曲亭馬琴「兎園小説外集」第一 猩々 乾齋
○猩々
「禮記」、「曲禮」[やぶちゃん注:「きよくらい」。]の篇に云、『猩々、能言、不ㇾ離二禽獸一。』。その由來、久し。こゝをもて、本朝、婦女子といへども、これを、しれり。しかのみならで、畫工に「猩々飮酒の圖」あり、散樂に「猩々の舞」あり。これ、そのますます昭著なる故也。しかれども、いまだその眞の猩々を見たるといふ者を、聞かず。唐土にも、古より、說者[やぶちゃん注:「とくもの」。]、少からねど、亦、その眞を目擊して說者に、あらず。獨、廓諶君が著せし「爾雅」に、面りその眞を見つるよしを載たり。今、その文を和解す。「爾雅」に云、猩々は『人面獸身。最機警。善二人間之言一。學二虫鳥之聲一。而莫二曲不一ㇾ肖也。聲如二八女子一。其啼也淸越。嗜ㇾ酒好ㇾ舞。虞人以ㇾ此誘ㇾ之。則毀罵而去。予在二綠塢山一觀ㇾ之。群居相謂曰。客必東人也。踊躍出視焉。予偶々有ㇾ酒。寄二少許一召飮ㇾ之。四者齊下。未レ喫先謝。既飮輒醉矣。以ㇾ知二予無機一也。予徘徊恐ㇾ爲二後人所一ㇾ害。忽然雙飛下二古木一。囂然相謂曰。上客過勞。兒可二負ㇾ之以去一也。「禮」曰。猩々能言。不ㇾ離二禽獸一。予終敢以爲ㇾ信。』と、いへり。この事、最、奇なり。これ、誠に、猩々の眞面目にあらずや。よりて、表出して、こゝに、しるしつ。
[やぶちゃん注:「猩々」「猩猩」は、現在、真猿亜目狭鼻下目ヒト上科オランウータン(ショウジョウ)科Pongidae(或いはヒト科Hominidaeとも)オランウータン属 Pongo を指す中国語として用いられており、中国語科名としても用いられている(中文のウィキの「猩猩」等に於いては「ヒト科猩猩亜科猩猩属」とする)。但し、中国の古来からの記載を見る限りでは(「山海経」が最古か)、その属性には実際のオラウータン類に比して、甚だ疑義を覚える点が少なくなく、オランウータンを一つの大きなモデルとしつつ、仮想された幻獣か架空の類人猿ととるべきものである。個人サイトの断片である「猩々――それはオランウータンではなかった――」の論説を私は強く支持するものである。そもそも、オランウータンの棲息域はスマトラ島(インドネシア)と、南部を除くボルネオ島(インドネシア・ブルネイ・マレーシア三国による領有島)の熱帯雨林の中に限定されており、「猩猩」を中国国内で見ることはあり得ない。無論、良安が想定しているのも、話として知っていた、オランウータン Pongo を措定してあるものと考えてよい。因みに、「オラン・ウータン」はマレー語で「orang」(「人」)+「hutan」(「森の」)で、「森の人」を意味する。ウィキの「オランウータン」からオランウータン現生種二種・亜種三種を掲げておく。
スマトラオランウータン Pongo abelii
ボルネオオランウータン Pongo pygmaeus
Pongo pygmaeus pygmaeus (サラワクからボルネオ島西部に分布)
Pongo pygmaeus wurmbii (ボルネオ島西部からボルネオ島中部に分布)
Pongo pygmaeus morio (ボルネオ島東部からサバに分布)
詳しい博物誌は私の古い電子化注である寺島良安の「和漢三才圖會 卷第四十 寓類 恠類」の私の注を参照されたい。
「猩々、能言、不ㇾ離二禽獸一。」「禮記」の「曲禮篇上」の一節。「猩々(しやうじやう)は能(よ)く言(ものい)へども、禽獸を離れず。」で、「猩々は、よく、人語を操るものの、禽獣の仲間から離れることは出来ない。」の意であるが、但し、これは人間の礼節のない人間を警喩する一節であって、全体は、『鸚鵡能言、不離飛鳥。猩猩能言、不離禽獸。今人而無禮、雖能言、不亦禽獸之心乎。』(鸚鵡(あうむ)は能く言へども、飛鳥(ひちやう)を離れず、猩猩は能く言へども、禽獸を離れず。今、人にして、禮、無ければ、能く言ふと雖も、亦、禽獸の心ならずや。)である。
