曲亭馬琴「兎園小説外集」第一 夢中に劔を得るの物語 輪池
○夢中に劔を得るの物語
後藤與次右衞門組
西丸御切手同心
小石川諏訪町
そ ば 切 橫 町 折原岩之助
維時[やぶちゃん注:「これ とき」。]、文政九丙戌年[やぶちゃん注:一八二六年。]三月十六日の夜の夢に、江戶神田小柳町[やぶちゃん注:現在の千代田区神田須田町一丁目及び二丁目の一部(グーグル・マップ・データ)。以下同じ。]邊の道具屋某の店に、希代の靈劍あるよしを、凡、五度ほど、同じ夢を續けて見侍り。餘りの不思議さに、翌廿一日、彼處へ尋行しに、夢中、幻のごとく見し、道具やの顏に、正しく似たるゆゑ、立寄尋ければ、「その品、有。」よし申に付、「求度[やぶちゃん注:「もとめたく」。]、價は何程に候哉。」と申ければ、「金百疋にて有レ之。」と申。最、至極、古びれたる品に候まゝ、「少々、まけ吳候。」樣申けれ共、「中々に引不ㇾ申。」と申候間、其まゝに打捨歸り候處、又々、二晚程、同じ夢を見し儘、去にても、餘りの不思議なる事故、廿四日に、金子、持參いたし、彌[やぶちゃん注:「いよいよ」。]、「先の品、買請度。」よし申聞候處、亭主の申候には、「扨々、格別の御懇望に付、一朱に御まけ可二申上一。」と申候に付、一朱、遣し、此方へ請取申候て、歸宅し、大切に祕置[やぶちゃん注:「ひしおき」。]候處、又、其晚の夢に、甲冑の上え、白き裝束いたし、右の手に劔をもちし人、出現し、夢中に告て曰、「善哉々々、汝、劔を得たり。抑、此劍は靈驗なる事を委敷[やぶちゃん注:「くはしく」。]しらすべし。謹で、聽聞せよ。」と、高らかに示現に曰、
「寶劔の威德は、
一、劔難を除き、
一、運を開き、
一、毒氣・毒血、拂除き、
一、出世をいたさせ、
一、我、數度、戰場に赴く每に、我、光を以、悉くに、强敵を追拂返し候。其後埋り居、凡、今年迄、二百二十六年に成。」[やぶちゃん注:最後の条は底本では二行目以降が一字下げ。「二百二十六年」文政九年から遡ると、慶長四(一五九九)年で、前年に豊臣秀吉が死去しており、この年の九月二十八日に、徳川家康が大坂城西の丸に入っている。江戸幕府開府の四年前である。]
との告也。其上、「又、我姿を寫し、世上の人々に施候へば、大成・隱德に成べし。」と告ると思へば、忽、夜の明方になり、鳥と共に、夢は覺にけり。餘り不思議の事故、「子孫の後榮にも可二相成一。」と、於ㇾ是、書記する者也。
文政九丙戌年三月 折原岩之助
終善判
覺
一、劔一腰
但、かわ[やぶちゃん注:ママ。]鞘入。
銘「小倉五郞源宗廣」と有ㇾ之。
代、一朱。
右之通、慥に請取申候、以上。
戌三月廿四日 神田小柳町三丁日 龜屋忠兵衞
折原岩之助樣
長短・寸法、すべて、圖の如し。
[やぶちゃん注:キャプションは、
表
頭、鐵。
柄、鮫無ㇾ之、黑。緣、鐵。鐵鍔。此處、
塗、黑革卷。 金箔筋、有ㇾ之。
である。判り難いが、鍔下の鍔から五分の一附近に、キャプションへの指示線が左に僅かに出ている。
以下、底本では下方にある。]
文政九年丙午三月廿四日神田小柳町
龜屋忠兵衞方より買受。
[やぶちゃん注:キャプションは、鍔の右下・上に、
鞘、黑革。
裏
とある。以下、吉川弘文館随筆大成版では『〔割注〕』とする。底本では、初行が五字下げであるが、引き上げた。]
小倉五郞宗廣、越前國住人、貞治比、當時迄、四百七十四年[やぶちゃん注:文政九年から遡ると、南北朝時代の正平八/文和二(一三五三)年。]、鞘、革鞘。一尺二寸二分、蛇之目紋付。柄、四寸一分、ふち・かしら共、柄、糸革、三分。鍔・鎺[やぶちゃん注:「はばき」。ここ(「ウィクショナリー」の画像)。]、はなれず、イ[やぶちゃん注:意味不明・]に一尺八寸五分、換長[やぶちゃん注:意味不明。]一尺六寸、一書に『一尺八分五厘』とあり、非なるべし。
[やぶちゃん注:刀身自体を示したもの。キャプションは、鎺ぶ指示線をして、右に、
鎺、黑革。
鍔を単体で示したその上方に、
鐵。黑
塗。
とあって、左手の茎(なかご)に指示線を施して、
○小倉五郞源宗廣
とある。以下は実は「○小倉五郞源宗廣」の下方にあるが、改行した。]
江戶小石川住 折原岩之助 條善判
[やぶちゃん注:「西丸御切手同心」(にしのまるおきつてどうしん)は江戸城西ノ丸の切手門に切手番頭が勤務するが、その配下の者(番頭には二十人が付属)。同門の警備と出入りの監督が番頭の勤め。「切手」とは大奥関係者の通行証を指す。女中たちの出入りや、荷物の出入りを監視し、長物・葛籠などで十貫目以上のものは蓋を開けて中身を検査した。
「小石川諏訪町」文京区後楽二丁目。
「小倉五郞宗廣」不詳。]
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