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2021/11/26

曲亭馬琴「兎園小説外集」第一 前後身紀事 著作堂(馬琴)

 

[やぶちゃん注:物語風なので段落を成形した。一部でダッシュを用いた。]

 

   ○前後身紀事

 江戶澁谷に、聖護院宮樣御支配下、「中山寺」[やぶちゃん注:修験者の名。「ちゆうざんじ」と読んでおく。]といへる、修驗者、あり。

 此人、妻をむかへて、十ケ年に餘るといへども、子なきことを歎き、一子あらん事をのみ、ねがひける。

 頃は文政七年甲申冬十一年十四日[やぶちゃん注:グレゴリオ暦では既に一八二五年一月二十日。]、「芝切通し」を駕籠に乘て歸る程に、おもはずも、まどろみたりしに、

――一人の僧、五才ばかりの子をつれ來り、

「是は、其方の子になるべきぞ。」――

と、いふと、思ひて、夢さめ、駕籠の左右をかへり見るに、人、なし。

 向を見れば、小兒のひつぎを將て[やぶちゃん注:「いて」。]、葬に行あり[やぶちゃん注:「とふらひにゆくあり」。]。

 不思議なる事に思ひて、其跡を付て行ば、同町金地院へ、おくり行ぬ。

 是は南部丹波守殿家中、木村弘といへる人の三男銀次郞といへる、五才にて相果たるなり。

 かくて、直に[やぶちゃん注:「ただちに」。]金地院へ至り、此葬の終るまで、「再生の法」を修し、且、小兒の年を問へば、

「五才にて病死せる、『寒園童子』と法號せる。」

よし、聞て歸り、直に、鳥目・米少々、金地院へおくりけるに、

「中山寺より、そなへらる子細なし。いづれか、外方[やぶちゃん注:「ほかかた」。]へ參るにて、あるべし。」

と云ひけるを、使のもの、

「いさいは、紙面に有ㇾ之。」

よし答ける故、受取、ひらき見れば、

――寒園童子追善の爲 囘向を賴む――

よしなれば、辭するに不ㇾ及、其意に任せぬ。

 その翌乙酉正月より、中山寺の婦妻、懷妊し、十ケ月に至り、當文政九年丙戌春二月、常に張置し、「寒園童子」の法號、見えず。

「いかゞしつるや。」

と、あやしみ思へども、知れず。

 かくて、四、五日を經て、右の妻、安產し、男子、出生しけり。

「是、夢中に、さづかりし子なるべし。」

と、夫婦、よろこぶ事、大方ならず。

 されど、其子、生れて日を經れども、兩の拳を握りて、ひらくこと、なし。

 色々にすれども、ひらかねば、思ひ出し、

「先ごろ、金地院に葬し小兒の再生、うたがひなし。さあらんには、かの墓所の所の土をもつて、洗はゞ、ひらく事も有べし。」

とて、早速、金地院へ人を遣し、右の樣子を述ければ、

「易き御事に候へども、町方と違ひ、武家の墓所なれば、案内なくては、墓所へさはること、後日の沙汰、いかゞ也。是は、南部丹波守殿家中、木村弘といふ人の子の墓なれば、其方へ御沙汰有ㇾ之候はゞ、直に進じ可ㇾ申。」

と答ける故、早速、右、木村弘方へ申遣しけるに、

「それは不思議なる事に候。勿論、いか樣とも勝手次第に致さるべき。」

よし、答て、直に自身にも出行ける[やぶちゃん注:「いでゆきける」。]。

 使のものは、金地院より、土を取りて歸りけるに、金地院にても、不思議に思ひければ、人を附て遣しける。

 扨、右の土をもつて小兒の拳を洗ひければ、握り詰たる手、ひらきし。

 その片手の内に、

――木村弘が家の紋――丸の内に松皮菱の形――うすく、あらはれたりし。

 右の土を以て、なほ、よくよく洗ひければ、あと見えず、おちし、とぞ。

「右、夢中に見えつる僧は、金地院に安置する所の、地藏菩薩なるべし。」

と、ものがたりけるよし。

「誠に、かの小兒は、わが子の再生に疑ひなし。」

とて、木村夫婦、大によろこび、中山寺へ夫婦共に尋行て、親類のごとくいたし候よしなり。

[やぶちゃん注:以下「きゝ書きなり」までは、底本では全体が一字下げ。]

 右の趣、木村弘、直談のよし。

 藝州云、

「奥末人より承り、幷に、老女袖島、金地院へ御代香の節、同寺にて承り候趣ども、あらあら、きゝ書なり。」。

 ある人、添翰[やぶちゃん注:「てんかん」書簡・文書などにさらに添える手紙。紹介・依頼・贈答・訴訟手続の際に添付する文書。挙状。添え状。]。

[やぶちゃん注:以下、クレジット「七月十三日」まで、底本では全体が一字下げ。]

――昨日は一寸ながら拜顏大慶仕候 爾後 彌 御安泰彼ㇾ成御勤賀上俣候 然者拜借の珍書 永々留置奉恐入朕候 則返上仕候 御落手可ㇾ被ㇾ下候 木村弘と申人は 輕き役相勤候由 正說と申趣に尙承り申候 別て[やぶちゃん注:「べつして」。]難ㇾ有寫取置申候 拜顏萬々御禮可申上候 出懸り早々申上候――

 七月十三日

丹羽法葛へ相尋申候處、此通り申越候。

右一編は、今玆文政九丙戊秋九月廿六日、輪池翁の攜て、海棠庵席上にて披講せられしを借抄す。最、奇聞といふべし。

 十月初八          著作堂主人

[やぶちゃん注:それこそこの「手」の類話は枚挙に遑がない。私の「怪奇談集」にも複数あるはずなのだが、直ぐに引き出せない。判ったら、追記する。

「聖護院宮樣」聖護院(しょうごいん)は現在の京都市左京区聖護院中町にある本山修験宗の総本山の寺。「聖護院門跡」とも称する。開山は増誉、本尊は不動明王。嘗ては天台宗寺門派(天台寺門宗)三門跡の一つであったが、それ以上に、現在でも、本邦の修験道に於ける本山派の中心寺院であると同時に、全国の霞(かすみ:修験道に於ける「縄張り」とも言える支配地域のこと。修験当山派では有力修験寺院(先達)が末端山伏を、人と人との繋がりを通して組織化したため、地域単位の支配は行わず、「霞」という言葉も用いなかったが、これに対し、修験本山派では、院家(京都の若王子・住心院など。本聖護院はその上位を統括するもの)などの先達が一国一郡単位の支配地域を「霞」と呼んで統轄し、これを聖護院門跡が保障するという、地域単位の組織化を進めた。院家などの先達は、在地の有力修験者(年行事や触頭)に霞支配を委任し、得分を上納させた。以上は平凡社「世界大百科事典」に拠った)を統括する総本山である。されば、この修験者「中山寺」がその支配の一人であったことが判る。

「柴切通し」現在の東京タワーの北北西の東京都港区芝公園に「切通坂」の名で残る。ここ(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「金地院」東京タワー直近に現存する。臨済宗。

「藝州」馬琴の知人の武家安芸守であろうが、不詳。

「奥末人」南部丹波守の奥向き方の下役であろう。

「丹羽法葛」不詳。]

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