「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 (無題)(しづかに我は椅子をはなれ、)
○
しづかに我は椅子をはなれ
まつすぐに立上りて我はあゆむ
いま戸外をながれゆく水の音の
秋の夜の風のええてるのしめやかさをおびて
月は白み 窓はほのかにもひらかれた。
ああ、しんにこの荒(すさ)みたる椅子をはなれては、
我身をすむべき服睡(まどろみ)の里とてもなし
いかなればこよひ夢よりさめて
靑白き懺悔の寺を訪はんとするか
ゆくゆく月の吠え
狂犬のごとくに牙をかみならして行かねばならぬ
いはんや行路の露をしげみ
よしやわれ夜道に死ぬとても。
[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。底本では推定で大正四(一九一五)年]とし、『遺稿』とある。筑摩版全集では、「未發表詩篇」の中に以下がある。太字は同前。歴史的仮名遣の誤り・脱字はママ。
*
○
しづかに我は椅子をはなれ、
まつすぐに立上りて我はあゆむ、
いま戶外をながれゆく水の音の、
秋の夜の風の、ええてるのしめやかさをおびて、
月は白み、★窓//扉★はほのかにもひらかれた。
[やぶちゃん注:「★」「//」は私が附した。「窓」と「扉」は並置で残存。後も同じ。]
あの、しんにこの荒(すさ)みたる椅子をはなれては、
我は身をすむべき眠り瑕睡(まどろみ)の里とてもなし
いかなればこよひ夢よりさめて
靑白き懺悔の寺を訪はんとするか
路は遠々み
ゆくゆく月に吠え
森の水車で おび→あやかされ→魔 もおびやかれつつも
狂犬のごとくに吠 さびたつて→なりて→さびて聖牙をならしてかみならして行かねぱならぬ、
聖人の→行路の
いはんや行路を遠みの露をしげみ
よしやわれ夜道に死ぬとても。
*
これを削除部分を除去してみると、
*
○
しづかに我は椅子をはなれ、
まつすぐに立上りて我はあゆむ、
いま戶外をながれゆく水の音の、
秋の夜の風の、ええてるのしめやかさをおびて、
月は白み、★窓//扉★はほのかにもひらかれた。
あの、しんにこの荒(すさ)みたる椅子をはなれては、
我は身をすむべき瑕睡(まどろみ)の里とてもなし
いかなればこよひ夢よりさめて
靑白き懺悔の寺を訪はんとするか
ゆくゆく月に吠え
狂犬のごとくに牙をかみならして行かねぱならぬ、
いはんや行路の露をしげみ
よしやわれ夜道に死ぬとても。
*
となり、本篇と甚だ酷似することが判る。大きな相違は、第一連の後の行空けであるが、これは「窓」と「扉」を並置したものが「扉」は添えたのも、何らかの取消線っぽいものを、小学館版編者は見、それが抹消と考え、ここに句点が配されているバイアスがかかって、その間にインターミッションが入ると判じたものではなかろうか。前半の読点の除去も、後半に打っていないのであるから、バランスとしては不当な仕儀とは見えない。この二つの箇所はそのように好意的に解釈出来る。
しかし、問題は「ゆくゆく月の吠え」である。但し、これは「の」では不自然であることが判然とし、而して「仁」の崩しの「に」と、「能」の崩しの「の」を小学館版編者が誤判読したと考えるのが穏当であろう。或いは、単なる誤植の可能性もある。
さすれば、本篇は筑摩版と同一草稿に拠るものと判断出来る。
なお、《月に吠える》《犬》の心象風景は直ちに、後の名詩集「月に吠える」を想起させるが、本篇は詩篇としては、「月に吠える」詩群との草稿的性質は認められないように思われる。詩集の題名由来となった収録作は「悲しい月夜」で、私の『萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 悲しい月夜』を見られたいが、ただ、本篇で比喩として言っているイメージは、詩集「月に吠える」の「序」で図らずも北原白秋が掉尾に記した、
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『月に吠える、それは正しく君の悲しい心である。冬になつて私のところの白い小犬もいよいよ吠える。晝のうちは空に一羽の雀が啼いても吠える。夜はなほさらきらきらと霜が下りる。霜の下りる聲まで嗅ぎ知つて吠える。天を仰ぎ、眞實に地面(ぢべた)に生きてゐるものは悲しい。』
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詩的評釈、及び、朔太郎自身の「序」の末尾の、
*
『過去は私にとつて苦しい思ひ出である。過去は焦燥と無爲と惱める心肉との不吉な惡夢であつた。
月に吠える犬は、自分の影に怪しみ恐れて吠えるのである。疾患する犬の心に、月は靑白い幽靈のやうな不吉の謎である。犬は遠吠えをする。
私は私自身の陰欝な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまひたい。影が、永久に私のあとを追つて來ないやうに。』
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という述懐と完全に一致する点では、一貫した確信犯の詩想であることは言うまでもない。
なお、実は筑摩版全集には、今一つ、『草稿詩篇「未發表詩篇」』の『草稿詩篇「未發表篇」』のに、同一の詩想に基づく無題草稿(底本編者によって『(しづかに我は椅子をはなれ)』で『本篇原稿二種二枚』とするもの)のソリッドな塊りで示された草稿が存在する。以下に示す。
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○
しづかに我は椅子をはなれた、
我はまつすぐに立あがり我はしつかり步んだむ、
我は音なき步みを好む
いま戶外をながれるがれゆく水の音のごとくに音の
我秋の空氣(エーテル)の、夜のしめやかさをおびて
窓月は白み、月は床をてらし窓はかほのかにもひらかれた、
ああ、しんにこれ人のこのさびしき椅子をはなれては
もの悲しくもランプの影
猫は我はゆくすむべき住家もなしとて眠りの里もなし
いかなれば夢よりさめて
遠遠き いたましき懺悔の
遠遠き僧院の
靑白き★苦行の→未知の懺悔の僧院を//戀人の門→里家を★とはんとするか、
路は遠み遠み
ゆくゆく我は狂犬の如くに 怖ろしく→すさまじく哀しくげにも吠えて行かねばならぬ
よしや我、路に死ぬとて
よしや君かへりはせじ、ゆめにも知らぢあだには知らぢ、
ゆめ、我は今宵僧院に行くまじきぞ、
しづかに祈れ、我が心よ、また明日をも、
ああ寂しくもけれども明日 は こそ巡禮
この大いなる椅子を放れて、我は行くべき父母の家もなし
我 は心 が影は床の上 を步みつゝ に ほゝ うすら笑みつゝさびしき影は床の上にさまよひつゝ
*
なお、「ええてる」は本来的には「光素(エーテル)」(ether)で、古代ギリシア時代から二十世紀初頭までの間、ずっと想定され続けてきた、全世界を満たすただ一種の元素或いは物質の仮名。古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、地・水・火・風に加えて「エーテル」を第五の元素とし、天体の構成要素とした。近代では全宇宙を満たす希薄な物質とされ、ニュートン力学ではエーテルに対し、静止する絶対空間の存在が前提とされた。また、光や電磁波の媒質とも考えられたが、十九世紀末のマイケルソン=モーリーの実験で、エーテルに対する地球の運動は見出されず、この結果から、「ローレンツ収縮」の仮説を経て、一九〇五年、アインシュタインが「特殊相対性理論」を提唱するに至って、エーテルの存在は否定された(以上は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。最後に示した草稿では「空氣」に「エーテル」の読みを当てており、外来語好きの朔太郎が、そうした漠然とした詩語として洒落た感じとして用いたに過ぎない。]
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