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2021/11/08

ブログ・アクセス1,620,000突破記念 梅崎春生 拾う

 

[やぶちゃん注:初出は昭和二六(一九五一)年八月号『小説新潮』で、後の短編集等への収録はない。

 底本は昭和五九(一九八四)年沖積舎刊「梅崎春生全集第三巻」を用いた。

 傍点「ヽ」は太字とした。文中に簡単な注記を入れた。作中に外国映画のコメディが出るが、私は喜劇映画が嫌いなので、ワン・シークエンスの台詞だけなので、作品は判らない。知りたい向きには、ウィキの「1950年の日本公開映画」或いは「1951年の日本公開映画」が参考になるかも知れない。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが、本日午後早くに(妻の入院先に物品受け渡しに行き不在中)、1,620,000アクセスを突破した記念として公開する。【202111月8日 藪野直史】]

 

   拾  う

 

      

 

 新宿から甲府にむかう甲州街道。その新宿から一里ほども来たところに、下高井戸というへんてつもない宿場がある。そこは街道と上水の間を、ほこりっぽい空地で区切って、都心からくるバスの終点にもなっている。[やぶちゃん注:東京都杉並区下高井戸(グーグル・マップ・データ)。]

 その朝、バスの終点標識から七八間[やぶちゃん注:十二・七八~十四・五四メートル。]へだたったところ、街道面のアスファルトがそこだけえぐれて、ぽっかりと小さな凹地をなしている箇所に、こまかく折り畳(たた)んだ紙片が、ひとつポツンと落ちていた。

 なにしろここらは、近来とみに車馬の往来がはげしく、道を横切るにも一苦労するようなところだから、道ばたのそんなよごれた紙屑に、誰も目をとめはしない。だからその紙片は、いくどとなく乗用車やトラックのタイヤに轢(ひ)かれて、あやめもわかたぬ程くろずみ、ブリキ板のようになって、平たく地面に貼りついていた。初夏の太陽があかあかと照って、そこらから水蒸気がうっすらと立ちのぼっている。

 丁度(ちょうど)午前八時五十分。街道に自動車のとだえた隙(すき)をねらって、反対側の歩道から、一人の肥った男が、バスの発着場をさして一目散に駈けてきた。その大型のバスには、運転手も女車掌もすでに乗りこんで、もう発車しそうになっている。すこし動きかけて、走ってくる肥った男を待つために、タイヤを半分車道に乗り入れたまま、ゆらりと立ち止ったところだ。

 肥った男の姿は、街道の中ほどまで転がるように駈けてきた時、れいの小さな凹地に足をとられたらしく、ガクンとよろめいた。とたんに片方の靴がすっぽり脱げて、男は踊るようなかたちで、二三歩ピョンピョンと片足飛びをした。その恰好(かっこう)が可笑(おか)しかったのか、そばかすのある若い女車掌は、真鍮(しんちゅう)の手すりにすがりつくようにして、甲高く短い笑い声をあげた。誘われたように、入口近くの乗客の三四人が、濁った含み笑いで、それに和した。しかしこれら不謹慎な笑い声も、とっさの間だったから、その肥った男の耳までは、おそらくは届かなかっただろう。

 穴山八郎(というのがその男の名なのであるが)は、両手を空に泳がせて、あぶなく立ち止った。そしてやっとのことで、ふくらんだ案山子(かかし)のように、ゆらゆらと靴の方にむき直った。まるい顔がまっかに充血して、皮膚には汗が粒になって吹き出ている。

 えぐれた凹地のまんなか、靴は死んだ蛙みたいにひっくり返って、ぶざまな底革を空に向けていた。白っぽくすり減った鋲(びょう)金。斜めに歪んだゴム踵(かかと)。底革の鈍感な輪郭。彼の眼はそれを見た。顔が内側からカッと燃え出すのを感じながら、穴山八郎はふたたび不器用な片足飛びで、あわてて靴の方に近づこうとした。その瞬間、靴の直ぐそばの地面に貼りついている、折り畳まれた奇妙な紙片の色と形が、ふと彼の眼をつよくとらえた。

(紙幣だ)

 穴山八郎は咽喉(のど)の奥で、あやうく叫びをかみ殺した。黒黒と印されたタイヤの跡の隙間から、大額紙幣特有の紫色の模様が、あわあわと滲(にじ)み出て見えるのだ。折り畳まれたその厚さでは、三枚や四枚の数とは思えなかった。靴の方に軀(からだ)をかがめながら、動悸が急にはげしくなるのが判った。

(――こんなところに、こんな紙幣(さつ)束が……)

