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2021/11/28

ブログ・アクセス1,630,000突破記念 梅崎春生 狸の夢

 

[やぶちゃん注:本篇は学研が発行していた高校生向け雑誌である昭和三三(一九五八)年一月号『高校コース』に発表された。梅崎春生の作品としては、かなり珍しい青少年向けの、ありがちな学園を舞台とした推理物風(梅崎春生は推理物が実は好きなのである)の短編である。しかも新年号である。春生の作品としては、ロケーション設定の特異性や、表現や言及対象に、読者対象をかなり意識して、彼なりの気をつかっている感じがよく伝わってきて、読んでいて、そういう気遣いが、かなり面白い。

 底本は昭和五九(一九八四)年沖積舎刊「梅崎春生全集第五巻」を用いた。

 文中にオリジナルに注を附した。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが、本日、先ほど、1,630,000アクセスを突破した記念として公開する。【20211128日 藪野直史】]

 

   狸 の 夢

 

 秋葉次郎は近頃よく狸(たぬき)の夢をみます。夢のなかで狸はいつも人間の姿に化(ば)けているのです。いいえ、厳密な意味では、人間が突如(とつじょ)狸に変ってしまうというべきでしょう。

 狸が人間に化けているといおうが、人間がふと狸に変ったといおうが、同じ現象みたいに思われますが、内容的にはかならずしも同じであるとはいえません。

 冬休みにはいってからも、秋葉は二度ばかりこれを経験しています。暮れのうちにみた最初の夢は、ビキニスタイルの美女たちにとりまかれて、ターザンのような男が気どっている図柄でした。総天然色の、華(はな)やいだ光景です。これに反して二度目の夢は――事もあろうに、これが今年の初夢になりましたが――墨染めの破れ衣をまとい、とぼとぼと枯れ野をたどる雲水(うんすい)の旅姿ときています。こちらは淡いセピアのモノトーン・カラーで、孤独や暗黒の押しつけがましい象徴のようでした。

[やぶちゃん注:「ターザン」(Tarzan )はアメリカの小説家エドガー・ライス・バローズ(Edgar Rice Burroughs 一八七五年~一九五〇年)が創造した冒険小説の架空キャラクターの野生児の名。小説ターザン・シリーズ及び映画化作品の主人公としてよく知られるが、本篇発表時少し前までは、元水泳の金メダリスト(一九二八年のアムステルダム・オリンピックに於いて百メートル自由形・自由形リレーの二つで獲得)で俳優に転身したジョニー・ワイズミュラー(Johnny Weissmuller 一九〇四年~一九八四年:オーストリア・ハンガリー帝国出身でアメリカ合衆国で活躍した)が演じた映画が大ヒットしていた。私(昭和三二(一九五七)年生まれ)の幼少時の記憶でも、現在の想起に於いても、ターザンは彼以外には浮かばないほどである。]

 色のついた夢はめったにみません。でも、色つきの夢をみるのは精神病者だ、と以前聞いたおぼえがあるので、ちょっと心配になった秋葉は精神分析の入門書を調べてみたのですが、最近の学説では、かならずしもそうとはかぎらないというのです。

 それにしても、こうやたらに狸の夢ばかりみるようでは、健全な状態とはいえないでしょう。二学年の三分の二が終ったとはいえ、じつはまだ大学入試ノイローゼにかかるほど、受験勉強に精出してはいないのです。

 夢の登場人物については、主役一人だけのこともあれば、その他大勢が出て賑わうこともありますが、夢の舞台に立つ主人公は最後にきまって尻尾(しっぽ)を出します。それを待ちかねて秋葉は夢の外から、つまり画面にあらわれない観客席のかぶりつきのようなところから、やにわに両手をのばし、ふさふさした見事な尻尾をぎゅうっとつかまえると、相手は突然狸の姿に変ってしまいます。その拍子(ひょうし)に目がさめて、たいていすがすがしい気分を味わうという段取りなのです。

 気がついてみると、よじれた毛布や電気スタンドの柱などを握っていたり、あるいはまた、枕もとにおいてある肌着や英語の辞書をまるめて、汗ばんだ両手でしっかりつかまえているのでした。いつも爽快な目覚めを迎えるとはかぎりません。自分の脚(あし)に、それもくるぶしのあたりに、ここを先途(せんど)としがみついていたときは、味けないものでした。寝相のぐあいでベッドの脚をつかまえそこねて、転げ落ちたときのほうがむしろ後味はよかったのです。行為の目的をはなれて、人間は方法や派生的な結果で、のべつ心を痛めるようにできているのですから仕方がありません。

