萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 遺稿詩篇 病氣の探偵 / 筑摩版全集所収の「病氣の探偵」の草稿原稿と同一と推定
病 氣 の 探 偵
がらんどうの空家の五階
永遠に閉ぢられた九つの窓
厚ぼつたいかあてんの沈默
このへんに蒸しあつい晚だが
探偵は部屋の隅から
一方の隅へ步いて居る。
部屋のまん中に木製の椅子
電氣仕掛の秘密の椅子だ
だがかわいそうに
私の探偵はなにも知らずに
不幸な瞳(ひとみ)がぢつと見つめて居る。
みつめる床の上に
亞砒酸の光る粉末
鑛物性の哀しい微光……
どうかして靑白い肢體が
エレキじみた哀傷にしびれるときさヘ
探偵はなにも知らないのだ。
その背後(うしろ)の壁に
ぬりこめられた幼兒の毒殺屍體でさヘ。
この遠い祕密の空部屋に
ぢつと自分のたましひをみつめながら
たつた一人でふるえて居るよ
おお氣の毒な病氣の探偵よ
[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。「かわいそうに」「ぢつと」はママ。筑摩版全集では、「習作集第九卷(愛憐詩篇ノート)」に同題で以下のようにある。歴史的仮名遣の誤り及び誤字らしい「徵光」等はママ。
*
病氣の探偵
がらんどうの空家の五階
永遠に閉ぢられた九つの窓
厚ぼつたいかあてんの沈默
このへんに蒸しあつい晚だが
探偵は部屋の隅から
一方の隅へ步いて居る
部屋のまん中に木製の椅子
電氣仕掛の祕密の椅子だ
だがか愛いそうに
私の探偵はなにも知らずに
不幸な瞳がぢつと見つめて居る
みつめる床の上に
亞砒酸の光る粉末
鑛物性の哀しい徵光……
どうかして靑白い肢體が
エレキじみた哀傷にしびれるときさヘ
探偵はなにも知らないのだ
その背後の壁にぬりこめられた幼兒の毒殺屍體でさヘ
この遠い祕密の空部屋に
ぢつと自分のたましひをみつめながら
たつた一人でふるえて居るよ
おお氣の毒な病氣の探偵よ
*
本篇には、以上のコーダの四行が存在しない。傍点やルビもなく、表記も微妙に違う。ところが、同全集同巻の後にある『草稿詩篇「習作集第八卷・第九卷」』に以下がある。太字は底本では傍点「ヽ」。歴史的仮名遣の誤りや誤字(「空部家」は「空部屋」(からべや)の誤記か)はママ。
*
毒殺事件病氣の探偵
がらんどうの空家(あきや)の五階、
永遠に閉ぢられた九つの窓、
この厚ぼつたいかあてんの沈默、
このへんに蒸あつい晩だが、
探偵は部屋の隅から、
一方の隅へ步いてくる、
部屋のまん中に木製の椅子、
電氣仕掛の木製 殺人の祕密の椅子がだ
だがかわいそうに
不幸な探偵は何も知らないのだ、
不幸な瞳がぢつとみつめて居る、
みつめる床の上に
亜砥酸の光る粉末
鑛物性の哀しい微光……
探偵のどうかして瘠せた肢體が
エレキじみた哀感にしびれるときさヘ
だが探偵はなにも知らないんだ
そのうしろの暗い壁には、塗りこめられた毒殺*幼兒の毒殺死體でをさヘ//女の手、足さへ、*[やぶちゃん注:以上の「*」「//」の記号は私が打った。これで挟んだ二つの詩句は並置残存である。]
靑ざめた 死 我執
この氣持の惡い
ああこの遠い遠い世界の祕密の靈智空部家のまん中に、にぢつと自分をみつめて居る、
たつた一人でふるへて居る
ぢつと想に
おお氣の毒な私の病氣の探偵よ、
*
細部の異同や並置部などの問題はあるものの、これはほぼ相同に近いと言える。同一原稿と見做してよいように私には思われる。]
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