 穴山八郎のふるえる指先は、とつぜん靴から横にずれて、紙幣束の一端に触れた。灼けるような感触が、指先から彼の全身に伝わる。反射的に頰の筋肉を歪(ゆが)ませ、へんに力むような表情になりながら、素早くつまみ上げた。真黒に塗りつぶされた短い時間の流れ。次の瞬間、彼の腕は不自然な動き方をして、それをポケットの中に辷(すべ)りこませる。同じ時間に、彼の足先はくねくねともがき、元の靴のなかにスッポリと収まっている。――そして彼は、叱られた幼児みたいな顔付になって、ぐいとバスの方に向き直った。

 バスの中から無数の視線が、彼をめがけて突き刺さってくる。それらを痛く全身で受けとめながら、彼はころがるような勢いで、再びバスの方に突進した。誰も見てやしない。誰も見てやしない。混乱した頭の奥で、そんなことを、呪文のように呟きながら。――

 

     

 

(ほんとに誰も見てやしなかっただろうな)

 バスが動き出してしばらくして、やっと動悸(どうき)も収まった頃、穴山八郎はおずおずと顛をあげ、そっとあたりを見廻しながら、そう思った。並みいる乗客たちは、さっきの出来事も忘れ果てたように、しごく無感動な姿勢で、新聞を読んだり窓外の風景を眺めたりしている。八郎はやや安堵(あんど)したような表情をつくって、手の甲で額の汗をしきりにぬぐった。

(とにかく――よかったな)

 なにがよかったのか、よく判然しないまま、彼は自分に納得させるように、そう呟いた。今日も今日とてすっかり朝寝坊して、電車ではとても間に合わないから、バスの停留場に駈けつけたのであった。会社には出勤時間にうるさい主任がいて、遅刻をすると恐い顔でにらみつけるのだ。だから電車定期があるのに、わざわざバスヘ駈けつけたのだが、とたんに穴につまずいてきりきり舞いして、路上に醜態をさらした。もっともそんな醜態をさらしたおかげで、奇妙な好運みたいなものに打ち当った気もするのだが。

(――好運?)

 八郎は急に落着かない顔付になって、右手をもじもじと動かした。あたりをはばかるように、窮屈そうに肱を曲げて、そっと右手をポケットに差し入れてみる。右手の乗客とぴったり体が接しているので、うまく手が入ってゆかないのだ。右側の客は薄地のスーツを着た肉付きのいい年増女である。濃めの口紅をつけた、つんとすました横顔が見える。かすかにただよってくるのは、何という香水の匂いかしら。八郎の指先はやっとのことで、ポケットの底の紙幣の端に触れた。バスがごとんととまって、また何人かの客がのろのろと乗り込んでくる。

(間に合うかな?)

 会社の主任の不機嫌な顔をとたんに思いうかべて、八郎はちらと顔をしかめる。今月に入って、もう三回も遅刻しているのだ。今日また遅れれば、うるさく文句を言われるにきまっている。いま何時何分ごろかしら。八郎のすぐ前の吊皮には、タイピストらしい風態の若い女がぶら下がっている。その腕時計の針を見ようと思うのだが、車体が動揺するので、うまく読み取れない。それにその女は、袖の寛(ひろ)く短い卵色のセーターを着けているので、白い腕がよじれる度にゆたかな鳶色(とびいろ)の脇毛がちらりとのぞくのだ。見ているような見ていないような、曖昧(あいまい)なずるい視線で、八郎はそれをチラチラと眺めている。ちぢれて軟かそうなそのあり方が、やがて八郎の内部の奥のものを、微かにしかし執拗(しつよう)にそそってきた。

(今日は会社に出るのは、やめにするかな)

 そんな考えがふいに八郎の頭を走りぬける。遅刻よりは欠勤の方が、まだマシだろう。主任のあの苦虫をつぶした顔を思うだけでも、ぞっとする。それに今日という日は――と八郎は、ポケットの右手を微妙に動かしながら、自分に言い聞かせるように呟(つぶや)く。朝から奇妙な拾い物をした特別の日なんだから――。たしかにあれは千円札だったが、一体何枚ぐらいあるんだろう?

 ポケットの内で八郎の指は、虫のようにうごめき、重なった紙幣の耳をひとつひとつ数えていた。五枚。六枚。七枚。……その手ごたえのある感触が、ふと八郎の肥った頰をゆるめてくる。三十歳。未だ独身。しかも使おうと思えば使える巨額の金が、ここにある。自分さえその気になれば、今日という日を、誰も拘束できないではないか。――ぼんやりと弛緩した笑いが、八郎の頰にゆるゆるとのぼってきた。そうだ。今日一日ぐらいは、たまにはこの俺だって――。

「なにをなさるの!」

 突然、低いけれども、とがった鋭い声が、耳のそばで弾(はじ)けた。右側の席の年増女の顔が、キッとふりむいて、八郎をにらみつけている。指先の紙幣の感触と鳶色にうずまく脇毛に、かたみに心を奪われていた八郎は、ハッと身体を硬直させて、顔をそちらにねじむける。とげとげしい女の声が、つづいてかぶさってきた。

