「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 私の町に就いて
私の町に就いて
私の町について
赤城山の嶺に生える松林
夢のやうな大平原
そこから吹きおろす冬の大風
私の生地について
屋根の低い田舍町の市街について
ああ 感情は市街を橫ぎる
ひとりかの向町の裏通りを步くのがすきだ
田舍者、彼等の辻にでてきて群集するのをみるのがすきだ
はなれて遠くわが家の物干台にのぼつて
私はみる 空を 月を 星を 太陽を 松林を
時にまためづらしい飛行機を
ああ家々の屋根をこえて
遠く冬の日の火の見櫓をみるのは寂しい
吹け 吹け
赤城の風よ
子供のあげる紙鳶の鳴るひびきよ
すべてをみよ 私の孤獨なる運命の影に。
編註 「向町」は前橋市の一町名である。
[やぶちゃん注:底本では、『ノオト』とのみあり、制作年も記されていない。筑摩版全集では、『草稿詩篇「原稿散逸詩篇」』のパートにあるが、それは本底本に先行する小学館版「萩原朔太郎全集遺稿上」から転載されたもので、既に原稿は失われているようである。底本では以上であるが、筑摩書房版全集では「物干台」が「物干臺」となっているが、これは筑摩版の消毒の可能性が高いように思われる。本底本の初版でもこの通り、「台」となっているからである。
「向町」は「むかいちやう」と読み、前橋市の昭和四一(一九六六)年住居表示の実施前の旧町名で、現在の平和町一丁目・二丁目、住吉町一丁目の各一部に相当する。この附近(グーグル・マップ・データ)で、北西から南東に、通りの名として「向町通り」が今も残っている。地図を少し南にずらして拡大すると、萩原朔太郎生家跡が南にある。向町通りの南側(これが「裏通り」であろう)を、かの広瀬川が流れ、国道十七号に架橋されている橋が前に注した「厩橋」である。]
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