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2021/11/06

曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 漂流人歸國

 

   ○漂流人歸國

乙酉八月の頃、五島侯の藩士橫山慶吉の談に云、「今玆五月、水戶沖へ、異國船、來て、日本の漂流人十一人を送りかへしたる中に、水夫一人、主人領處五島目井津の者にて、重次郞といふものなり。官府の御吟味濟みて、當八月、本藩に引き渡しになりたり。年三十格好にて、隨分、利根に、物の分りたる者なり。其者に、五島侯より、異國船中の事共、尋ありし口書の寫、左の如し。」。

[やぶちゃん注:「乙酉八月」文政八(一八二五)年。

「五島侯」肥前国福江藩(五島列島全域を治めた藩で五島藩とも呼ぶ)第九代藩主五島盛繁(寛政三(一七九一)年~慶応元(一八六五)年)。文化六(一八〇九)年に父で同藩第八代藩主五島盛運の死去に伴い、家督を継いだ。文政十二年十二月二十四日(グレゴリオ暦では既に一八三〇年)、家督を長男盛成に譲って隠居。

「五島目井津」不詳。現在の五島列島内にこの地名は見当たらない。宮崎県日南市に港として目井津があるが、場所が話にならない。]

乙酉八月廿一日、重次郞を呼び出だし、問ひて云、「其方事、御在所何方之者に候哉。難船に遭ひ、異國船へ乘り移り候一件、御詮議に相成、此度御勘定奉行より御引渡有之候。是迄之次第、始終、具に可申聞候。」。

答へて云、「如仰、私儀は、目井津、出生に御座候。水夫之義に御座候へば、十六、七の比より、大藤津得丸軍藏、船、『權現丸』へ乘り候ひて、船執行仕罷在候。然處、右軍藏、大坂表、借用多く、同處、留船に相成候に付、其後、白江町長次郞と申者の船へ乘候而、三、四年も、上下、仕候所、右長次郞儀も、大坂表、借財多く、同處、留船に相成候。然處、私、風と[やぶちゃん注:「ふと」。不図。]病氣に被取付、十四ケ月、知人の方に罷在候而、養生仕候處、快氣致し候へども、病中の物入、彼是、都合七百目位の借用に相成候。依之、御國許へ罷下り候儀も難相成、彼是、心配罷在候内、知人の許より中聞え候は[やぶちゃん注:「中」は「申」の誤判読か。]、兵庫足屋仙吉と申者の船、水夫無之由、此船に乘候て、挊ぎ[やぶちゃん注:「かせぎ」。]可申旨、申聞候に付、右仙吉船に乘候而、三、四年も蝦夷・松前の方へ通ひ、賣買仕罷在候。然共、格別之利益も無御座候に付、去霜月より、大坂柏屋勘兵衞と申者の船へ乘り候而、江戶行き荷物・諸色[やぶちゃん注:「しよしき」。物品。]、積入、去霜月廿八日[やぶちゃん注:文政七年十一月二十八日は一八二五年一月十六日。この年は閏八月があった。]、同所出帆仕候處、順風にて、急ぎ、紀州三濱[やぶちゃん注:現在の和歌山県日高郡美浜町のことか(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。]と申處へ着申候。翌日も相應の順風と存、同處出帆仕候處、四時頃より、西風、强く、東南を向候て、風に任せ、流候内、一向、山も見え不申相成、風は、彌、强く、其上、沖中の事に御座候へば、船、持留がたく有之候に付、柱を切り、荷物を打捨候て、相凌候處、彌、風波、强く相成、橋船[やぶちゃん注:「はしふね・はしぶね」。本船に付属して人や荷物の陸揚げに使う小舟。]二艘共、二つに、吹折れ、揖も打折候に付、如何共、致方の便、無之、汐合に合せ、流行申候。然處、三月末[やぶちゃん注:文政八年三月は大の月で、三月三十日はグレゴリオ暦で一八二五年五月十七日。]とも覺候時分、二、三日の間、水切にて、一統、難儀仕、助命之程も難計御座候に付、乘組中、髮を切、神佛へ誓願仕候處、冥慮に叶候哉、其夜、四ツ時[やぶちゃん注:午後十時頃。]比にても候哉と覺候時刻、俄に、大雨、降出候に付、櫓より樋を掛け、水溜、二つ程、取入候に付、一難を相免れ候。内、拾三人乘之内、弐人、病氣に付、乘組中、彼是、氣を付候へ共、永々の漂流に氣も勞候哉、相果申候。何方之沖共、一向、相分り不申候處、四月十日[やぶちゃん注:グレゴリオ暦五月二十七日。]比にても御座候哉、遙に、異國船と見請くる大船、相見え候内、次第に近寄候。右唐船より橋船を卸し、迎に罷出候に付、一命には難替、直樣[やぶちゃん注:「すぐさま」。]、乘組中、拾壱人、共に、異國船へ乘移申候。然共、一向、相互に、何を申掛候ても相分り不申、繪圖面抔、出し、日本の富士山などを繪にかき、『此山下より風に放たれ流候哉[やぶちゃん注:「や」。]。』とまで、手樣にて、いたし候に付、『其通り。』と相默頭罷在候。左候て、菓子抔、喰せ、彼是と、一統、氣を付吳候に付、乘組中、拾壹人共に安心仕、乘船いたし居候内、何方へ列行可申哉、右之通り、大船に、帆柱、拾壱、弐本も立て、風に任せ、廿四、五日も走りし處、柱へ上り、遠目鏡にて、日本の山、見え候に付、四、五日之内、日本の地ヘ着可申、手樣にて爲知候に付、皆々、相歡候内、申聞候通、五日目に相成、彌、日本の山と見え候て、漁船、相見え候。漁船よりは『異國船』と見受け、殘りなく艪を立、逃候へ共、唐船には叶ひがたく、直樣、追付候に付、『何方の漁船に候哉。』と問掛候處、『常陸國ひら方と申處の船。』の由申候に付[やぶちゃん注:茨城県北茨城市平潟町(ひらがたまち)であろう。]、異國船より、橋船、三艘、取卸、乘組中、拾壱人、ともに、右漁船に積送り申候。右之通り、永々之事に御座候へば、何と申處も相分り不申候に付、相尋ねし處、五月四日と申聞候。左候て、同國河原鄕と申浦役所へ罷出、御改、相濟み、五月廿六日、右同所、出立候て、水戶樣より、頭役三人・橫目四人・與力拾壱人、附添候て、江戶小石川御屋敷へ御送屆有之候。右御屋敷に十二、三日、滯留罷在候處、御勘定奉行遠山樣にて、御詮議に罷成候に付、大坂出帆後、難船に逢ひ、異國船ヘ乘移候次第、逐一言上仕候。尤、御詮議中、日本橋錢屋又左衞門と申者の宅へ被置、御詮議、相濟、當御屋敷へ御引渡に相成候。此段、左樣に御聞屆可被下候。」。