「へんな真似はしないでちょうだい。なんです、朝っぱらから!」

「ぼ、ぼくは何も――」

 紙幣を手探る指のうごめきを、肉体を接しているのでこの年増女は、いやらしい悪戯(いたずら)と解したのだな。咄嗟(とっさ)にそう気付くと、八郎はまっかになって、しどろもどろな声でどもった。

「ぼ、ぼくはただ、この、ポケットの中の――」

 どう説明すればいいのか。拾った紙幣を数えていたでは、通用しないだろう。八郎は混乱しながら、言葉を切り、あわてて間題の右手をポケットから引き出した。その右手は、居場所がないように、しばらく宙(ちゅう)をうろうろとした。

「ほんとに、いやらしいったら、ありゃしない」

 とどめをさすように舌打ちをして、女の顔はぷいと正面を向いた。周囲からさげすまれ、嘲笑されている自分をかんじて、八郎は口も利(き)けず頸(くび)をギュッと肩にめりこませた。なんとも完膚(かんぷ)なきまでに惨(みじ)めな気持である。周囲の吊皮の客たちも、こちらを見おろして、せせら笑っているらしい。鳶色の脇毛もくそもあるものか。ほんとに今日は、なんという奇妙な日だろう!

「御苑前。新宿御苑前。ございませんか」

 バスがとまった。反射的に八郎は腰を浮かせ、人混みをかきわけて、出口の方に突進した。さながら傷ついたイノシシみたいな恰好で。

 

     

 

 朝の新宿御苑は、芝生はなめらかにひろびろと拡がり、樹々はむんむんと緑の梢を、天高く伸ばしていた。時刻のせいか、入場者の影はほとんど見えないようであった。玉砂利をしいた遊歩道を、八郎の姿はせかせかと足早に歩いたり、また急にゆっくりした足どりになって動いたりした。日射しはすでに、午前十時を廻っているらしい。道はいくつにも枝に分れ、行けども行けども果てしがなかった。

 どういうつもりでこの御苑に入ってきたのか、八郎は自分でもよく判らなかった。どうも発作的に飛びこんだような気がする。

「さて。――さて」

 これで何度目かの意味ない呟きを口にしながら、八郎はやがて決心したように竹柵をまたぎ、こわごわと芝生に足を踏み入れた。大きな泰山木(たいざんぼく)の根元に、かくれるように腰をおろすと、彼は小学生のように両手を横にあげ、二三度大きく深呼吸をした。それから思い切りしかめた顔を、膝の間に埋めながら、乱暴な声で独りごとを言った。

「ざまあみろ。とうとう会社を休んじまいやがって!」

 芝生には見渡すかぎり、誰もいなかった。八郎はしばらく頭を垂れ、その姿勢のままでいた。やがてゆるゆると顔を上げると、急にきつい眼付になってぐるりを見廻し、ポケットからごそごそとれいの紙幣をとり出した。乾いた泥が紙幣の表面から、はらはらと舞い落ちる。彼の手はそれを拡げ、一枚一枚芝生にならべて行った。全部で十枚。十枚のその千円紙幣は、芝の緑の上に、扇形の奇怪な模様を形づくった。八郎は腕を組んだ。

「誰が落したんだろうな」

 そして彼はフンと鼻を鳴らした。誰が落したってかまわないではないか。もしかすると、捨てたのかも知れない。人間という種族は、他の動物と違って、想像できないようなこともする動物だからな。捨てるということもあり得るさ。彼はふてくされた気持でそう考え、再びフンと鼻を鳴らし、小学生的良心のかけらを踏みつぶそうとした。路上できりきり舞いをしたり、バスの中で恥をかいたりした揚句、それでこの金が使えなければ、俺は一体どうなるのか。あんまり莫迦(ばか)にするな。

「よし、今日一日で、これを全部使い果たしてしまえ」

 八郎は双手(もろて)をつき出して、サラサラと紙幣をかき集めた。一万円。それは彼の月給より、二千円も多いのだ。この金を生活のために使えば悪いが、今日一日で蕩尽(とうじん)してしまうのなら、神様も大目に見て呉れるだろう。罰せられても、今日一日の自分が罰せられるだけだ。よし。八郎は踏切るようにうなずいて、紙幣束をぐいとポケットにねじこみ、はずみをつけて立ち上った。とにかく今から時間潰しに、この天下の名園を心ゆくまで、王侯の心をもって漫歩しよう。

