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2021/11/18

曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 破風山の龜松が孝勇

 

[やぶちゃん注:これは国立国会図書館デジタルコレクションの「曲亭雜記」の巻第三下に載るので、それを底本とした。読みの一部は送り仮名に出した。歴史的仮名遣の誤りはママ(読みで現代仮名遣になっているものが有意にある)。]

 

   ○破風山の龜松が孝勇 琴 嶺 興 繼 稿

天明八年戊申冬十二月[やぶちゃん注:同年の十二月一日はグレゴリオ暦一七八八年十二月二十七日であるから、一七八九年である可能性が高い。]、湯島一丁目板木師平五郞が板せし、「御免龜松手抦孝行記」[やぶちゃん注:「抦」「柄」の異体字。]に云、『此度、信州佐久郡内山村百姓總右衞門事、狼(おゝかみ)に啖れ[やぶちゃん注:「くはれ」。]候處、若年悴龜松、卽坐に狼を抱留[やぶちゃん注:「だきとめ」。]、鎌にて殺候次第。

[やぶちゃん注:以下の記名は後者は凡そ九字下げであるが、引き上げ、宛名も含め、字空けもオリジナルに施した。]

 遠藤兵右衞門樣御支配所 當時 佐藤友五郞樣

   信州佐久郡内山村 百姓 總右衞門悴 龜松申十一歲

右村は信州・上州國境(くにさかい)、破風山(はふやま)の麓(ふもと)にて、總右衞門儀、高一斗餘所持、家内五人くらしにて、居宅より三町[やぶちゃん注:約三百二十七メートル。]程(ほど)隔(へだゝ)り、字(あざな)を「逢月(あいつき)」と申所に、「猪鹿防(しゝじかふせぎ)」の番小屋(ばんこや)へ、當【天明八年。】九月廿五日[やぶちゃん注:グレゴリオ暦十月二十七日。]夕方、悴龜松をつれまゐり、龜松は草を刈り、總右衞門は、小屋にて火を焚き居(ゐ)候處、後ろの方[やぶちゃん注:「かた」。吉川弘文館随筆大成版のひらがな本文に拠る。]より、狼、來り、足へ、喰(くら)ひ付き候を、ふりかへり候へば、唇(くちびる)より腮(あご)へ掛け、喰ひ付き候間、狼の耳を、つかみ、聲を立候に付、龜松、聞きつけ、驅(か)けまゐり、所持の鎌を、狼の口へ入れ候へども、かつら際(ぎは)より、噬(か)み折られ、用、立がたく、總右衞門所持の鎌を、龜松、取あげ、尙又、狼の口へ、抦[やぶちゃん注:「え」。]の方を捻じこみ、うしろへ、引倒し、兩人にて、押(おさ)へ候へども、總右衞門は、數ケ所、喰はれ候ことゆゑ、働き、なりがたく、打ち倒(たふ)れ候に付、狼、起き上(あが)り候を、龜松、石を以て、狼の口へ指し込み、鎌の抦を打ち込み、牙(きば)をかき候へども、狼、搔き付き、相働(あいはたら)き候に付、龜松、大指(おほゆび)にて、狼の兩眼(りようがん)を繰(く)り拔き[やぶちゃん注:抉(えぐ)り抜き。]、打敲(たゝ)き、漸(やうやく)、仕留申候。總右衞門事は、所々、喰れ候へども、灸所(きうしよ)[やぶちゃん注:急所。]に無ㇾ之ゆゑ、龜松、介抱いたし、宿へ連れ歸り、翌日より、療治・藥用等、仕候處、追日、快方のよしに候。龜松儀、年齡より小抦(こがら)にて、虛弱に相見え、中々、右體の働き可致ものには、相見え不申候。驚き迯げ退(の)きも可ㇾ致ところ、『親の大事。』と存じ、弱年に不似合(にあはぬ)働致候段、誠に古今の大手抦(おほてがら)に候。斯て、幼年の身にてさへ、かようの働いたし候。况や、大人に於て、をや。誰も心掛は、かく有たき事なり。羨むべし、羨むべし。

右龜松儀、父總右衞門、狼に出合候節、相働き、狼を仕留、父を助け候段、幼年にて奇特(きどく)なる仕方に付、御褒美(ごほうび)として銀弐拾枚、被ㇾ下ㇾ之。

右は、先頃、御代官大貫治右衞門樣、撿見(けんみ)[やぶちゃん注:幕府や領主が役人を派遣して、稲作の生長状態を検証して、年貢の率を決めること。或いはその役人。]として御出之節、野立(のだて)にて御聞被ㇾ遊、則、當人、御呼出し、始末、御尋の上、御書上げ[やぶちゃん注:底本は「け」であるが、吉川弘文館随筆大成版で訂した。]になり、右之通、此度御褒美被ㇾ下候事、誠に前代未聞、世上、親孝行の敎(おしへ)にも可相成と、板木に仕り蒙御免賣弘め申候。天明八申年十二月 明神前通湯島一丁目板元板木師平五郞

[やぶちゃん注:以下、底本では全体が一字下げ。]

興繼云、本文の、いと拙く[やぶちゃん注:「つたなく」。]見ゆるを、そがまゝに寫せしは、實を傳へん爲なり。この印本を、今も、藏弃(ぞうきよ)せし人も、ありてん。しかれども、紙の數、はつかに三丁ばかりのものなれば、永く世に傳ん[やぶちゃん注:吉川弘文館随筆大成版は『伝はらん』。]ことの、難かるべきを、いと惜しむのあまり、うつしとゞめぬ。原本の體たらく、世に「サゲ」[やぶちゃん注:落とし咄(ばなし)。]など唱ふるものゝ、街巷(ちまた)を賣り步くとは異(こと)にして、地名・人名も、いと正しく、且、「御免」の二字を冠(かぶ)らせしも、珍らかなり。「孝子の事を板して賣り步く事、これらや、始なるべきか。」と、家嚴(ちゝ)は、いへり。再び思ふに、この龜松が事、「孝義錄」に載せられたる歟。家嚴も、「覺えず。」と、いへり。猶、考ふべし。

[やぶちゃん注:「信州佐久郡内山村」現在の長野県佐久市内山(グーグル・マップ・データ)。

「逢月(アイツキ)」不詳。こんなに綺麗な字名なら残すべきと思うのだが、現在は人家もないか。

「信州・上州國境、破風山」現在の内山からは北に五・六キロメートルで、やや遠いが、「八風山」(はっぷうさん)があるから、それであろう(国土地理院図)。破風岳(はふだけ)はあることはあるが、遙かに北で違う。

「御免」公的に許しを得た事実報知であることを示す。

「孝義錄」江戸時代の孝子・節婦・忠僕及び奇特者の記録。全五十巻。寛政元(一七八九)年に「寛政の改革」の民衆教化策の一環として、幕府が、江戸初期以来の全国の農民・町人の善行表彰者の報告を命じ、さらに寛政一〇(一七九八)年には追加報告させ、それらを昌平坂学問所に集めて編集、享和元(一八〇一)年に官版として出版した。所載の表彰者総数八千六百十四名、表彰の時期は慶長七(一六〇二)年から寛十年までの約二世紀に及ぶが、全体の八十一%の六千九百八十五名は、宝暦から寛政までの十八世紀後半に表彰されたものである(平凡社「世界大百科事典」に拠った)。]

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