萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 遺稿詩篇 センチメンタリズムの黎明 / 筑摩版全集所収の同題の詩の別稿
センチメンタリズムの黎明
どんな太陽の前にも怖れない
ちいさい、するどい
おお、私はラジウムを生む。
光の光
靈の靈
勁力の元子
科學の精髓
センチメンタルの實體
あらゆる美しいものの中で
もつとも美しい光輝體
それを、私の母體が生む。
母體は透明な玻璃のやうにいちめんに螢が光つて居る。
螢が光つて居る。
[やぶちゃん注:「ちいさい」「元子」(「げんし」であるが、私は、誤字ではなく、物理学上の「原子」を朔太郎なりの宇宙・神霊観(元素認識)で言い換えた確信犯と採っておく)はママ。筑摩書房版全集では、同題の詩篇が「未發表詩篇」に載る。以下に示す。誤字(「合唄」。「合唱」と思われる)や歴史的仮名遣の誤り(多数ある。なお、「そうびいろ」は「さうびろ」(薔薇色)で「さうびいろ」が正しい)は総てママである。
*
センチメンタリズムの黎明
(感想)
私の母體が合唄するラジウムをうむ
どんな大きな太陽の前にも怖れない
ちいさい、するどい
おお、私はラジウムを生む。
光の光
靈の靈
動力の元子
科學の精髓
センチメンタルの實體
あらゆる美しいものゝ中で
もつとも美しい光輝體
それを、私の母體が生む。
母體は
母體は玻璃のやうに透明だ透明な玻璃のやうに だに螢がいちめんに光つて居る からだ中が螢いちめんに螢が光つて居る、
あまたの 靑白い螢が、靑白く ユウレイのやうに光つて居る。
……………………
いまきけ
いま、あけぼのゝ遠い地平線で
幽かな幽かな、赤ん坊(ぼ)の泣聲合唄がきこゑる
おゝ見給ヘ
黎明のそうびいろの空に
感傷の純金の母體がうつ映つて居る
それは歡喜と苦痛にふるへながら
第一の奇蹟の扉のまへに合掌して居る
私の、おお、私のほんとういぢらしい
ほんとうの、センチメンタリズムの姿だ。
――八月十六日ノ日記ヨリ――
*
整序すると(「合唄」だけは「合唱」とした)、
*
センチメンタリズムの黎明
(感想)
私の母體がラジウムをうむ
どんな太陽の前にも怖れない
ちいさい、するどい
おお、私はラジウムを生む。
光の光
靈の靈
動力の元子
科學の精髓
センチメンタルの實體
あらゆる美しいものゝ中で
もつとも美しい光輝體
それを、私の母體が生む。
母體は透明な玻璃のやうにいちめんに螢が光つて居る、
螢が、光つて居る。
……………………
いま、あけぼのゝ遠い地平線で
幽かな幽かな、赤ん坊(ぼ)の合唱がきこゑる
見給ヘ
黎明のそうびいろの空に
純金の母體が映つて居る
それは歡喜と苦痛にふるへながら
第一の奇蹟の扉のまへに合掌して居る
おお、私のいぢらしい
ほんとうの、センチメンタリズムの姿だ。
――八月十六日ノ日記ヨリ――
*
となる。本篇との異同は(踊り字は問題にしない)、筑摩版には、
・題の添辞「(感想)」があること。
・冒頭に独立一行の「私の母體がラジウムをうむ」の第一連が存在すること。
・「母體は透明な玻璃のやうにいちめんに螢が光つて居る、」と行末が読点であること。
・「螢が、光つて居る。」の次の「……………………」のリーダ以降のコーダがごっそりと存在しないこと。
・最後に附された月日入りの後書が存在しないこと。
である。以上から、私は本篇は筑摩版が拠った原稿とは異なる別稿と考える。なお、月日は筑摩版全集の「未發表詩篇」の位置からは、大正三(一九一四)年かと推測される。]
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