 足を忍ばせて芝生を出、ふたたび玉砂利の歩道を、八郎は胸を張ってゆるゆると歩き出す。胸を張ったつもりでいても、背後から見ると、八郎の背は丸くちぢかんで、目に見えない重荷を背負っているように見える。じっさい彼はしっかと踏みしめているつもりなのに、妙に心もとない足どりを感じた。ここを歩いている自分自身が、へんに現実感がない、影のような存在に思われた。その想念を追っぱらうように、彼は一歩毎に、確かめるように口ずさむ。

「一万円。一万円。――一万円」

 

     

 

 午後一時。

 穴山八郎はぼんやりした顔をして、新宿の人混みのなかを歩いている。

 そしてふと何ごとか思い付いた風(ふう)に、人混みの列を離れ、とある店の中に入ってゆく。階段をのぼる。そこに置かれた料理の陳列棚を、暫(しばら)くまじまじと眺めている。

「ボルシチ・ランチ」食券売場でそう言って、れいの千円札の一枚を差し出す。八百五拾円のおつりと、一枚の食券。[やぶちゃん注:「ボルシチ」(ロシア語борщ:ラテン文字転写borshch)はロシアスープの一種。最もロシア的色彩が濃く、公式の饗宴にも日常食にも用いられ、ロシアの各地方には郷土色豊かな種々のボルシチがある。本式のそれは赤蕪を主体に、ベーコン・トマト・人参・玉葱・キャベツ・セロリ・ポアロなどとともに、実沢山に煮込み、彩色も豊かで、サワー・クリームをかけて食べる。]

 食堂の内部はむれて暑かった。一番すみの卓に八郎は腰をおろしている。ボルシチ・ランチ。陳列棚のなかでは、これが一番高い。高いから、買う気になったのだ。しかし八郎の身体は、へんにだるく疲れて、食欲があるのかないのか、自分でもはっきりしなかった。まだあと、九千八百五拾円もある。

 やがて、ボルシチ・ランチが、運ばれてきた。赤くどろりとした肉汁。熱そうに湯気が立っている。小皿。一塊の麵麭(パン)。眼前にそれらが並べられたとき、八郎はなんだか得体の知れない、妙に重苦しい負担をかんじた。

(何かかるい、つめたいものにすれば、よかったな)食堂は満員であった。どれもこれも、アイスクリームを舐(な)めたり、ソーダ水をすすったりしているのだ。こんなものを食べているのは、八郎一人であった。皆が珍らしげにこちらを眺めているような気がする。顔じゅうから汗を吹き出しながら八郎はしきりにスプーンを口に運んだ。運んでも運んでも肉汁はすこしも減らなかった。相変らずどろりと淀んで、赤い湯気をゆらゆらと立てている。

 八郎の向いには、痩せた貧しげな大学生が一人腰をおろして、ゆっくりと饅頭(まんじゅう)を食べていた。白い饅頭の皮を食い欠きながら、八郎の肉汁をじっと見詰めている。八郎のフオークが牛肉のかたまりをとり出すと、学生の視線はそれを追って、八郎の唇までついてくる。なにか監視されてるみたいで、八郎はだんだんやり切れなくなってきた。

(好きこのんでこんなものを、食ってるんじゃないんだぞ)

 そう叫びたいのをこらえながら、顔じゅうを汗だらけにして、八郎はやっとのことで食べ終えた。胃のへんがぶうっとふくらんで、濡れた海綿でも押しこまれたような感じだ。八郎はしきりに汗を手巾(ハンカチ)で拭き拭きうんざりしたような顔になって、コップの水をガブガブと飲みほした。前の大学生はすっと立ち上ってひっそりと食堂の外に出て行った。八郎はがやがやした食堂の内部を見渡しながら、説明しようもない孤独をひしひしと感じた。

「どうも何かがハッキリしないヨ」

 と彼は呟いた。この食堂に来る度に、いつかは食べたいと思っていたのが、この料理であった。しかし彼の給料では、とても注文し切れないので、いつもは饅頭で我慢していたのだ。さっきの大学生のように。今日はゆくりなくも日頃の念願を果たすことができた。ところが食べ終えても、ゼイタクをしたあとのあの充足感が、奇妙に湧き上ってこないのだ。むなしく腹がふくらんだばかりである。八郎はやがてけだるく腰を浮かしながら、情なさそうな声でつぶやいた。

「映画でも見てやるか」

 映画なら腹にもたれないだろう。映画館のなかでゆっくりと、残金の使途について考えてもいい。そして八郎は立ち上った。そのはずみに、彼の肥った膝裏に押されて、椅子が大げさな音を立てて、床に横ざまにころがった。食堂中のすべての眼が、一瞬八郎の狼狽した姿にあつまる。

 

     

 

