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2021/11/29

萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 遺稿詩篇 群盜

 

  群  盜

 

足なき足の步みをきくの日ぐれ

この寂しき市街に住まへる

ぬすびとどもの心は强くかつ正直であつた

あるひは路に居てぱんを喰べ

あるひは路に居て水をのむ

わたくしどもは宿なし犬のたぐひにして

また夕ぐれの窓より細き手をのばして

人の食卓より鴨をぬすむの盜人である

ああ 十一月仲秋の夜

めんめん懺悔ををへ

酒盃をあげて悲しむの鼠盜である。

 

[やぶちゃん注:二箇所の「あるひは」はママ。九行目の「十一月仲秋」は不審な表現だが、これも原文のママである。
「鼠盜」は音では「そたう(現代仮名遣:そとう)」であるが、「小さな盗みをする泥棒」の意であり、ここは意訓で「こそどろ」と読みたい。筑摩書房版全集では、「未發表詩篇」に、同題で以下のようにある。二箇所の「あるひは」「おへ」はママ。

   *

 

 群盜

 

足なき足の步みをきくの日ぐれ、

この寂しき市街に住まへる、

ぬすびとどもの心は强くかつ正直であつた、

あるひは路に居てぱんを喰べ、

あるひは路に居て水をのむ、

わたくしどもは宿なし犬のたぐひにして、

また夕ぐれの窓より細き手をのばして、

人の食卓より鴨をぬすむの盜人である。

ああ 十一月仲秋の夜、

めんめん懺悔をおへ、

酒盃をあげて悲しむの鼠盜である。

 

   *

編者注があり、『九行目の「十一月仲秋」は原文のまま』とある。さても、これは、もう、同一原稿である。

 なお、同全集の『草稿詩篇「未發表詩篇」』には本篇の二つの草稿(標題は一つは「鼠盜」、今一つは「群盜」)が載る。以下に示す。歴史的仮名遣の誤りや誤字は総てママである。

   *

 

  鼠盜

 

足なき足の步みをきくの日ぐれ

この長き寂しき市街に住む、

老ひたるぬすびとどもの心は强くかつ一直線まつ正直であつた、

かれはあるひはみな路に居てぱんをたべ

路に居て水をばのむ

ああわたしどもはぬすびとの宿なし犬のたぐひにして

また夕ぐれの窓よりほそき手をのばして

人の食卓より鴨をぬすむの盜人である、

ああすでに夜きたり

さんさんたる夜天の空に窮蒼の下[やぶちゃん注:編者は「窮」は「穹」の誤字とする。]

みなみな→めんめん 思をかけ

ひとびと祈り

めんめん殲悔をなし

洒盃をあげて悲しむの從輩鼠盜である。[やぶちゃん注:編者は「從」を「徒」の誤字とする。]

 

 

  盜人群盜

 

足なき足の步なみをきくの日ぐれ[やぶちゃん注:編者は「なみ」を誤りとし、「步み」(あゆみ)とするが、それでいいか? 「步(ほ)なみ」かも知れないじゃないか?!]

このさびしき市街に住まへる

ぬすびとどもの心は强くかつ正直であつた

あるひは路に居てぱんをたべ

あるひは路に居て水をのむ

わたくしどもは宿なし犬のたぐひにして

また夕ぐれの窓よりほそき手をのばし

人の食卓より鴨を盜むの盜人である。

 

ああ 十一月の夜きたりふけとき

さんさんたる夜天の窮寂の下に

めんめん懺悔をなし おはりておヘ

酒盃をあげて悲しむの鼠盜である

 

   *]

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