萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 一宮川旅情の歌
一宮川旅情の歌
よしやあしや
水草の葉をしばし吹き鳴らさむ
ここは上總(かずさ)の國一宮(いちのみや)川
とび魚の水をとびかひ
蜜柑の皮の浮くや沈むや
風ふけば海鳴りいでて
あまつさへ鶫(つぐみ)なくなり
ああはやかかる渚に一人たたづみ
わればかり哀しむ人はまたとあらず
浮寢鳥、旅する旅に幾日(いくか)へにけむ
ここもまたよしやあしやは
たそがれて水草の葉を吹き鳴らす寂しさよ。
[やぶちゃん注:「たたづみ」はママ。
「一宮川」(いちのみやがは)は千葉県の九十九里平野南部を流れる。描写から見て河口附近の景であるが、奇しくも、晩年に萩原朔太郎と友人となる芥川龍之介が、大学時分、重要な人生的転回点に於いて、複数回(確実には二度)、避暑した場所にごく近い。私の「芥川龍之介書簡抄27 / 大正三(一九一四)年書簡より(五) 吉田彌生宛ラヴ・レター二通(草稿断片三葉・三種目には七月二十八日のクレジット入り)」(地図リンク有り)及び「芥川龍之介書簡抄62 / 大正五(一九一六)年書簡より(九) 塚本文宛(恐らく芥川龍之介の書簡の中で最も人口に膾炙している彼女へのラヴ・レター)」を参照されたい。
さて、本篇は筑摩書房版全集の「習作集第八卷(愛憐詩篇ノート)」の「月見草」と酷似する(相同ではない)。以下に示す。「密柑」「たゝづみ」「あらぢ」「鳴す」は総てママ。
一宮川旅情の歌
よしやあしや
水草の葉を折りてしばし吹き鳴らさむ
こゝは上總の國一宮川
飛び魚の水をとびかひ
密柑の皮の浮くや沈むや
風ふけば海鳴りいでゝ
あまつさへ鶇(つぐみ)なくなり
あゝはやかゝる渚に一人きてたゝづみ
わればかり哀しむ人はまたとあらぢ
浮寢鳥旅により旅に幾日へにけむ
こゝもまたよしやあしやは
たそがれて水草の葉を吹き鳴す寂しさよ。
(五月九日)
筑摩版では、同ノートの直前の「雨の降る日」(添え題「(兄にううたへるうた)」)のクレジットが『〔一九一三、五、二十〇、〕』となっており、直後の「綠蔭」のクレジットが『(二十四、五、一九一三)』であることから、大正二年五月九日の作と推定出来る。それを裏付けるように、筑摩版年譜には、大正二年五月の条に、『妹ユキと、千葉縣一宮方面に十日間ほど旅行』とある。今までの数篇と同じく、有意に表記上の違いが見られることから、小学館版の本篇のソースは「習作集第八卷(愛憐詩篇ノート)」とは別の未発信書簡に記された詩篇である可能性が高い。]