萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 小曲十篇
小 曲 十 篇
[やぶちゃん注:パート表題。裏の20ページに以下の編註が載る。不自然な字空け(一行字数を合わせるためと推定される)があるので、全文を正常に繋げて示した。]
編註 これらの作品は「初期詩篇」とともに習作時代に屬し、集中の「水尾」が、既刊『遺稿詩集』收錄の「螢狩」と同じノオトの切れはしに鉛筆書きしてあつたことから推して、大正二ないし大正三年ころと思はれる。なほ集中最初の『銀』から『雀』に至る六篇は、一括して「秋思」と總題され、「小曲六篇」と副題してあつた。
[やぶちゃん注:小学館版のコンパクト版の「遺稿詩集」の「螢狩」はこれ。以上は非常に重要なもので、以下に示す通り、筑摩書房版全集では、この十篇はソリッドに一括して載ってはおらず、六篇目の「淚」に書かれた原稿についての筑摩版編集者の注記の採用元原稿の様態解説の内容(後掲する)とは明らかに有意に異なるからである。則ち、本原稿は筑摩版全集が確認した同一の十篇のそれぞれ原稿とは、また、異なるものと推定されるからである。]
銀
戀もあらしも過ぎさりて
岩間に銀の瀧ながる
[やぶちゃん注:筑摩版全集では、第二巻の「習作集第八卷(愛憐詩篇ノート)」の518ページに載るが、前に、後に掲げる「水尾」「こゝろ」(本底本では「心」)の順で配され、後には、後に掲げる「釣」「命」「雀」と、一つ別な無題(いはん方なきさびしさに)を挟んで、やはり後掲する「おもひで」が載る。しかも表記に異同がある。以下に示す。
*
銀
戀も嵐もすぎ去りて、
岩間に銀の瀧ながる、
*]
心
うたげの庭に笛を吹く
世界のはてのおさな兒よ
[やぶちゃん注:「おさな兒」はママ(歴史的仮名遣は正しくは「をさな兒」)。筑摩版全集では同前で、「こゝろ」として517ページに載るが、やはり表記が異なる。以下に示す。「おさな兒」はママ。
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こゝろ
宴會(うたげ)の庭に笛を吹く、
世界のはてのおさな兒よ、
*]
命
きりぎりすが殺したや
靑い顏して
ぢつといのちをみつめたや
[やぶちゃん注:「ぢつと」はママ(歴史的仮名遣は正しくは「じつと」)。筑摩版全集では同前で、「命」として519ページに載る。表記に変更はない。]
釣
きちがひなればさびしかろ
ぢつとして居られねば
鐵橋の下を魚を釣る
[やぶちゃん注:筑摩版全集では同前で、「釣」として518ページに載る。表記は異同(歴史的仮名遣の誤り・誤字と思われるもの)がある。以下に示す。
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釣
きちがひなればさびしかろ
ぢつとして居られば
鐵橋の下を魚を釣る
*
「ぢつと」「居られば」「下を」はママ。筑摩版校訂本文では、
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釣
きちがひなればさびしかろ
じつとして居られねば
鐵橋の下で魚を釣る
*
とする。しかし、「で」の校訂は正しいと言えるか? 「に」の可能性もあるのに。]
雀
坊主にならうとなるまいと
なんで雀が知るものぞ
淚が流れてとまり申さず
[やぶちゃん注:筑摩版全集では同前で、「坊主」として519ページに載る。表記は異同(読点)がある。以下に示す。
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雀
坊主にならうとなるまいと、
なんで雀が知るものぞ、
淚が流れてとまり申さず、
*]
淚
眞實なればいかにせむ
なみだぞわれのいのちなる
[やぶちゃん注:筑摩版全集では、第三巻「未發表詩篇」の259ページに載るが、表記に異同がある。以下に示す。
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淚
しんじつなればいかにせむ
なみだぞわれのいのちなる
*
