「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 玻璃製の案山子 筑摩版全集では本文採用せずに草稿詩篇に繰り込んだ草稿にも含まれない失われた別稿
玻璃製の案山子
あはれにもやつれはてた肉體のうへに
ぴんぴんぴんぴんと光つて居る
がらすのかけが光つて居る
わたしの瞳にはめがねをかけ――
とほいさびしい山をみて居る
ひねもす貝の類をたべて居る
わたしは手が二本ある
ひものやうなほそい手が二本ある
そのさきにかすかな指が生え かすかに毛が光り
氷柱のやうにちよんぼりとして
こらへきれないものをこらへて居る
ああいちめんにかすみをかけて
かみきりむしの卵がはえかへるときまで
わたしの神經はまつしろに光り
さびしい日光にふるへながら
すつぱだかで雪の上に光つて居る
[やぶちゃん注:底本には、推定で大正三(一九一四)年とし、『遺稿』とある。筑摩版全集では、「未發表詩篇」に同題で、以下の草稿が載る。脱字(「いそぎんやく」。「いそぎんちやく」)や誤字と思しいもの、歴史的仮名遣の誤りはママ。
*
銀の案山子
神經の人體
玻璃製の案山子
あはれにもやせおとろへたつれはてた肉體のうへに
ぴんぴんぴんぴんと光つて居る
がらすのかけが光つて居る
わたしはの瞳にはめがねをかけ―― さ とほい
とほいさびしい氷山をみて居る
わたしはひとりひねもす貝の類をたべて居る
わたしは手が二本ある
くろく→ひものやうな→はりがねのやうなほそい植木手が二本ある
くびには雀 わたしはいそぎのぎんやくのやうに
そのうへにそのさきにかすかな指が生えて居る ああ指がふるへて居る、→指の毛が 光る、ふるえ、→指がふるへ、 る、かすかに毛が光り、
わたしの氷柱のようにさ び むし い男だ がる
ど うまれつきとはいひながら→うまれつきとはいひながら
生れうつきとはいひながら、
どこもかしこも わたしはいつも氷ようにちよんぽりとして
こらへきれないものをこらへて居る
ああいちめんにかすんで居るみをかけて
馬(うま)の尾 いのちかみきりむしの卵がはえるかへるとき春がくるまで
ひとりぽつちでわたしの神經はこらへきまつしろなりに光り
力いつぱいにはりきつて居る
この悲わたしは素足にとがつたエナメルの靴をはき
手には絹の→春の→銀手ぶくろをはめ(練絹の)
丘の上のてつぺんの案山子のやうに
すつぱだかで雪の上に光つて居る
*
これ、削除部分を除去すると、以下のようになる。
*
玻璃製の案山子
あはれにもやつれはてた肉體のうへに
ぴんぴんぴんぴんと光つて居る
がらすのかけが光つて居る
わたしの瞳にはめがねをかけ
とほいさびしい山をみて居る
ひねもす貝の類をたべて居る
わたしは手が二本ある
ほそい手が二本ある
そのさきにかすかな指が生えかすかに毛が光り、
生れうつきとはいひながら、
いつも氷柱のようにちよんぼりとして
こらへきれないものをこらへて居る
ああいちめんにかすみをかけて
かみきりむしの卵がはえかへるときまで
わたしの神經はまつしろに光り
力いつぱいにはりきつて居る
わたしは素足にエナメルの靴をはき
手には手ぶくろをはめ(練絹の)
丘のてつぺんの案山子のやうに
すつぱだかで雪の上に光つて居る
この内、最後から三行目の末の「(練絹の)」は恐らくは「絹の→春の→銀」の書き換えが詰まって書き込みようがなくなったために、仕方なく書いたものとは、とれる(筑摩版全集では校訂本文で、そのように「手には練絹の手ぶくろをはめ」としてある。
しかし、御覧の通り、この除去・整序した詩篇を見ても、本底本のそれとは、後半が、削除部分を見ても、明らかに異なることが判る。そうして、実は筑摩版の編者注があって、『別の草稿では十六行目から十九行目までがなく、代りに「さびしい日光にふるへながら」の一行がはいっている』とあるのである。
そうして、全集の『草稿詩篇「未發表詩篇」』に以下の興味深い本篇の草稿推考形断片三種(全集では『玻璃の製の案山子』『(本原稿四種四枚)』とする)があるので、それを以下に示しておくが、それで決着はつかないのである。以下の草稿をどう逆立ちしても、この小学館版のそれとは一致しないからである。
則ち、ここで筑摩版が、以下に示す本文として採用しなかった別の草稿「玻璃製の案山子」の、そのまた、別稿が、嘗ては存在し、それこそが、この小学館版のものなのである。脱字・錯字や歴史的仮名遣の誤りはママ。□は底本全集の判読不能字。
*
○
かみきり蟲の卵がはえかへるときまで、
わたしの神經はまつしろに光り、
力いつぱいにはりきつてゐる。
素足にえなめるの靴をはき
手にはねりきぬの□
野原のさみびしい丘の上で、
わたしはすつぱかで立つてゐる、ふるえてゐる。
ひねもす硝ぴかぴかぴかぴか光つてゐる。
硝子のやうに光つてゐる。
わたしの素肌が
○
かみきり虫の卵が生えかへるときまで、
わたしの神經はまつしろに光り、
力いつぱいにはりきつてゐる。
野原のさびしい 丘の上で日ざしの丘で、
いちにちひねもす、すつぱだかでふるえてゐる。
硝子のやうに光つてゐる、
手には……
ぴかぴかぴか光つてゐる、
さびしい日を 丘の上にふるえながら日光にふるえながら
すつぱかだ雪の上に光つてゐる
○
かみきり蟲がはえかへるときまで、
わたしの神經はまつしろに光り、
さびしい日光にふるえながら
すつぱだかで雪の上に光つてゐる。
*]
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