「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 (無題)(ああ鳥、鳥、空をすぎて)
○
ああ鳥、鳥、空をすぎて
赤城の山はおだやかに眠る故鄕の學校に
みなみなあつまりてリーダーの詩を誦するとき
さてまた思へば
私どもは姉妹(あねいもうと)のかたらひにさへ涙ぐましき少女である
さればなつかしき師
けふの敎訓(をしへ)をいかで忘れよう
ましてや
私どもは若く快活であり
そしてあなたは老いて沈欝である。
まことに先生の古びた靴から
少女のくちびるもてちりをぬぐひなん
われら いつしかこころ春日にもえそめいで
利根川近き學校の裏庭あたり
芝草の芽をつみて泣きぬれし日のことさへも
いまはやいかでかあなたにはかくすべき
あなた老いたる先生‥‥
いはんやあなたの愁をしてやつれしめ
わたしどもはいつも愉快で快活であり
しかし先生のために悲しみてしとやかにする少女であるものを。
[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。二点リーダ四点打ちはママ。底本では、推定で大正三(一九一四)年とし、『遺稿』とある。筑摩版全集には、相同ではないものの、酷似した詩篇が「未發表詩篇」の中にある。まず、原稿を示す。誤字(「𠳀」)・歴史的仮名遣の誤り及び濁点脱落はママ。太字は同前。
*
○
先生
ああみられよ
ああ鳥、鳥、敎室の窓をすぎ空をすぎて
靑い 先生の
海 山赤城の山はおだやかに眠る故鄕にあの學校に
みなみなあつまりてリーダーの詩を𠳀するとき
さてまた思へば私どもは 淸く よにも架しき少女である、姉妹(あねいもうと)のかたらひにさへ淚ぐましき少女である
さればなつかしき恩 師の君よ→校長よけふの敎訓(みおしへ)をいかで忘れよう
ましてや私どもは若く快活であり
そしてあなたは老ひて沈欝である
あまことに先生の古びた靴から
みな少女らはのくちびるもてちりを吸ひとれよ、ぬくへよひなん
われらあしたにひとりいつしかこゝろ春日にもえそめいで
ああ 人妻利根川近き故鄕の學校の裏庭にあたり
ひとり 友と芝くさの芽をつまみて淚ぐみし泣きぬれし日のことさへもいまはも
日向に淚く 忘れ給ふな
いかでおんみたちを罪といはん
いまはやいかでか人にはあなたにはかくすべき
あなた老ひたる先生……
いはんやあなたの愁をしてわれらを泣かしめ給ふ、 けぶらしめやつれしめ
わたしどもはいつもいつも愉快で快活であり
しかし先生のために悲しみてきく しとやかにきくしめとやかにする少女であるものを、
*
削除部分を除去し、明らかな濁点の脱落をのみ補正する。校訂本文のような誤字と歴史的仮名遣の誤りの消毒はしない。
*
○
ああ鳥、鳥、空をすぎて
赤城の山はおだやかに眠る故鄕の學校に
みなみなあつまりてリーダーの詩を𠳀するとき
さてまた思へば私どもは姉妹(あねいもうと)のかたらひにさへ淚ぐましき少女である
さればなつかしきけふの敎訓をいかで忘れよう
ましてや私どもは若く快活であり
そしてあなたは老ひて沈欝である
まことに先生の古びた靴から
少女のくちびるもてちりをぬぐひなん
われらいつしかこゝろ春日にもえそめいで
利根川近き學校の裏庭あたり
芝くさの芽をつみて泣きぬれし日のことさへも
いまはやいかでかあなたにはかくすべき
あなた老ひたる先生……
いはんやあなたの愁をしてやつれしめ
わたしどもはいつも愉快で快活であり
しかし先生のために悲しみてしとやかにする少女であるものを、
*
これを本篇と比較してみるに、原稿の書き換えや削除がかなり多く、しかも、複雑で、整序し難いことが判る。例えば、「さてまた思へば私どもは 淸く よにも架しき少女である、姉妹(あねいもうと)のかたらひにさへ淚ぐましき少女である」のように、朔太郎のものとしては、一行一節の詩句が、有意に長く、これは原稿用紙では、丁寧な字下げなどをしないものであったとすれば、一行一節ではなく、分離した二行に採ってしまうケースも当然の如く出てくるであろうし、また、「さればなつかしき恩 師の君よ→校長よけふの敎訓(みおしへ)をいかで忘れよう」の削除部分も、「師」の取消線が正確に引かれていなかったとすれば、「師」を「イキ」とする判読をしたとしても、少しもおかしくない。孰れにせよ、これは筑摩版全集と同じ原稿をもととして起こしたものとと採って、私は構わないのではないかと考えるものである。]
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