば、夫婦、相談して、一人ある女(むすめ)にめあはせて、むこにしたり。いよいよ、順(したがひ)、よく相續しければ、今は、此ものに家督をゆづり、老夫婦隱居の身になりしかば、
「一とせ、西國順禮ながら、上方一見にのぼらん。」
と、せしかば、此むこ、去年春より、みづから、庭に、わづかなる茶の樹をうえ[やぶちゃん注:ママ。]、葉つみ、人手にかけず、心に入(いれ)てこしらへあげたる茶を、紙一包(ひとつつみ)ばかりに出來けるを、ことし出たつ比(ころ)、兩親にあたへ、申けるは、
「京都在留の間に、宇治へおはさば、何とぞ、此茶を、其(その)しるしある『のうれん』かけし茶師のもとにおはして、此茶を、其あるじに見せ給ひて、
『いかに、できかた、よろしく候や、あしく候や。』、評判をうけて給り候へ。」
とて、わたしぬ。
さて、老夫婦、上京して、宇治へ行(ゆき)たるとき、彼(かの)茶の事をおもひ出して、そのしるしある「のうれん」の家へ、たづね至り、
「これは、わが子なるものの製せし茶にて侍り。よく出來候ひたるや、あしきや、見てもらひたき。」
由(よし)申ければ、下女・下男、
「をかしき事を云(いふ)人哉(かな)。いかにとも、見わかるべきやうも、あらず。」
とて、うけがはず、問答に及(および)たり。
その家のあるじ、聞付(ききつけ)て、立(たち)いで、老夫婦に逢(あひ)、さて、その茶を受取(うけとり)て、紙をひらき、一目見るより、淚を、
「はらはら」
と、こぼして、云(いふ)やう、
「是は。まさしく、われらが子共(こども)の製(せい)したる茶に、うたがひ、なし。此茶の製(せい)しやうは、わが家(や)の、一子相傳の製し方にて、外にしるもの、侍らず。さては、そこの子共といはるゝものは、我が子にして、前年、ほうらつ[やぶちゃん注:「放埒」。]に身をうしなひ、いづちともなく、行方しらず成(なり)たりしかば、かならず、はるばるの國にくだりて、そこの子になり侍りぬる事。」
とて、いそぎ、夫婦を内へともなひ入(いれ)、二、三日、ねもごろに、あひしらひ、いとまこひ、わかるゝとき、金子五兩、夫婦に合力(かふりよく)せしとぞ。
不思議なる物語也。
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