 スクリーンには黒白の映像が、ちらちらと動き、濁った機械音が間歇(かんけつ)的に場内に流れていた。

 一番前の座席にすわり、八郎は脚をながながと前に突き出して、スクリーンを見上げていた。途中から入ったので、話の筋がよくのみこめなかった。皆がどっと笑っても、八郎は少しも可笑(おか)しくない。八郎の側にいる女客は、笑い上戸だと見えて、要所要所にくると甘ったるい声で笑い出す。咽喉の軟かい肉や濡れた舌を、じかに想像させるような、妙に肉感的な笑い声であった。八郎は時折スクリーンから眼をそらして、ちらちらとその女の方をぬすみ見た。

 女は器械編みの赤いセータを着て、眼鏡をかけていた。画面が明るくなると、女の顔も白っぽくなり、暗くなると、とたんにくすんだ色になる。そして可笑しい場面がくると、手にしたハンカチをくしゃくしゃに丸めながら、肉感的な笑い声が女の唇からころがり出る。

(さっきは失敗したな)

 どうした聯想(れんそう)か、ふとバスの中のことを思い出して、八郎は顔をちょっとしかめる。あのことがまだ後味わるく、胸に尾を引いているのだ。それを打ち消すように八郎は口の中でもごもごとつぶやいてみる。

(どうだっていいさ。とにかく今日一日の俺というのは宙に浮き上った架空の人間なんだから、な)

 架空の人間。その思い付きが、瞬間八郎の眉を明るくさせる。――スクリーンでは、息子らしい男が母親に話しかけている。浮き上ったスーパー・インポーズの文字。

「今度女友達を家に連れてきたいんだよ」と息子。

「へえ。どこで知り合ったんだね?」と母親。

「映画館の中で、その女(ひと)がハンカチを落っことして、それを僕が拾ってやったんだ」

「まあ。ずいぶん古い手だこと。そんな古い手に引っかかったのかい、この子は」

 傍の女が身体をゆすってころころと笑い出す。ハンカチを握ったその女の手が、偶然に八郎の膝にやわらかく触れている。画面に気をとられて、女はそれを意識していない様子だ。汗と香料と混ったような匂いがかすかに動く。それに誘われたように、バスの吊皮にぶら下がっていたタイピスト風の女の、腕の付け根の印象が、突然はっきりとよみがえってくる。八郎は少しずつ息苦しくなってきた。

(九千七百何拾円だぞ)と彼は思う。(まだ三百円しか使っていない)

 一日で一万円を使い果たすには今のやり方ではダメだ。徹底的に俗悪にならねばならぬ。俗悪にふるまわねば一万円なんか使い尽せるものか。八郎はしだいに息苦しく、酒に酔ったように気分がほてってくる。バスの中の自分のぶざまに復讐するような気持だ。古い手だって何だって、かまうものか。そして八郎の腕は肱(ひじ)掛けから降りて、のろのろと自分の膝の方へ近づいてゆく。そこに女の掌がある。

 女はびくりと体をふるわせた。しかしそのまま、じっとしている。八郎の指は、しっとりしめったような冷たい女の掌を、しっかと摑(つか)んでいた。女の掌は摑まれたまま、何の反応も示さない。そして女は横目をつかって、じっと八郎の方をうかがっているらしい。

(俗悪だ!)スクリーンに見入るふりをしながら、八郎は腹の底で自嘲する。(何ともはや、俗悪きわまる!)

 その瞬間、女の掌にすこし力が入って、八郎の指から脱け出ようとするらしい。八郎は自然らしく指をゆるめた。ぬめぬめした感触をのこして、女の掌は自分の膝の方にそろそろと戻ってゆく。そしてしばらく経った。

 女は座席にかたくなって、スクリーンに顔を固定させている。可笑(おか)しい場面がきても、もう笑わなくなった。

 やがて、終りの字幕。パツと明るくなる。

 八郎が立ち上るのと一緒に、女も立ち上る。廊下に出ると、廊下についてくる。そして自然に肩が並んで、二人は表へ出る。女は平たい靴を穿(は)いて、いくらか外輪(そとわ)な歩き方をする。眼鏡の奥で目を細めて、わざとらしい独りごと。映画のプログラムをはたはたさせ、咽喉(のど)もとに風を入れながら、

 「まあ。外は暑いこと」[やぶちゃん注:「外輪な歩き方」爪先(つまさき)を外側に向けて歩くこと、及び、そうしたX脚の足の歩行様態のこと、或いは意識的にそのような歩き方をすること。]

 

     

 

 お腹が空いたと女が言うので曲り角の中華料理屋に入った。女は五目ソバを注文した。

 女は鼈甲縁の眼鏡をかけ、丸々した顔をしていた。二十三四になるかしら。唇がすこしまくれ上った感じで、そこが可愛いと言えば、そう言えないこともない。頸(くび)をちょっとかしげ、眼を細めてものを言う癖があった。なんだか舌たるいような声であった。もう動作もすっかり慣れ慣れしくなっている。

