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2021/11/05

「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 三人づれ

 

 三 人 づ れ

 

三人づれには魔がさすといふ傳說がある

三人が三人ともこの傳說を信じてゐた

Yは病身でせいがやたらにひよろながい

くれがたの街の角では

それが步いてゐる、おもちやのドームのやうにみえた

Oは牛乳瓶のやうな男だ 白い可愛い手をもつた

Kはねずみのやうにちよろちよろはしる

くろい日にやけた男

三人づれの中で此奴にいちばん魔がつきさうに思はれる

三人づれで並んであるいた

ある陰欝な建築物の裏通りで

みんなはものがなしい太陽をみてゐた

YOとは腕をくんだ

『日蝕をみたことがあるか』

『どんなものだい』

『たまらなくかなしい氣のするものだ』

『そいつをみてゐると だれでもむやみに悲しくなつてくる』

『けふは日蝕だよ』

三人づれはだまつて步き出した。

みんながてんでに日陰をあるいてるやうな氣がした。

 

[やぶちゃん注:底本には、推定で大正五(一九一六)年とし、『遺稿』とある。筑摩版全集では、「未發表詩篇」に以下のようにある。歴史的仮名遣の誤り誤字・濁点落ち・脱字・錯字は総てママ。「○○の子」も萩原朔太郎自身の伏字。

   *

 

 三人づれ

 

三人づれには魔がさすといふ傅說がある。

三人が三人ともこの傳說を信じてゐた。

Yやたらに病身でせいがやたらにひよろながい男だ

夕暮どきくれがたの街の角では、

Yの高い帽子がゴシツク風のそれが步いてゐる、おもちやのドームのやうにみえた

Uは牛乳甁のやうな男だ、白い可愛い手をもつた、

Kはねずみのやうにちよろちよろはしる、

いろのくろいちつぽけな男、日にやけた男、(小僧)

[やぶちゃん注:「男」「(小僧)」はママ。並置案であろう。]

この三人づれの中でこの男こいつにいちばん魔がつきそうに思はれる、

ある

三人は町をづれで町を散步したは竝んであるいた。

ある男日のぐれ 陰欝→貧乏   氣  ウツな裏町の四つ辻で陰ウツな健築物の裏通りで

みんなものみんなはものがなしい太陽がみたてゐた。

YとはUとは腕をくんてゐただ。

『おれはすつぱい葡萄がたべたい』

『わし――

『日蝕をみたことがあるか』

知らない』どんなものだい』

それはたまらなくかなしい氣のするものだ、たまらなくかなしくなるそいつをみてみると、だれでもたまらなくむやみに悲しくなるなつてくる』

『けふは日餉だよ』

三人づれはだまつて步き出した。

みんなが黑い男てんでに日陰 ばかりををあるてるやうな氣がした。

いやに

やにしんかんとしたきたない小路乞食町ではあつたけれど、影の

Yは かんがへ ふさぎこん でだまつてしまつた

いつのまにかある氣味のわるい出來事がさつきからの心配がみんなの心をやなました

けれどもUはかんがへた。

『おれは○○の子をつかめへた』

『どんな顏をしてゐるの』

『おまへのやうな顏さ、まるつきり』

Kはかなしくなつた

この Kはしつぱつくれて仲間をはなれたづれたいと思つた、

そしてそつと自分の顏をだれにも氣のつかないやううちに自分のそつと顏をなでゝみようたいと思つた、

けれどもいぢのわるいみんなの眼が意地 いぢわるくKを許さなかつた

KYはだんだん不安になつてきた、KはぼんやりKの左の耳のところに動物の毛のやうなものが生えてゐるかゝつてゐるのを感じた、そうした意識がだんだんはつきりしてきた、

がまんができ

K UはK

 

   *

以上の削除部分を除去する(その他はママ)。

   *

 

 三人づれ

 

三人づれには魔がさすといふ傳說がある。

三人が三人ともこの傳說を信じてゐた。

Yは病身でせいがやたらにひよろながい。

くれがたの街の角では、

それが步いてゐる、おもちやのドームのやうにみえた

Uは牛乳甁のやうな男だ 白い可愛い手をもつた、

Kはねずみのやうにちよろちよろはしる、

くろい日にやけた男、

三人づれの中で此奴にいちばん魔がつきそうに思はれる、

三人づれでは竝んであるいた。

ある陰ウツな健築物の裏通りで

みんなはものがなしい太陽がみたてゐた。

YとはOとは腕をくんだ。

『日蝕をみたことがあるか』

『どんなものだい』

『たまらなくかなしい氣のするものだ、そいつをみてみると、だれでもむやみに悲しくなつてくる』

『そいつをみてゐると だれでもむやみに悲しくなつてくる』

『けふは日餉だよ』

三人づれはだまつて步き出した。

みんながてんでに日陰をあるいてるやうな氣がした。

やにしんかんとしたきたない乞食町ではあつたけれど、

いつのまにか氣味のわるい出來事の心配がみんなの心をやなました

『おれは○○の子をつかめへた』

『どんな顏をしてゐるの』

『おまへのやうな顏さ、まるつきり』

Kはかなしくなつた

この Kはしらばつくれて仲間をはづれたいと思つた。

だれにも氣のつかないうちにそつと顏をなでゝみたいと思つた。

けれどもいぢのわるいみんなの眼がKを許さなかつた。

Yはだんだん不安になつてきた。Kの耳のところに動物の毛のやうなものが生えかかつてゐるのを感じた、そうした意識がだんだんはつきりしてきた、

 

   *

本篇は若干の不審があるが、後半部に複数の有意な違いがあることから、筑摩版全集の別稿と判断しておく。]

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