曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 瞽婦殺賊
[やぶちゃん注:「こふさつぞく」と読んでおく。]
○瞽婦殺賊
近比の事なり。武州忍領の邊へ、冬時に至れば、越後より來る瞽婦の、三絃を彈じて、村々を巡りつゝ、米錢を乞ふありけり。或冬、忍領の長堤を薄暮に通過せるに、忽、後より呼び掛くるものも[やぶちゃん注:ママ。衍字か。]あり。瞽婦、(編者曰、此處もまた脫字あるべし。)
卽、自ら吹くところの管頭(ガンクビ)[やぶちゃん注:以下の展開から煙管(きせる)のそれであろう。]を指し向くるに乘じ、瞽婦、摸索し、我が烟草[やぶちゃん注:「たばこ」。]に火の通ぜざるまねして、「大人、口づから、吹きたまへ。」といふ。盜[やぶちゃん注:「ぬすびと」と訓じておく。]、何の思慮もなく、力を入れて吹くに及びて、其機を測り、忽ち、盜の烟管を握り、躍り掛りて、力に任せて、咽喉を突く。盜、不意を討れて、大に狼狽して、仰けに倒れぬ。瞽婦、直に、我が縕𫃠[やぶちゃん注:「をんばう(おんぼう)」で、あろうが、「縕袍」の誤字であろう。綿を入れた着物。綿入れ。どてら。「おんぽう」とも「どてら」とも読める。]を摸取し[やぶちゃん注:身軽に逃げるために、着ているどてらからさっと抜き出したことを言うのであろう。]、虎口を遁れて、兼ねて知れる村家に投宿し、右の狀を話す。翌朝、村人、堤上に來て見るに、盜、遂に一烟管の爲に、急所を突れて、死せり、と云ふ。七尺の大男子、一瞽婦に殺さる。又、天ならずや【武州忍の在なる、古次郞といふ者の話なり。】
遯庵主人記
[やぶちゃん注:「武州忍領」「ぶしうおしりやう」。忍藩(おしはん)は武蔵国埼玉郡にあった藩。藩庁は忍城(現在の埼玉県行田市本丸。グーグル・マップ・データ)にあった。
「後より呼び掛くるものもあり」ママ。後の「も」は衍字か。
「(編者曰、此處もまた脫字あるべし。)」これは底本本書の親本である昭和二(一九二七)年から四年にかけて、関根正直・和田英松・田辺勝哉監修によって出版された際の編集者の挿入と思われる。確かに、展開に不全がある。
「管頭(ガンクビ)」以下の展開から煙管(きせる)のそれである。
「烟草」「たばこ」。
「大人」「だいじん」。
「盜」「ぬすびと」と訓じておく。
「縕𫃠」「をんばう(おんぼう)」で、あろうが、「縕袍」の誤字であろう。綿を入れた着物。綿入れ。どてら。「おんぽう」とも「どてら」とも読める。
「摸取し」身軽に逃げるために、着ているどてらから、さっと、抜き出したことを言うの「七尺」二・一二メートル。当時としては破格に背が高い。
「天」天道が罰したこと。]