「ずいぶんロマンチックねえ、あの映画」

 ソバを唇に運びながらも、女はひっきりなしにしゃべった。映両の批評や、その原作の話など。八郎はビールをかたむけながら、それに相槌(あいづち)を打ったり、ちらちらと女の動作を観察したりした。素人は素人に違いないが、すこし頭が甘いらしい。八郎はビールを飲み下しつつ、そんなことを考えている。久しぶりのビールなのに、なまぬるく、舌ざわりも良くなかった。焼酎の方がよっぽど気が利いている、と思いかけて止(や)めた。内ポケットの紙幣(さつ)束の重みが急にズッシリと感じられた。

「あたしこれでも、文学少女なのよ」ギラギラする汁を箸(はし)でかき廻しながら、女はちょっとしなをつくって見せた。

「将来は劇作家として立ちたいの。だから映画を見ることは、とても参考になるのよ」

「そりゃ結構なことじゃないか」

 自分のことをいろいろしゃべったあと、女はちらと上眼を使って彼に訊ねた。

「あなたはなに? どこにお勤め?」

「いや」と八郎はあいまいな笑い方をした。「今日は僕は、特別なんだから――」

「トクベツ?」舌たるく女は反間した。

「そう。特別人間だ」

 ビール二本の酔いが、それでもほのぼのと廻ってきて、八郎はわざとキザな口調で答えた。そうすることに妙な快感もあった。

 壁間の大時計が、そうぞうしく六時を打った。その音が八郎の胸を、瞬間、ややいらだたしくかり立てた。今日の残りはいくばくもない。早くどうにかしなくては!

 金を払うだんになると女は、自分のぶんは自分で払うと言ってどうしてもきかなかった。そして取出した女の赤い金入れを見た時、何故だか八郎は突然自分の中から急速に欲望が衰えてゆくのを感じた。映画館で掌を握りしめたあの瞬間の気分が、急にほかのものにすり替えられてゆく。それは酔いと重なって妙にけだるい感じとして、八郎の身体にきた。

「パチンコでもやるか」

 表に出て八郎は何となく誘った。外はまだ明るく、街はひけ時でザワザワと混雑していた。

「でも――」女はちょっとためらう風(ふう)をした。「もう、帰らなくちゃいけない、とも思うし――」

「うちは何処。お父さんはいるの?」

「ううん。友達とふたりでアパート暮しよ。今夜はあたしが、晩飯の当番なんだから」

 そう言いながらも女はグズグズと、思い切り悪くついてきた。八郎は何かをしきりに確かめようとするような顔付になって、ゆるゆると人混みを歩いてゆく。肥った頸(くび)筋が酔いであかくなって、そこにぎゅっとカラーが食い込んでいる。

 裏街のパチンコ屋で、ひとしきりパチンコを弾(はじ)きながら、そこで十円札が三四枚減った。パチンコは八郎の手にしたがって、カラコロと回転した。歯の根も合わぬ、身の毛もよだつような絶大の快楽は、この世にはあり得ないのか。蒼然と衰えゆく夕光を感じながら、八郎は自分をはげますように、しきりにそう思っていた。なんだか妙に淋しく、また妙に切ない気分でもあった。今日という日が終ると、またあの物憂(う)い明日が始まるのだろう。その意識が八郎にはやり切れなかった。この金でいっそ旅に出てやろうか。そんなことも思う。れいの女は二三台向うで、憑(つ)かれたように熱心に、玉を弾いているのだ。赤いセータ。灰色のスカート。うすい靴下の色。眼鏡の下にぼったりとふくらんだ瞼。しっとりしめった冷たい皮膚。(あいつを今夜宿屋に連れこんで、裸に剝(む)きあげて――)彼はそれを横目で見ながら、けしかけるように力いっぱい玉を弾く。(そしてあの悪雲助が、かよわい女順礼をなぐさむようにして――)

 映画館の中でうす汚なく手を握り合った仲だから、そこらの落ちが似合いではないのか。強いて考えをそこに持って行こうとあせりながら、八郎はすべての気持を賭けるつもりで、最後の玉をパチンと弾き上げた。玉はカラコロと釘を縫ってむなしく底穴に吸い込まれた。

 

     

 

 

 鰻(うなぎ)屋の二附にのぼり、酒をさすと、女はいくらでも飲んだ。帰ることも忘れたような顔になり、さされるまま、つぎつぎと器用に盃を乾す。相当飲みなれた手付きであった。ほんとに妙な女だな。そんなことを考えながら、八郎も盃(さかずき)を乾した。向うでも、妙な男だな、と思ってるかも知れない。そう思っているうちに、酔いがふたたび急に廻ってきた。

(今日は俺は大金を持ってるんだぞ)

