萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 偶成
偶 成
かなしくも故鄕(ふるさと)にかへり居て
うたつくりとは成りはてにけむ
この日、町のはづれをさまよひしが
しんとせる心になりてかへりたり
きのふ びあぜれの繪をながめ
けふは蓄音機のしよぱんを聽く
わが田舎ずまひは何といふ心やすさぞ
窓には茴香の花咲けり。
[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。
「びあぜれ」は、まあ、このカタカナ音写で「繪」描きとなれば、かのイギリスのイラストレーター(ワイルドの「サロメ」のそれで知られる)として有名な、ヴィクトリア朝世紀末美術を代表する作家オーブリー・ヴィンセント・ビアズリー(Aubrey Vincent Beardsley 一八七二年~一八九八年)としてよかろう。
「茴香」は「ういきやう」でセリ目セリ科ウイキョウ属ウイキョウ Foeniculum vulgare。花の花期は七~八月で、枝分かれした草体全体が鮮やかな黄緑色のその茎頂に、黄色の小花を多数つけて傘状に広がる。
本詩篇は、筑摩版全集では、この題名では載らないが、どうも一度、このフレーズは読んだ記憶があったので、調べてみたところ、「習作集第八卷(愛憐詩篇ノート)」の中に、「ふるさと」という標題である詩篇の一節と酷似する(相同ではない)ことが判った。以下に示す。七行目「いつもごとく」及び「茴香(ういぎやう)」の読みはママ。
*
ふるさと
赤城山の雪流れいで
かなづるごとくこの古き町にはしりいづ
ひとびとはその四つ辻にあつまり
かなしげに犬のつるむを眺め居たり
ひるさがり
床屋の庭に石竹の花咲きて
われはいつもごとく本町裏の河岸を行く
うなだれて步むわがうしろに
かすかなる市びとのさゝやききこえ
人なき電車はがたこんと狹き街を走れり行けり
わがふるさとの前橋
△
かなしくもふるさとに歸り居て
うたつくりとは成りはてにけむ
この日町のはづれをさまよひしが
しんとせるこゝろになりてかへりたり
きのふびあぜるの繪をながめ
けふは蓄音機のしよぱんをきく
わが田舍ずまひはなにといふ心やすさぞ
窓には茴香(ういぎやう)の花も咲けり
(十九、五、一九一三)
*
「かなづるごとく」「奏づる如く」で「舞いを舞うかのように」の意。
「石竹」ナデシコ目ナデシコ科ナデシコ属セキチク Dianthus chinensis 。初夏に紅・白色などの五弁花を咲かせる。葉が竹に似ていることが名の由来とされる。中国原産。
「いつもごとく」はママ。底本の固定本文では、『いつものごとく』と校訂されてある。
なお、編者注があって、『「△」の下にSBと記されている。』とある。なお、本詩篇の第一連は(というより、以上の署名らしきものの位置から見て、「△」以下の後半は別個な無題詩篇と考えることも出来る)、独立して改作され、大正二年十月六日附『上毛新聞』に、「ふるさと」として「夢みるひと」のペン・ネームで、以下のように初出している。三行目「辻(つぢ)」、八行目「わか」、九行目「さゝやきこへ」はママ。
*
ふるさと
赤城山(あかぎやま)の雪(ゆき)流(なが)れ出(い)で
かなづる如(ごと)くこの古(ふる)き町(まち)に走(はし)り出(い)づ
ひとびとはその四(よ)つ辻(つぢ)に集(あつ)まり
哀(かな)しげに犬(いぬ)のつるむを眺(なが)め居(ゐ)たり
ひるさがり
床屋(とこや)の庭(には)に石竹(せきちく)の花咲(はなさ)きて
我(われ)はいつもの如(ごと)く本町裏(ほんまちうら)の河岸(かし)を行(ゆく)く
うなだれて步(あゆ)むわか背後(うしろ)に
かすかなる市人(いちびと)のさゝやきこへ
人(ひと)なき電車(でんしや)はがたこんと狹(せま)き街(まち)を走(はし)り行(ゆ)けり
我(わ)が故鄕(ふるさと)の前橋(まへばし)
*
さて。本篇は前者「習作集第八卷(愛憐詩篇ノート)」の「ふるさと」の後段と酷似しているものの、相同ではなく、さらに、本底本の「初期詩篇」パートの解説の「制作年代」の末尾を、再度、見てほしい。
*
「偶成」以下の三篇は、未發送に終つた手紙に、自作詩の解說として書かれてゐたもので、制作年代はやはり明治末年のころから大正改元のころと思はれる。
*
則ち、小学館版の本篇のソースは「習作集第八卷(愛憐詩篇ノート)」とは別の未発信書簡に記された詩篇であり、「習作集第八卷(愛憐詩篇ノート)」にあるクレジット「一九一三」(大正二年)よりも以前に独立して記された別草稿である可能性が浮上してくることになるのである。]