萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 遺稿詩篇 信仰
信 仰
わたしがはりつけになるまへにも、
わたしはくるすをきらんとする、
これはむやみに話すべきことではない
わたしは酒亂であるし
ああ信仰のなにものもない
すべて愛より出づるものは毒草の花よりも危險である
おなごの手にするものはぴすとるの玩具である
わたしは人をしばつたり人を殺したりするまへに
わたしの智慧を殺さねばならぬ
いちにちあなたのまへに淚をながし
信じられないものを信じやうとする
わたし一人のために
わたしの兄弟たちは斷食した
ああ神さま
それがまつたくしんじつであるならば
わたしがはりつけになるまへに
すつぱりとくるすを切つてかくしごとを懺悔してしまひたいのだ。
[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。筑摩版では酷似する同題詩篇が「未發表詩篇」にある。以下に示す。歴史的仮名遣の誤り「おなご」「信じやう」や、誤字と思しい「ぴすどる」・「あなたのまへの」の「の」・「しんじみ」等は総てママである。太字は同前。
*
信仰
わたしがはりつけになるときまへにも、
わたしはくるすをえきらんとする、
わたしこれはあなたに→にくらしいむやみに語話すべきことであるないが
たゞしそれはわたしは信心酒亂であるしし
そして邪いん淫である
ああ信仰のなにものもない
すべて愛より出づるものは毒藥ばかりである草の花よりも危險である
おなごの手にするものはぴすどるの玩具でである
わたしはわたしは人をしばりつたり人を殺すまへにもしたりするまへに
わたしの戀人を智慧を殺らせさねばならぬ
わたしはにちにちあなたのまへの淚をながし
にちにち信じられないものを信じやうとする、
にちにちわたし一人のために
わたしの兄弟たちは斷食するした、
ああ神さま
ああ、それはがまつたくしんじみであるならば
わたしがはりつけになるまへにも
わたしはさきつぱりとくるすを切つて、
のこらずのあらゆるかくしごとをいつさいの→この秘密を懺悔をするものだ→するのだ、→したいのだ、してしまひたいのだ。
*
整序すると(意味が採れなくなる誤字の「ぴすどる」・「あなたのまへの」の「の」・「しんじみ」は訂正した)、
*
信仰
わたしがはりつけになるまへにも、
わたしはくるすをきらんとする、
これはむやみに話すべきことでないが
たゞしそれはわたしは酒亂であるし
そして邪淫である
ああ信仰のなにものもない
すべて愛より出づるものは毒草の花よりも危險である
おなごの手にするものはぴすとるの玩具である
わたしは人をしばつたり人をしたりするまへに
わたしの智慧を殺さねばならぬ
にちにちあなたのまへの淚をながし
信じられないものを信じやうとする、
わたし一人のために
わたしの兄弟たちは斷食した、
ああ神さま
それがまつたくしんじつであるならば
わたしがはりつけになるまへにも
さつぱりとくるすを切つて、
あらゆるかくしごとを懺悔してしまひたいのだ。
*
微妙に表現や表記に異同があるが、小学館の編者が筑摩版が採用した原稿と同じものをもとに整序した可能性が高いようにも思われる。別稿というには当たらないものであろう。]
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