 それがしゃべりたくて仕方がなかった。しかし彼はそれは言わず、女のよく廻る舌や唇の動きばかり眺めていた。女はしきりにどこかの劇団の内幕をしゃべっていた。その合の手に、串をつまんで鰻を口に持って行く。鰻の肉はでっぷりふくらんで、ぎらぎらと不潔な色をたたえている。霜焼けした手を、それは何となく聯想(れんそう)させた。だから八郎はそれに手をつけず、塩豆ばかりつまんだ。――[やぶちゃん注:この段落の二箇所の「鰻」は実は「饅」となっており、ママ表記もないが、私は底本全集の誤植と捉え、特異的に訂した。]

「あんた、いい人ねえ。きっと善い人よ」

 その声が妙に乱れると思ったら、女も急速に酔いが廻ってきたらしかった。眼がすこし無邪気にとろけて、片肱(ひじ)を卓につき、いつか足をくずして横坐りになっている。白い下着がのぞいて見えるのだ。質素なその布地は、女の生活の陰影を彼にひたひたと感じさせた。

「なんだかあんたという人は、妙に安心できるわねえ。そうでしょ。皆そう言うでしょ?」

「――うん。皆もそう言うよ」

 じっさい会社でも、八郎はきもっ玉の小さな、善良な男として通っていた。自分のそんな性格に、八郎はいつも反撥と嫌悪をかんじているのであったが。

「そうだろうと思った。やはりあたしの眼に、狂いはないや」

 女はそんなことを言いながらしきりに手酌で盃をあけた。八郎も負けずに盃をあおる。そうすることで自分の嗜欲(しよく)をはげまし育てるかのように。女の語調が乱れて人を小莫迦(ばか)にしたような口をきき出すのが、ふしぎに耳にこころよかった。何もかも、もうどうでも良かった。深く立ち入って考えるのは面倒くさかった。そこで思ったままを、

「でも、善いっていうことは、意気地なしってことさ。な、そうだろ?」

「意気地なしだって、いいじゃないの。偉ぶってるのよりは、よっぽどマシよ」

 それからとろけた眼を据(す)え、女は何を思ったのか、ぐにゃぐにゃとなまめかしく坐り直し、両掌をついてこんなことを言ったりした。

「――この度は、ふしぎな御縁で、お近付きになりまして」

 鰻屋を出ると女はいきなり彼に腕をからませてきて、もう一軒自分が知っている店に行こうと言い張って聞かなかった。だから仕方なく彼もついて歩いた。足がすこしフラフラして街の燈がすべて茫とうるんで見える。彼はいつか腕を女の胴に廻していた。彼の腕の輪のなかで女の胴はくりくりと動いた。しかしそれは確かなようでいて不確かな感触でもあった。女は彼よりも二寸ほど背が低かった。[やぶちゃん注:段落頭の「鰻屋」も「饅屋」。同前の処理を施した。]

 女が連れて行ったのは、屋台ともつかぬ細長い小店であった。先客が二人ほどいて、なにかしきりにむつかしい議論をし合っていた。女はそこの女主(おんなあるじ)と顔見知りらしく、お互いにいくらかぞんざいな口の利(き)き方をした。

 運ばれてきたのは、焼酎(しょうちゅう)であった。コップの中でそれは透明に、ゆたゆたと揺れていた。女が先にちょっと口をつけて言った。

「あらあ。これ、焼酎じゃないの」

「だって、あんたは、いつも焼酎じゃないの」

「そりゃあそうだけどさあ」

 女は甘ったれたような声を出した。

「今日は友達を連れて来たんだからさあ」

「いいんだよ、僕も、これで」

 八郎は投げだすような口調で言った。ほんとにほんとに、どうでもよかった。店の奥手の小窓を通して、かすかな汽笛の音が八郎の耳に届いてくる。あの金で切符を買い、駅から中央線に乗って、どこか遠く遠くへ行ってしまう。八郎は粗末な板壁に頭をもたせ、そういうことを本気で空想し始めていた。青々とした山。つめたく鎮(しず)もる湖。小さな駅舎。トンネルや鉄橋。彼を乗せた汽車が、それらを縫ってぐんぐん走って行く。……

