「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 晩景
晚 景
わたしの顏ははうれんさうのくさ
あほざめた葉つぱのやうに
うすつぺらのやつれた顏が
白い風景の中でびらびらうごく。
また神經はおいらん草のはなびら
しげる笹むらの葉末から、
そよそよとほそい手くびをふりうごかす
そこにはたましひの瞳がすわり
光るよもぎふの穗さきをこえて
ほのかにきゆる遠浪の沖をみつめてゐる。
ああ わたしの裸身(はだか)はいばらのとげ
からだいちめんにするどく生えて
ひきつる痛みにびくびくしながら
さむしい晚景の中でふるへてゐる。
[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。底本では『(五月作)』という日付け制作クレジットがあり、推定で大正三(一九一四)年とする。筑摩版全集では、「未發表詩篇」の中に以下がある。太字は同前。歴史的仮名遣の誤りはママ。
晩景
わたしの顏はほうれんそうのくさ、
あほざめた葉つぱのやうに、
うすつぺらのやつれた顏が、
白い風景の中でびらびらうごく。
また神經はおいらん草のはなびら、
しげる笹むらの葉末から、
そよそよとほそい手くびをふりうごかす、
そこにはたましひの瞳がすはり、
光るよもぎふの穗さきをこゑて、
ほのかにきゆる遠浪の沖をみつめてゐる。
ああ わたしの裸身(はだか)はいばらのとげ、
からだいちめんにするどく生えて、
ひきつる痛みにびくびくしながら、
さむしい晚景の中でふるへてゐる。
――五月作――
クレジットから本篇も同原稿をもとにしたもので、読点を除去し、歴史的仮名遣を不全に修正したものと思われる。なお、『「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 蝕金光路 / 附・別稿その他(幻しの「東京遊行詩篇」について)』の注で示した「晩景」という詩篇があるが、本篇との関係性は認められないと私は思う。
なお、全集の『草稿詩篇「未發表詩篇」』に「晩景」と題する本篇の推考過程を示すものがあり、『本篇原稿三種四枚』とある。以下に示す。歴史的仮名遣の誤りはママ。
*
晩景
わたしの顔ははうれんそうの草
あほざめた葉つぱのやうに
白い風景のなかでびらびらうごく
うすつぺらの病氣の顏
またしんけいはおいらん草の花びら
しげる笹むらのはのの葉のすきまから
なよなよとそよそよとながいこんな手くびをふりうごかす
そこにはたましひの眼がすわり
ながい草 の 木の光るよもぎふの穗さきをこえたて
ほのかに海の 遠鳴りを 遠浪をながめてゐる遠海の遠浪沖をみつめてゐる
ああわたしの裸形身にはいばらのとげ
からだいちめんにするどく生えて
はげしい★きりこむ//ひきつる//ぢごくの★いたみに★びくびく//ぴりぴり★しながら
[やぶちゃん注:「★」「//」は私が附した。上方の「きりこむ」「ひきつる」「ぢごくの」は三案併存で、下方の「びくびく」「びりびり」は二案併存を示す。]
さむいしい晩景のなかでふるえてゐる
*]
« 本日連れ合いが両股関節を一度に人工関節にする術式を行って成功致しました | トップページ | 「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 (無題)(しづかに我は椅子をはなれ、) »