問、「滯坂中、病氣に披取付候に付、御在所へも下り不申、同所に滯在いたし、病中の物入、相續き、不申段、申聞候。然處、七、八年も、致滯坂候はゞ、同所御屋敷へ御屆申上候儀と存候。具に可申聞候。」。

答、「如仰、難病に付、其節、過分の物入、御座候に付、借用多く相成、折角、御在處へ罷下り可申所存候て御座候へ共、商賣候儀に御座候へば、大坂出奔仕候ては、以後、御在處へ罷下り候ても、船乘出來不申候に付、無餘儀、同處にて、相挊罷在候。永々之義に御座候へば、大坂御屋敷迄、御屆可申上候處、御存知之通、之身分に御座候へば、夫迄、行屆不申、不調法に奉存候。」。

  八月廿一日   水夫 重  次  郞

 右之通御屆申候。以上。 長倉市郞右衞門

             長 嶺 三 藏

 大坂柏屋勘兵衞船「安穩丸」、千二百石積、船頭水主、拾三人、乘、内、二人、海上にて病死。

[やぶちゃん注:以下は二段組みであるが、一段とした。]

一阿波         船頭 兵   藏

一讚岐丸龜          猪 之 助

一讚岐高松          重   吉

一同             儀 兵 衞

一安藝            粂   介

一同             政 次 郞

一備後            熊   吉

一紀州            三   平

一紀州            亦   助

一伊豆八丈          龜   藏

一御在所           重 次 郞

  右拾壱人

外弐人、海上にて病死。

[やぶちゃん注:以下の二名の名は前行の下方に配されてあるが、彼らの冥福を祈って、前の名簿と同じ位置に並べて置いた。]

備後尾道           惣   吉

紀州             松 次 郞

  〆拾三人

   乙酉十二月朔目     中井乾齋錄

【此編披講の折に、淸水赤城子云く、件の異國船は「アメリカ」なり。その故は、彼エビス共、「アブリカンベイ」としばしばいひしよしなり。御吟味のころ、萬國の圖等にて、考索せられしかども、「アブリカンベイ」といふ國なきによりて、しれぬにて、事、濟たり。「アブリカンベイ」とは、「アメリカ」の蠻呼にて、彼國にては、しか唱ふ、とぞ。十二月朔日。席上にての話說なれば、後勘の爲、しるしおくのみ。著作堂。】[やぶちゃん注:以上は底本に『頭書』とある。]

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