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2021/11/27

曲亭馬琴「兎園小説外集」第一 蛇怪 鈴木分左衞門 / へびこしき 山本庄右衞門

[やぶちゃん注:同じの奇体な出来事を二人が記しているので、二篇を同時に電子化する。図は底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミング補正して示した。「こしき」は以下に見る通り、「甑」で、米や豆などを蒸すのに用いた器。元は鉢形の瓦製で、底に湯気を通す幾つもの小穴を開け、湯釜に載せて蒸した。後、方形又は丸形の木製とし、底に簀の子を敷いたものを「蒸籠(せいろう・せいろ)」と呼ぶ。蛇は一対一の後尾も行うが、多くの種で♂♀が群れを成して交尾することもままある。されば、こうした現象は、必ずしも特異ではないようである。因みに、交尾時間は驚くほど長いと聞いている。]

 

   ○蛇怪        鈴木分左衞門

小石川三百坂にすめるに田藩[やぶちゃん注:底本に右傍注して『マヽ』とある。]小十人高橋百助といふものゝ子、千吉とて、今年十四になれるが、近きわたり、遊びありきしが、牛袋何某の門邊に、圖の如く、くちなは、十五疋、いやがうへに、をり重り、わだかまり居たり[やぶちゃん注:図は次の「へびこしき」の図の上方にある。]。伺ひ見るに、中に、光れるものあり。おそろしながら、小腕をさし入れたるに、手にさはれるものあるをとりあげ、圖のごとき、古錢一文を得たり[やぶちゃん注:図は同前の下方。]。其後、くちなはは、おのがじゝ、にげ去るを、つどひ居たるものども、「うちころしてん。」など、のゝしるを、かの小童、「人をもあやめざるに、いかで、さる事すべき。」と制しぬれば、かの小童の勇氣に感じて、手だすものも、なかりしと也。これは千吉が祖母、つねに物語りしは、「蛇、あまた、わだかまれる中には、珠玉あるもの也。これを得たる人は、かならず、生涯、財寶に事かく事、なし。」と、いひしを聞おぼえしゆゑ、かくはなせしとぞ。此圖は、かの小童のみづから記せし也。六月廿五日【文政九年。[やぶちゃん注:一八二六年。]】の事也。

[やぶちゃん注:「小石川三百坂」「さんびやくざか」或いは「三貊坂」(さんみゃくざか:現代仮名遣)とも。ここ(グーグル・マップ・データ)であるが、サイド・パネルの冒頭画像に文京区教育委員会の說明版があるので、そちらも見られたい。

「田藩」不詳。但し、先に示した「甲子夜話」では『田安殿』とある。

「小十人」小十人組。将軍の護衛に当たった「小十人」の組織。小十人二十名を以って一組とし、元和九(一六二三)年に、初めて四組が置かれ、後、漸次、増加した。各組に一人の頭と二人の組頭がいた。西丸にも配置された。

 以下は「蛇怪」の終りまで、底本では全体が一字下げ。]

私に云、この記は鈴木氏の口づから、輪池堂に話せしを、輪池堂の書れしなりとぞ。

後の一圖もおなじ事ながら、合せ寫しとゞめつ。

(「蛇コシキ」之圖)

 

Jyaikai

 

[やぶちゃん注:キャプション(画像にも含めた)は、

此高、一尺六、七寸也。蛇のかず、十五匹也。橫はゞ一尺六分許也。

とある。下方の銭には、

景元福寳

とあり、これは北宋の仁宗の景佑元年(一〇三四年)に鋳造された中国の宋銭である。中文サイトのこちらで画像が見られる。]

 

これは彼錢を搨拓[やぶちゃん注:「たふたく(とうたく)」。「拓本」に同じ。]せしを、すきうつしにしたれば、寸分たがはず。後の「蛇甑」の圖は、傳聞によりたるものなれば、なかなかに、わろし、といふめり。見て圖したると、その「ぜに」を拓り[やぶちゃん注:「すり」。「摺り」に同じ。]たるを、まさりなり、とすべし。

 

 

   ○へびこしき     山本庄右衞門

文政九年丙戌の夏、四月なかばより、雨なくして、梅天[やぶちゃん注:「つゆ」と訓じておく。]に至りても、雨、ふらず。赤地、千里なりしかば、近在所々に於て、既に雨乞せるに至れり。五月廿一日、雨、降り、翌日、又、雨、降り、それよりして、又、雨、なく、六月の初旬・中旬頃[やぶちゃん注:グレゴリオ暦では七月下旬から八月三日まで。]は、また、赤地となれり。漸々、廿日に至て、雨、降ぬ。それより、日ごとに、雨、時々に頻り也。廿五日の晝過る頃、小石川三百坂の往還にて、蛇、あまた、集り、綆縻(つるべなは)をわがねたるさまに蟠り、うづ高く、重なり合て、頭を揃へて、眞中を、うつろにして、又、三方より頭を向ひ合せ、其うつろなる中を、見込たるさま也。蛇の數、都合十五也といふ【かく集り蟠るを、「へびこしき」と云。】。往來の人々みるもの、堵[やぶちゃん注:「かき」。垣根。]の如く也けり。その邊に住居せし田藩[やぶちゃん注:同前。]の小十人高橋百助が男千吉なるもの、年、僅に十四歲なるが、夫を聞て、速に、はせ來り、たゞちに其蛇に近づきて、左の手にて、袖をかゝげ、右の腕を、其中に、さしこみて【蛇の重りたる深さ、およそ、拳より肘のあたりまで有といふ。】、一物を得たり。蛇も亦、其物を惜むけしきもなく、その圍みを解て、にげ去りしが、下に敷れたる蛇は、おしひらめられたるも有し、といふ。それよりは、一つちり、二つちり、追々に、いづくともなく、ちりうせぬ。

 

Hebikosikinozu

 

[やぶちゃん注:キャプションは、上部に、

蛇の重なりし高さ、一尺六、七寸。徑、一計。

「徑」は「わたり」で直径。「一」は一尺。下方の銭の図の上に、

此錢、篆字にてありしと云。

とある。但し、この図の銭は、

景元祐寳

とあって、北宋の哲宗の元祐年間(一〇八六年~一〇九三年)に鋳造された宋銭である。中文サイトのこちらの画像と解説を参照されたい。]

 

千吉は、幼年より、かつて、「蛇の集り卷たる中には、必、名玉あり。それを得るものは、必、運、開き、幸ひを得る事、疑なし。」と、かねて古老の物語せしを、一途に深く信用したるによれり。はじめ、卷たる内を見るに、光りあり、既に腕をさしこみたる時は、拳にこたへて、當るものあり、と。然れども、恙なくして、遂に物を得るに至る事、實に奇遇といふべし。かの孫叔敖が德に異なりといへども、また、古老の言を信じて、群蛇を怖れざるも、また、奇事也。その得たるものは玉にはあらで、篆書せる「景祐元寶錢」なりとぞ。

[やぶちゃん注:この二篇のために、同一事件を後に記した松浦静山の「甲子夜話」の「卷八十七の「蛇塚」を先に電子化注しておいたので、そちらも参照されたい。

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