萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 遺稿詩篇 群盜
群 盜
足なき足の步みをきくの日ぐれ
この寂しき市街に住まへる
ぬすびとどもの心は强くかつ正直であつた
あるひは路に居てぱんを喰べ
あるひは路に居て水をのむ
わたくしどもは宿なし犬のたぐひにして
また夕ぐれの窓より細き手をのばして
人の食卓より鴨をぬすむの盜人である
ああ 十一月仲秋の夜
めんめん懺悔ををへ
酒盃をあげて悲しむの鼠盜である。
[やぶちゃん注:二箇所の「あるひは」はママ。九行目の「十一月仲秋」は不審な表現だが、これも原文のママである。
「鼠盜」は音では「そたう(現代仮名遣:そとう)」であるが、「小さな盗みをする泥棒」の意であり、ここは意訓で「こそどろ」と読みたい。筑摩書房版全集では、「未發表詩篇」に、同題で以下のようにある。二箇所の「あるひは」「おへ」はママ。
*
群盜
足なき足の步みをきくの日ぐれ、
この寂しき市街に住まへる、
ぬすびとどもの心は强くかつ正直であつた、
あるひは路に居てぱんを喰べ、
あるひは路に居て水をのむ、
わたくしどもは宿なし犬のたぐひにして、
また夕ぐれの窓より細き手をのばして、
人の食卓より鴨をぬすむの盜人である。
ああ 十一月仲秋の夜、
めんめん懺悔をおへ、
酒盃をあげて悲しむの鼠盜である。
*
編者注があり、『九行目の「十一月仲秋」は原文のまま』とある。さても、これは、もう、同一原稿である。
なお、同全集の『草稿詩篇「未發表詩篇」』には本篇の二つの草稿(標題は一つは「鼠盜」、今一つは「群盜」)が載る。以下に示す。歴史的仮名遣の誤りや誤字は総てママである。
*
群鼠盜
足なき足の步みをきくの日ぐれ
この長き寂しき町市街に住む、
老ひたるぬすびとどもの心は强くかつ一直線まつ正直であるつた、
かれはあるひはみな路に居てぱんをたべ
家路に居て水をばのむ
ああわたしどもはぬすびとの宿なし犬のたぐひにてして
また夕ぐれの窓かよりほそき手をのばして
食人の食卓より鴨をぬすむの盜人である、
ああすでに夜はきたり
さんさんたる星夜天の空に窮蒼の下[やぶちゃん注:編者は「窮」は「穹」の誤字とする。]
みなみな→めんめん 思をかけ
ひとびと祈り
めんめん殲悔をなし
洒盃をあげて悲しむの從輩鼠盜である。[やぶちゃん注:編者は「從」を「徒」の誤字とする。]
鼠 盜人群盜
足なき足の步なみをきくの日ぐれ[やぶちゃん注:編者は「なみ」を誤りとし、「步み」(あゆみ)とするが、それでいいか? 「步(ほ)なみ」かも知れないじゃないか?!]
この悲さびしき市街に住むまへる
ぬすびとどもの心は强くかつ正直であるつた
あるひは路に居てぱんをたべ
あるひは路に居て水をのむ
わたくしどもは宿なし犬のたぐひにして
また夕ぐれの窓よりほそき手をのばし
人の食卓より鴨を盜むの盜人である。
ああ秋 十十一月の夜きたりふけとき
さんさんたる夜天の窮寂の下に
めんめん懺悔をなし おはりておヘ
酒盃をあげて悲しむの鼠盜である
*]
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