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2021/11/14

曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 丑時參詩歌

 

   ○丑時參詩歌

下毛野國足利のかたほとりに、よに、「丑の時まゐり」といふわざをせしを、「まさめに、見つ。」と、そこなる人のかたれるさまをよめる。     橋 庭 麻 呂

あやしきは 火にぞ有りける うちしめる 時こそ有りけれ もえたてば けつすべもなし 世中の 人の思ひも おのづから しかこそ有るらめ よの常は 外へも出でえぬ たをやめの たつや心を 黑髮の 思ひ亂れて いただきに ともし火さゝげ むなさかに ます鏡かけ ひだりてに かなくぎもたし みぎり手に かなつちもたし ぬばたまの やみのよふけの 丑すぎて うしとも言はず 神のます もりのしめなは いきのをに かけつゝすゑて おひしげる なみ樹の松に 左手の 釘とりおさへ みぎり手の つち振り上げて ねたましや あなねたましと かきみだり 逆立髮に さかだてる 角をさゝげし ほのほはも 鏡にうつり かゞみはも 胸にたく火の おそろしき 姿てらして とこひ打ち 音もとゞろに 山彥の とよむひゞきぞ よそにきく 身にもこたへて 身の毛さへ いよたちにける たをやめの いかにもえたつ こゝろなるらむ

 たをやめのとこひのろひとうつくぎやいづくのたれか身にひゞくらん

[やぶちゃん注:以下、『以廣異聞。』までは底本では全体が一字下げ。]

下野州足利里。有世所謂丑時進※者[やぶちゃん注:「※」=(上)「禾」+(下)「旬」。]。世之人無有視之。而里人獨視之。告之橋庭麻呂。庭麻呂以國歌記之。余亦作七言古體。以廣異聞。

夜入四更人語歇。落月光滅冷透骨。情面閻羅懷肉刅。足躡木履度幽峻。自謂。無天地人間知。松杉深處有所思。胸懸明鏡頂戴火。火能照鏡鏡照姿。數幅白衣白於雪。朱唇黑髮烏雲垂。右手金鎚左手釘。釘則五寸鎚倍之。三釘四釘七七釘。四十九釘數盡時。受釘老杉宛百丈。更無一葉留在枝。奈何使無心根柢。枯稿不終千萬歲。此時山魑林魅絕。天根地紐似可裂。吾聞。荊楚俗能呪詛人。宜掘兩穴。奈何獨將竊窕身。妬刅毒手好剌人。

  乙酉子月       快雪堂主人岡雄

[やぶちゃん注:本発表は目次によれば、輪池堂屋代弘賢であるが、「快雪堂主人岡雄」という署名は屋代の号には見当たらない。

「丑時參」(うしのときまゐり)「丑の時まゐり」は、ご存じ、「丑の刻參り」のこと。詳細は当該ウィキを見られたいが、そこに、『「うしのときまいり」という言葉の方が古い』とし、『古くは祈願成就のため、丑の刻に神仏に参拝することを言った。後に呪詛する行為に転』じたもので、『京都市の貴船神社には、貴船明神が降臨した「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に参詣すると、心願成就するという伝承があったので、そこから呪詛場に転じたのだろうと考察される』とある。

「下毛野國足利のかたほとり」場所を特定していないが、調べて見ると、足利市八幡町の下野國一社八幡宮(しもつけのくにいっしゃはちまんぐう)の境内にある門田(かどた)稲荷神社(グーグル・マップ・データ)のことと思われる。現在、「縁切の社」という公式の看板が建てられており、ネット上にも嘗て「丑の刻参り」が行われていたという複数の記載が見られるからである。

「橋庭麻呂」不詳。「はしのにはまろ」と読んでおく。

「とこひ」ハ行四段活用の動詞「呪・詛(とこ/とご)ふ」の連用形。「呪(のろ)う」の上代に既に見られる非常に古い語である。

「下野州足利里。有世所謂丑時進※者[やぶちゃん注:「※」=(上)「禾」+(下)「旬」。]。世之人無有視之。而里人獨視之。告之橋庭麻呂。庭麻呂以國歌記之。余亦作七言古體。以廣異聞。」訓読してみる。

   *

下野(しもつけ)の州(くに)足利の里。世に所謂「丑時の進※」せる者、有り[やぶちゃん注:「※」は読み不詳。]。世の人、之れを視ること有る無し。而れども、里人、獨り之れを視る。之れを橋庭麻呂が告げて、庭麻呂、國歌を以つて、之れを記す。余も亦、七言の古體を作れり。以つて、異聞を廣む。

   *

「夜入四更人語歇……」古体詩の訓読を試みる。

   *

夜に入ること 四更(しかう) 人語 歇(つ)く

落月 光 滅し 冷 骨に透く

情面 閻羅(えんら) 肉刅(にくじん)を懷き

足 躡(ふ)むは木履 幽峻に度(わた)る

自(おのづ)から謂へらく

天地 人間の知は無く

松杉(しようさん) 深き處に思ふ所 有り

胸に懸く 明鏡 頂きには 火を戴す

火 能く鏡を照らし 鏡は姿を照らす

數幅の白衣(びやくえ) 雪よりも白く

朱(あけ)の唇(くち) 黑き髮 烏雲(ううん)垂る

右手に金鎚 左手に釘

釘(くぎ)は則ち五寸 鎚は 之れ 倍す

三釘(みくぎ) 四釘 七七釘(しちしちくぎ)

四十九釘 數 盡くる時

釘を受けたる老杉 宛(さなが)ら 百丈

一葉だに枝に在るを留むるは更に無し 

奈何(いかん)ぞ無心をして根柢せしめんや

枯稿 終はらず 千萬歲

此の時 山魑林魅(さんちりんみ) 絕へ

天根地紐(てんこんちちう) 裂くるべきに似たり

吾れ 聞く

「荊楚(けいそ)の俗 能く人を呪詛するに

宜しく兩(ふた)つながら 穴を掘り

奈何(いかん)ぞ獨り將に窕(あでや)かなる身を竊(ひそ)めんとし

妬刅(とじん)の毒手 好んで人を剌す」と

   *

最後の部分の訓読は自信がない。「四更」は丑の刻に同じ。「閻羅」閻魔王に同じ。「幽峻」人里離れた場所。「烏雲」は黒雲。「七七釘」人の生まれ変わる間である中有(ちゅうう)に掛けた渾身の四十九本。「荊楚」中国南方の長江中流域地方の旧称。]

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