しかも、そこには筑摩版の編者注として、『「秋日行語」の總題のもとに、同じ原稿用紙に「銀」「心」』(漢字表記はママ)『「淚」「命」の順に記されており、他の三篇はいずれも「習作集第九卷」に收錄されているが、「淚」だけは收錄されていない。』とある。この題は小学館版の「編註」にある「秋思」と親和性があるが、しかし違い、しかもその原稿には「銀」「心」「淚」「命」の四篇しか記されていないとあるのである。則ち、自ずと、本底本の依拠したノートの切れ端に書かれたものと、筑摩版全集の依拠した原稿は別物であることを意味する。]
水 尾
あきかぜふかばちるものを
さんらんとして蛇およぎ
綠金の瞳は夢を見る
[やぶちゃん注:「水尾」は思うに、地名などではなく、一般名詞の「みを」(みお)で「澪」「水脈」のことであろう。本篇は筑摩版全集では、第二巻の「習作集第九卷(愛憐詩篇ノート)」の517ページに載るが、表現・表記に異同がある。以下に示す。
*
水尾
あきかぜ吹けばちるものを、
さんらんとして蛇およぎ、
綠金の瞳は夢を見る、
*
他に同全集第三巻の『草稿詩篇「習作集第八卷・第九巻」』に以下の草稿がある。
*
水水尾
ひかりをみをにみあきふかばちるものを
さんらんたりや金の蛇として蛇およぐぎ
さんらんたりや銀の蛇
金銀綠金の瞳は夢をみる、
*
「あきふかば」はママ。「かぜ」の脱字であろう。]
松
あほげば
松はしたゝるみどり
松はかゞやく銀の松
[やぶちゃん注:本篇は筑摩版全集では、第三巻の「未發表詩篇」の258ページに載るが、こちらは推敲段階を含めた削除等を含んだものである。以下に示す。「あほげば」の歴史的仮名遣の誤りはママ(歴史的仮名遣は「あふげば」。萩原朔太郎の偏執的書き癖で、他の詩篇の原稿でも、しばしば、こう書く)。
*
松
1あほげば
2松はしたゝるみどり、
目しひばとづれば、
松はかなづる、
ひやうひやうと
こがらし眞如、
3松はかゞやく銀の松。
銀の松。
*
で、筑摩版編者により、『行頭の1、2、3の數字は作者が附したもの。三行目の抹消部分は意味不明であるが、原文のまま。』とある。「目しひ」は「盲(めしひ)せば」と書くところを「せ」を脱字し、二案として前を抹消せずに、「閉づれば」としたが、全抹消したと考えれば、意味不明とは言えないと私は思う。]
お も ひ で
うすらひに
いさなさやぎ
松の葉に
ゆきのふる
はつしもの
うすきゑにしを
[やぶちゃん注:「ゑにし」はママ(歴史的仮名遣は「えにし」でよい)。本篇は筑摩版全集では、第二巻の「習作集第九卷(愛憐詩篇ノート)」の517ページに載る。標題が「おもいで」と歴史的仮名遣を誤り、「ゑにし」は同前であるものの、編者注に『全篇が斜線で抹消されている。』とあり、少なくとも同ノートに於いては、萩原朔太郎自身はこれを詩篇として抹消・除去しているということになる。但し、同全集第三巻の『草稿詩篇「習作集第八卷・第九巻」』に「おもひで」と全集編者が仮題して、以下の「菊」と題した、かなり似た草稿断片がある。
*
菊
うすらひに
魚(いさな)のさやぎ
まつの葉に
こなゆきのふりる
冬のはつしもの
あきのしらじら
け あさのあひびき
なお、「習作集第九卷(愛憐詩篇ノート)」には、別に、以下の同題異篇が後の520ページに載る。参考までに以下に示す。標題の「おもいで」の表記はママ。
*
おもいで
遠い海岸の、
病院の長廊下で、
月がきつすをする、
まつ白い寢臺のすみで、
眞鍮のこほろぎ、
*
全くの直感に過ぎぬのだが、この同題異篇は、上記のそれが、海辺であり、本篇の「いさなさやぎ」(勇魚さやぎ)と「松」も親和性があって、私は間違いなく永遠のファム・ファータル「エレナ」への「思ひ出」なのではないか――次の無題詩篇もそれに直結している――と強く感ずるものである。]
○
きみと居るとき
わが世はたのし
きみなきとき わが世はやみの世
そよかぜのふきくる
きみが夢路を
ああ風さヘ
星さへかたる きみ戀しやと
[やぶちゃん注:本篇は筑摩版全集では、第三巻の「未發表詩篇」の272ページに載るが、こちらは推敲段階を含めた削除等を含んだものである。以下に示す。
○
きみと居るとき
わが世はたのし
きみなきとき わが世はやみの世
そよかぜのふきくる
きみが夢路をを
風も星も
あゝ風さヘ
星さへかたる、きみ戀しやと、
*]
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