「散樂」原義は、古代中国に於ける軽業・曲芸・奇術・幻術・滑稽物真似に類する西域起源の大衆的雑戯芸。公的な「正楽」・「雅楽」に対する俗楽で、「百戯」「雑戯」とも呼ぶ。而してそれが、奈良時代に本邦に伝来して、中世まで行われた同様の演芸・大道芸を指す。初めは「雅楽」と並んで宮廷で保護・育成されたが、平安時代に入ると、一般にも伝わって甚だ盛行し、後に「田楽」・「猿楽」などに受け継がれ、民俗芸能の重要な基盤の一つとなった。
「昭著」(しやうちよ)「なる」は「際立って明らかなさま」を指す。
『廓諶君が著せし「爾雅」』「廓諶君」は不詳。一度も聴いたことがない人名である。「爾雅」(じが)は現存する中国最古の字書にして「十三経」の一つ。漢の学者たちが諸経書、特に「詩経」の伝注を集録したものとされる。「釈詁」・「釈言」・「釈訓」・「釈親」以下、「釈鳥」・「釈獣」・「釈畜」の十九編は、古語を用法と種目別に分類して解説したもので、経書の訓詁解釈に於ける貴重史料である。注釈書として晉の郭璞(かくはく)の注と、宋の刑昺(けいへい)の疏を合わせた「爾雅注疏」が甚だ価値が高いとされる。古くは周公、或いは、孔子とその弟子の手が加えられたという説があったが、現在は完全に否定されている。これはただの思い付きだが、「廓」と「郭」の類似が異様に気になる。この「廓諶君」というのは、実は――「郭」璞を始めとする「諸君」によって書かれた「爾雅」注――の誤りではあるまいか? 大体からして、「爾雅」には、「釋獸」に「猩猩、小而好啼。闕洩、多狃。」(猩猩は、小にして、好く啼く。[やぶちゃん注:別称。]「闕洩(けつせつ)」。多くは[やぶちゃん注:「人に」か?]狃(な)るる。)とあるだけだからである。
「面り」意味不明。「而」(しか)「り」の誤字かと思ったが、「爾雅」の刑昺注を見たところ、盛んに「猩猩」が「人面」であることを言っており、以下にも出ることから、ここは「人面なり」の脱字と採るのが、一番、自然な感じがする。
『今、その文を和解す。「爾雅」に云』と言っておいて、訓点附き漢文というのは如何なものか? これ自体が、後世の「爾雅」の諸注を参考に、日本漢文で纏めたという謂いのようにしか見えないのである。しかし「予」とある部分は、発言者がいないとおかしい。よく判らぬ。
「猩々は『人面獸身……』訓読しておく。一部は返り点に従っていない。
*
猩々は、人面獸身にして、最も機警(きけい)[やぶちゃん注:機智があって賢いこと。]たり。人間の言(ことば)を善(よ)くし、虫鳥の聲を學(まね)び、而も、曲がりて、肖(に)ざること莫(な)きなり[やぶちゃん注:「ひねくれて悪しき方へ向かうことなく、よく正しく学んで堅実である。]。聲は八つの女子(むすめご)のごとく、其の啼くや、淸くして、越(ぬきん)ず。酒を嗜み、舞を好む。
虞人(ぐひと)[やぶちゃん注:中国古代の伝説上の聖王舜が堯から譲られて帝位にあった王朝の人民。]は、此(ここ)を以つて、之れを誘ひながら、則ち、毀(そし)り、罵(ののし)りて去る、と。
予、綠塢山(ろくをざん)[やぶちゃん注:不詳。]に在りて、之れを觀たり。群居して、相ひ謂ひて曰はく、
「客、必ず、東の人なり。」
と。
踊躍(ようやく)して、出づるを、視たり。
予、偶々(たまたま)、酒、有り。少し許りを寄せ、召して、之れを飮ましむ。
四つの者、齊(ひと)しく下(くだ)り、未だ喫(きつ)せざるに、先(ま)づ、謝せり。
既にして飮み、輒(すなは)ち、醉へり。
予を機(とき)無くして知れるを以つてす。[やぶちゃん注:猩猩は、この私と時をおかずに、馴れ親しんだ。]
予は、徘徊して、後に、人に害を爲(な)さしめんことを、恐る。
忽然として、雙(なら)び飛びて、古木を下り、囂然(がうぜん)として、相ひ謂ひて曰はく、
「上客、勞(つか)れ、過ぎたり。兒(われ)[やぶちゃん注:「私」。猩猩自身。]、之れを負ひて、以つて、去らしむべきなり。」
と。
「禮(らい)」に曰はく、『猩々、能く言(ものい)へども、禽獸を離れず。』と。
予、終(つひ)に、敢へて以つて、信(しん)を爲(な)せり。
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