「こちら、おとなしいのね」

 女主(おんなあるじ)が糸切歯をちらと見せて、彼に笑いかけてきた。言葉の抑揚に、どこか上州方面の訛(なま)りがあった。彼はぼんやりと充血した眼を開いた。

「ああ。汽車に乗ることを、いま考えてたんだ」

「あら、どこかにご旅行なさるの?」

「旅行なんか、するものかあ」

 傍の女が乱れた声で口を入れた。もう彼女は二杯目を飲んでいて、動作もひどくだらしなくなっていた。片掌を宙に泳がせながら、誰にともなく、

「――こ、この人ねえ、あたしの手をねえ、握ったんだよう。こうやってさ、こんな具合にさあ」

 女の指がくねくねと動いて、彼の掌にからまってきた。彼は黙ってじっとしていた。あの時の女の態度と同じように。――女の指はほてって熱かった。やがて、ある虚(むな)しい哀感が、ほのぼのと彼の全身をつつんできた。彼は腕にすこし力を入れ、そろそろと女の指から掌を引き抜いて行った。この女はここに残して、おれはもう帰ろう。咄嗟(とっさ)にそう心に決めながら、その掌を伸ばしてコップを摑み、残りの液体を一息でぐっと咽喉(のど)に流しこんだ。強烈な液体は咽喉を灼いて、彼の食道に辷りおちて行った。

 

     

 

 ――夜の新宿の街を、彼はひとりでふらふらと歩いていた。残った紙幣束を片手にわしづかみにして、あてもなくよろめきあるいていた。汽笛の音がしきりに聞えるような気がするのだが、どこで鳴っているのか、頭の外側で鳴っているのか、頭の内側で鳴っているのか、それもハッキリとしなかった。そこらの時間の流れは、茫漠としてぼやけている。またどこかの店に入ったような気もするし、そうでないような気もする。

 ……ふと気がつくと、彼は輪タクのほろがこいの中に、上半身を半ば倒すようにして腰かけていた。ほろの外から、声が呼んでいる。[やぶちゃん注:「輪タク」自転車タクシーの通称。二輪車若しくは三輪車で。人力により乗客を運ぶもの。ウィキの「自転車タクシー」によれば、『終戦時の物資不足から燃料がわずかで、タクシーを走らすことができなかったことから』、『大正初期に生まれた「人働車」を新たに登場させたもので、その名称は、自転車を指す「銀輪」と「タクシー」という言葉の合成させたものからきている』。『日本における輪タク営業のはじまりは』、昭和二二(一九四七)年二月一日、『闇市を統率してきた関東尾津組が』二『人乗りの輪タク営業を東京で始めたもの』が最初『だといわれている』。『ちなみに営業当初は』二十四キロメートル十円で、その後、十月には二十円に『値上げされ』、一キロメートルごとに十円加算『となっていた。都電と都バスの料金が』五十『銭だった当時から考えると』、『高級な乗り物だった』。『その後、同じような営業が各地に広まり』、昭和二四(一九四九)年には、全国で七十(営業者・団体)を『超え、色々な種類の輪タクや業態が登場した。新潟市の厚生車では、リヤカーに一人用の幌をつけた急造的なもので、日中は駐輪場で、日暮れからは飲み屋などのある盛り場に停車場を設け、客を待つ日々だったという』。『輪タクの多くは』、昭和二六(一九五一)年から昭和二七(一九五二)年頃には殆んど姿を消し、見られなくなった、とある。本作は昭和二六(一九五一)年八月発表であるから、東京の輪タクの後・末期ということになろう。私は十数年前、ヴェトナムでバイクのそれに乗ったことはある。引用元のウィキにある、まず、本邦の昭和二十四年のものと思われる「輪タク」の写真をリンクさせておく。これで「ほろがこい」(幌囲い)の意味もお判り戴けるはずである。]

「旦那、旦那。着きましたぜ。ここは下高井戸ですぜ」

 彼はもの憂く身体を起し、車体をゆるがせて、外によろめき出る。そしてポケットから紙幣のかたまりをわし摑(づか)みにとり出すと、いい加減に数えて輪タク屋にわたす。輪タク屋が車を廻して、元来た道へ戻ってゆくのを、立ったままとろんとした眼で見送っている。

「済まねえなあ。ほんとに」

 暫(しばら)くしてぼんやりと彼は呟く。

「折角一万円を落して呉れたのに、こんなダラシない使い方をしてさ」

 落し主がそこにいるかのように、彼は二三度空(くう)にむかって頭を下げる。それから上半身を曲げて、そこらの地面をうろうろと探し廻る。そして彼はやっと見つける。アスファルトがえぐれて、浅い凹地になっている。彼は紙幣束をぐっとかためて、そこに静かに置く。そしてそれを靴で踏みつける。力をこめて、何度も何度も。

「こうして置けば、明日誰かがこれを拾うだろう」

 彼は膝を上げて、ぐいと踏みおろす。

「拾った奴は、おれみたいじゃなく、うまくやれよな。ほんとに!」

 やがて紙幣束は、靴裏の泥に再びよごれて、ペチャンコになってしまう。

 それから彼の姿は、よろよろと街道を横切り、そこにある路地のなかに、ふらふらと消えてしまう。あとは人気(ひとけ)のない広い街道を、ねっとりした初夏の夜風が、ゆるやかに吹いているだけだ。

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