「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 (無題)(みんなは手をつないで山路を散步した)
○
みんなは手をつないで山路を散步した
路ばたには美しい商店が並んでゐた
くらい崖のほとりには
白百合の花がさいてゐた
都からの自働車は
日每にほそい山路をうねりながら
いろいろな化粧品をはこんでゐた
みればふかい谷の底にも
不思議な建築の家が並んでゐた。
―美しき箱根にて――
[やぶちゃん注:底本では、推定で大正五(一九一六)年作とし、『遺稿』とある。筑摩版全集の「未發表詩篇」に以下のようにある。脱字・濁点落ちはママ。□は判読不能字。
*
○
みんなは醉つ手をつなて山路山路を散步した、
路ばたには美しい店商店が竝んでゐた、
花やうな貴族の娘たちの
くらい町は崖のほとりには
白い百合の花がさいてゐた
都からの自働車は
日每にほそい山路をうねりながら
いろいろな化粧品をはこんでゐた、
ホテルの廣間では 音樂 ピ
別莊のみればふかい谷の底にも
夜つぴとへ □→ピアノの→歡樂の むらさきの灯がともつてゐた、
立派な不思議な建築の家→の廊橋の家が竝んでゐた。
美しき箱根にて
*
この詩篇の後に、筑摩版の編者注があり、そこには、『本稿は『月の吠える』の「白い共同椅子」の草稿と同一用紙に書かれている。』とあり、これと箱根が、詩作年代を、ある程度、限定出来る。処女詩集「月に吠える」は大正六(一九一七)年二月であるが、『萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 白い共同椅子』を見られたいが、その初出は『感情』大正五(一九一六)年十月号である。しかし、筑摩版全集の年譜を見ても、この年の前後に箱根に行った記載はない。遡ってみると、大正四年の二月『下旬から三月一日にかけて上京、その間に白秋を訪ね、また、この間に小田原で何日かを過す。』とあるのが、目に留まった。これは、少なくとも箱根を訪れた可能性の大きな候補とはなろう。詩作自体は、それを回想して大正五年に作ったとすれば、齟齬はない。なお、或いは「白い共同椅子」自体も「森」と「山の中」がロケーションであるから、読者の中にはこれも箱根の作ではないかと思われるかも知れない。しかし、先の候補時制を考えると、これは二月の箱根である可能性は絶対に、ない。二種の草稿を見ると、そこでは、孰れも「ひぐらし」が鳴いているのを詩人は詠み込んでいるからである。]
« 「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 三人づれ | トップページ | 「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 (無題)(あたらしい座敷へ蚊帳を吊つてねてゐると) »

