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2021/11/18

曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 賀茂村の坂迎ひ

 

   ○賀茂村の坂迎ひ  京 角鹿比豆流

『「伊勢太神宮の廣前に、太々神樂、捧げ奉る。」とて、かの御社に、春每、參詣する事、六十六國に殘る處も、なし。都の町々、近き村里、老たるも、若きも、かたらひつゝ、二十、三十、あるは百にも滿てる人の、願、はて、家に歸る日、家族・うから・したしきかぎり、逢坂山の「水うまや」に集ひ、待酒、汲かはし、宴をなす。是を「坂迎」といふ。こゝより、家までのかへるさ、迎の人と共に、謠ひつれて、都の町、くだりさわぎ行く事、引きもきらず。こをみる人、大路に立ちつゞけり。三月廿一日、上賀茂の一群、松林の加茂塘[やぶちゃん注:「かもづつみ」。]をすぐるに、鞍馬口の、乞食の兒等、いでゝ、錢を乞ふ事、頻りなり。加茂村の百姓、「さか迎」の日、「唐坂」といふ菓子二ツづゝ、あたへ、また、人數、こゝらなれば、菓子の代に、「あし」一筋あたふるが、古き例なりとかや。酒に醉ひしれたる若人、戲れて、何れのわいためもなく、叱り、さいなみ、子等があたまを、叩けり。かれらが事なれば、やがて「わ」と泣きて、「賀茂もの、しか、たゝきたり。」と告げしかば、折から「御影供」とて、乞兒も酒のみゐたるが、やがて、はやりかに走りいでゝ、六、七人、追ひ來りて、のゝしる。双方、酒力を借りて、いとゞかしましな。かたゐ、追々、はせ集り、八十人にも、およべり。「賀茂のやつら、一人もかへさじ。」とて、礫石[やぶちゃん注:「つぶていし」。]、雨の如く投げ出だして、おめき、さけぶほど、五、六十人の賀茂人、すべき樣なく、旅脇差、ぬきいだして、こゝはしひ[やぶちゃん注:底本に右に『(マヽ)』傍注がある。]などするほどに、刀底に損れしもの、礫にて、いためられたる人も、おほく、相引に引きたり。後の日、鞍馬口の小屋の頭ども、「不潔なるもの共、所を追放つべき[やぶちゃん注:「おひはなつべき」。]。」よしにて、詑たれど、「賀茂がたも、狂水におかされて、まさなき事や、ありけん、めで度、神詣の歸るさなれば、たゞおだやかなれ。」とて、事は、すみたり。』と、三谷吾雲が物語りけると、荷田の信美大人の「口づから」を、しるし侍るなりけり。

[やぶちゃん注:発表は客員の青李庵。

「坂迎」(さかむかへ)は「境迎へ」とも書き、一般的な広義では、旅から郷里に帰る人を国境・村境などに出迎えて供応する儀礼を指す。京の人は特に伊勢参宮などから帰京する知人・親族を逢坂の関まで出迎えるのが習いであった。別に「酒迎へ」「さかむかひ」とも称した。伊勢詣での「晴れ」の時空間を最後に共有することで、迎えた相手にも幸いが到ると考える共感呪術的イニシエーションと思われる。ここではそれを賀茂村でロケーションし、賀茂村と鞍馬口の被差別民の別個な集団であったそれぞれの「ほかひびと」(乞食)の「ちゃちゃ」と闘諍と後始末の「晴れ」を以って和解するという事情を絡ませて興味深い話柄である。

「逢坂山」ここ(グーグル・マップ・データ)。

「水うまや」「水驛(みづうまや(「むまや」とも))」。第一義的には「水路の宿場・船の停泊する所」であるが、ここは「街道の宿や茶店」の意で、人が飲食したり、馬に水を飲ませたりするところからかく称した。

「三谷吾雲」不詳。

「荷田の信美」(かだのぶよし 寛延三(一七五〇)年~文政一〇(一八二八)年)は歌人。京出身で京の伏見稲荷大社の神職。小沢蘆庵門下で、上田秋成とも親交があった。本姓以外に羽倉(はくら)を名乗った。]

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