萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 拾遺詩篇 受難日 / 筑摩版「拾遺詩篇」所収の「受難日」の草稿
受 難 日
受難の日はいたる
主は遠き水上(みなかみ)にありて
氷のうへよりあまた光る十字すべらせ
女はみな街路に裸形となり
その素肌は黃金の林立する柱と化せり
見よやわが十指は凝結し
背にくりいむは瀧とながるるごとし。
しきりに掌(て)をもつて金屬の女を硏ぎ
胴體をもつてちひさなる十字を追へば
樹木はいつせいに𢌞轉し
都會は左にはげしく傾倒す。
ああ十字疾行する街路のうへ
そのするどさに日輪もさけびくるめき
群集を越へて落しきたるを感じ
いのり齒をくひしめ
受難の日のくれがた
われつひに蛇のごとくなりて絕息す。
[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。「越へて」はママ。底本の「詩作品發表年譜」によれば、初出誌を大正三年七月発行の『創作』とする。筑摩書房版全集でも「拾遺詩篇」に載り、同雑誌の同年七月号とする。但し、その初出とは微妙に異なる箇所がある。以下に示す。太字は同前。「研」「ちいさなる」はママ。
*
受難日
受難の日はいたる
主は遠き水上(みなかみ)にありて
氷のうへよりあまた光る十字すべらせ
女はみな街路に裸形となり
その素肌は黃金の林立する柱と化せり。
見よやわが十指は晶結し
背にくりいむは瀧とながるゝごとし
しきりに掌(て)をもつて金屬の女を研ぎ
胴體をもつてちいさなる十字を追へば
樹木はいつさいに𢌞轉し
都は左にはげしく傾倒す。
あゝ十字疾行する街路のうへ
そのするどさに日輪もさけびくるめき
群集を越へて落(おと)しきたるを感じ
いのり齒をくひしめ
受難の日のひくれがた
われつひに蛇のごとくなりて絕息す。
*
「晶結」「いつさいに」「都」「ひくれがた」は誤判読のしようがないもので、決定稿の前の草稿である可能性が高い。
なお、別に筑摩版全集の『草稿詩篇「拾遺詩篇」』には以下の無題の本篇の草稿がある。以下に示す。歴史的仮名遣の誤りはママ。
*
○
主は遠き水上(みなかみ)にありて
氷のうへよりあまた光る十字はしらすべらせ
女はみな街路に素裸となり
その肌は黃金の林立する柱と化す→の如し→なりとなりれり。
見よやわが十指は晶結し
背にくりいむは瀧とながるゝごとし。
しきりに掌(て)をもつて金屬の女を研ぎ
胴體をもつて★ちいさなる//疾走する★十字を追へば
[やぶちゃん注:「★」「//」は私が附した記号で「ちいさなる」と「疾走する」が併置残存していることを示す。]
いつさいに樹木は逃れいで
都會は左(ひだり)にはげしく傾倒す。
ああ十字疾行する街の路のうへ
そのするどさに日輪もさけびくるめき
群集を越へておとしきたるを感じ
祈り齒をくひしめ
受難の日のひくれがた
我ついに蛇のごとくなりて絕息す。
*]
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