萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 斷片 (無題)(さびしい夢から眼がさめると)
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さびしい夢から眼がさめると
わたしはふかい谷の底にねむつてゐた
どうどうといふ瀧の音がきこえる
この人里はなれた山の奧で
いましづかに夢をみてゐたのだ
[やぶちゃん注:本篇は筑摩書房版全集では『草稿詩篇「原稿散逸詩篇」』にあるが、小学館版「萩原朔太郞全集」元版の「別册 遺稿上卷」からの転載であり、既に原稿が失われていることが判る。さらに、実は、不審がある。この筑摩版の『草稿詩篇「原稿散逸詩篇」』は以上の通りの転載であることが、既出の「利根川の松林」を巻頭としてあるのだが、その「利根川の松林」の最後には、『利根川の松林」以下』「路次について」(既出)『までの三十二篇は小學館版『萩原朔太郞全集遺稿上』より轉載。』とあるだけで、順序を入れ替えているという記載はないから、筑摩書房版全集『草稿詩篇「原稿散逸詩篇」』の同転載詩篇の順序は親本のそのままと考えるのが普通である。ところが、少なくとも本コンパクト版底本では、本篇の次にある「(無題)(ひとのからだといふものは不思議なものだ)」が、前に置かれているのである。これは何を意味するか? それは唯一つだ。本底本コンパクト版「萩原朔太郎詩集」叢書は、やはり、元版である小學館版『萩原朔太郞全集遺稿上』(昭和一九(一九四四)年十月刊。下巻も同時刊行)からのただの抄出転載ではなく、独自のコンセプトで新編集されたものだということである(本底本「遺珠」は昭和二二(一九四七)年刊)。そこでは私は新たな遺稿(元版「遺稿」では未発見だった詩篇・遺稿・草稿・断片等々)が追加されたと考えるべきで、その過程で、詩篇の原稿用紙の連続性その他から、元版の詩篇の配置順列に変更をすべき事由が見つかったことなどもあったのではないか? でなくて、このような順序変更が生ずるはずがない、と私は思うのである。]
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