萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 拾遺詩篇 三人目の患者
三人目の患者
三人目の患者は
いかにもつかれきつた風をして
ぺろりと舌をたらした
お醫者が小鼻をとんがらして
『氣分はどうです』
『よろしい』
『食物は』
『おいしい』
『それから……』
『それからすべてよろしい』
そして患者は椅子からとびあがつた
みろ、歪んだ脊髓のへんから
ひものやうにぶらさがつた
なめくじの神經だの、くさつたくらげの手くびだの……
そいつは眞赤(まつか)の殺人者(ひとごろし)だ。
[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。底本の「詩作品發表年譜」によれば、初出誌を大正四(一九一五)年六月発行の『詩歌』とする。筑摩書房版全集でも「拾遺詩篇」に載り、同雑誌の同年六月号とする。その初出を示す。
*
三人目の患者
三人目の患者は、
いかにもつかれきつた風をして、
べろりと舌をたらした、
お醫者が小鼻をとんがらして、
『氣分はどうです』
『よろしい』
『食物は』
『おいしい』
『それから……』
『それからすべてよろしい』
そして患者は椅子からとびあがつた、
みろ、歪んだ脊髓のへんから、
ひものやうにぶらさがつた、
なめくじの神經だの、くさつたくらげの手くびだの……。
そいつは眞赤(まつか)の殺人者(ひとごろし)だ。
*
異同は三行目冒頭の「ぺろり」(半濁音)が「べろり」(濁音)である他は、句読点のみであり、「ぺ」「べ」は小学館版の誤判読と考えれば、別稿とは認め難い。
また、底本の『草稿詩篇「拾遺詩篇」』に載る以下の草稿一種がある。誤字と思しいものは総てママ。
*
三人目の患者
(殺人者)
三人目の患者は
いかにもつかれきつてた風をして
醫者の鼻先で 病院の隅の方の椅子か
醫者の鼻先へ
べろりと舌を出したたらした
醫者の鼻さきで
コカ ヨート
ひどくコカインのにほひがする
お醫者が鼻先で とんがつた きいろい鼻さきで小鼻をとんがらして
「氣分はどうですね」
「よろしい」
「食物は」
「おいしい」
「それから……」
「それから腐つた 私の病氣はすべてよろしい」
そしてそいつは椅子からとびあがつた、
みろ、そいつ まがつたゆがんだ脊ずゐからのへんから
ひものやうなものがにぶらさがつた
┃髮の毛と青白い死蠟の手くびと腐つた まつかの水瓜と赤んぼの鼠のがだら
┃青白い→まつかの
┃蛙の 赤い心臟と靑い 腐つた呼吸器
┃蛙の赤い くさつた臟腑 のにほひごてごて がいちめん生膽だの、なめくじだの
↕
┃なめくじの手の、くさつた 眼玉 神經だの神經だの、くさつた手だの
そいつは人殺しだ、(まつかの人殺しだ)
*
終りに近い「┃」「↕」は私が附した。これは前の四行と後の一行が並存残存していることを示す。但し、抹消があるので、実際には前者が「青白い死蠟の手くびとまつかの水瓜と赤んぼの鼠のがだら」「蛙の生膽だの、なめくじだの」の二行(「水瓜」は「西瓜」の、「がだら」は「からだ」の誤りであろう)と、後者が「なめくじの神經だの、くさつた手だの」(蛞蝓の腐った手というのはよく判らん変なフレーズだねぇ)の二つのフレーズ二候補ということになる。しかし、本篇はこれとも似ていない。]
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