萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 拾遺詩篇 初夏の祈禱 / 筑摩版「拾遺詩篇」所収の「初夏の祈禱」の別稿
初 夏 の 祈 禱
主よ、
聖なる神よ。
われはつちを掘り
つちをもりて
日毎におん身の家畜を建設す
いま初夏きたり
主のみ足は金屬のごとく
薰風のいただきにありて輝やき
われの家畜は新綠の蔭に眠りて
ふしぎなる白日の夢を畫けり
ああしばし
ねがはくはこの湖しろきほとりに
わがにくしんをしてみだらなる遊戲をなさしめよ。
いま初夏きたる
野に山に
榮光榮光
榮光の主とその下僕(しもべ)にあれ。
あめん。
[やぶちゃん注:底本末の「詩作品發表年譜」 によれば、制作年月日を大正三(一九一四)年五月八日とし、初出誌を大正三年六月発行の『詩歌』とする。筑摩書房版全集でも「拾遺詩篇」に載り、同雑誌の同年六月号とする。但し、その初出とは微妙に異なる箇所がある。以下に示す。「堀」「戯」はママ。
*
初夏の祈禱
主よ、
いんよくの聖なる神よ。
われはつちを堀り、
つちをもりて、
日每におんみの家畜を建設す、
いま初夏きたり、
主のみ足は金屬のごとく、
薰風のいたゞきにありて輝やき、
われの家畜は新綠の蔭に眠りて、
ふしぎなる白日の夢を畫けり、
ああしばし、
ねがはくはこの湖しろきほとりに、
わがにくしんをしてみだらなる遊戯をなさしめよ。
いま初夏きたる、
野に山に、
榮光榮光、
榮光いんよくの主とその僕(しもべ)にあれ。
あめん。
―一九一四、五、八―
*
読点や誤字・異体字は別として、「いんよく」が二箇所で排除されているところからは、別稿の草稿或いは改稿ととるべきものか。]
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