 おかしな夢をみる直接の原因はわかっています。中学二年生の妹にせがまれるまま、近所のくたびれた映画館にお伴をして、『狸の歌合戦』とかいう歯の浮くような国産ミュージカルをみたのがいけなかったのです。しかしこの映画見物は、精神分析医にいわせれば、それと気づかず胸の奥に眠っていたものを、夢のなかで映像化するのに一役買っただけなのでしょう。いいえ、秋葉はうすうす気づいていたのでした。真の原因は他にあったのです。だから、秋葉次郎はめざめたあとで、「いつかは春海鯛介(はるみたいすけ)もきっと尻尾をだす。尻尾のない狸なんて……いや、尻尾をださない人間なんてあるものか」と考えて、すっとんきょうな狸の顔を、表情の乏しい春海の顔とすげかえてみるのでした。

[やぶちゃん注:「狸の歌合戦」これは「歌まつり満月狸合戦」(うたまつりまんげつたぬきがっせん)であろう。昭和三〇(一九五五)年五月に公開されたモノクロのスタンダードで九十三分。脚本は中田竜雄、監督は斎藤寅次郎、音楽は原六郎。「新藝術プロダクション」製作で、新東宝配給。主演の美空ひばり(「お春」・「お菊」の姉妹二役)と、助演の雪村いづみ(「お雪」役)が初めて顔を合せたほか、トニー谷・堺駿二(堺正章の実父)・山茶花究(さざんか きゅう)といった当代の名コメディアンが出演している。サイト「MOVIE WALKER」の同作の「ストーリー」によれば、『讃岐の狸国夕月城主高康公』(藤間林太郎演。藤田まことの実父)は、日本の大正時代から昭和時代にかけての俳優。無声映画時代のスターの一人。本名は、原田林太郎(はらだりんたろう)。藤田まことの父。)『は老年で退く事になったが、十余年前、正室の姫君が何者かに拐』(かどわ)『かされたので、愛妾お浅の方が生んだ幼君以外に子供がない。お浅の方と密通の家老穴倉』(山茶花究演)『に実権を渡さないため、忠臣蝶七郎に姫の探索を命じた。彼は姫が持っている筈の「鼓の模様入りの守り袋」を手がかりに探すうち、人さらいが芸人一座に売った娘が姫らしいと聞き、阿波の国へ行く。そこの鼓の森の休み茶屋夢廼家にはお峯とお春の娘がいた。お春は主人甚兵衛が芸人一座から金の代りに受けとった娘で、甚兵衛に酷使されていた。蝶七郎は彼女が姫だと思うが、穴倉の配下黒左衛門の一隊も姫の命を狙っていた。お春は水の精から狸の化け方虎の巻を与えられ、その力で魔術師風天斎』(トニー谷演)『とドブ六』(堺駿二演)『に捕えられていた九州狸お雪を助けた。お雪は夕月城下青山針磨』(若山富三郎演)『の屋敷に働く姉お菊とお春が瓜二つなのに驚く。風天斎とドブ六が青山家の家宝の皿を盗んでお菊に罪をかぶせ、そのため彼女は井戸に投身自殺した。皿はお菊に惚れていた河童の五六兵衛のもとに隠された。かくして狸と河童の間に善悪入り乱れての大合戦となり、ついに正は勝利をしめ、お春は夕月城の家督をついだ。』とある。]

 あの小狡[やぶちゃん注:「こずる」。]そうな狸の顔と、ひどく無愛想な、厳しくキリッとした、そのくせどこか憂いをたたえた春海鯛介の顔とのあいだに、なにひとつ共通点はないのです。容貌や表情をあげつらっているのではありません。肝腎なのは、狸が春海に化けたかどうかではなく、春海が狸に……いいえ、つまりですな、問題は狸ではなくて尻尾のほうなのです。

 春海鯛介は転校生です。夫年の九月、東北の地方都市から東京郊外のH高校に転校してきました。秋葉がクラス委員をつとめている二年C組に編入されて、まだほんの四月ほどにしかなりません。担任の風間先生の話では、なんでも春海はお父さんが亡くなったので、上京して伯父さんの世話になっているとのことでした。

 春海は無愛想な男でした。無口でとっつきにくいのです。新しい仲間になじめないのかと思い、秋葉はクラス委員という肩書きの手前、つとめて気をくばり話しかけてみるのですが、春海はいっこうにのってきません。誰が話しかけても、動きののろい目もと口もとに心もち笑いをうかべ、ひととおり必要な受け答えはするのです。その代り誰も声をかけたければ、一日中でも、いいえ、二年が三年でも黙りこくっているでしょう。そんな感じの男でした。

「もう、だいぶなれたろうな。二週間になるかな」

 秋葉がそう話しかけると、春海は口をむすんだまま、ちょっとはにかむような笑いをうかべ、

「……まあね」

 十五秒ほど間をおいて答えます。

 二年の四クラスのうちでは、C組が一番おとなしいのでした。二学年全体が一年、三年に比べて、おとなしいのです。そもそも学校自体がもとの府立中学で、中流サラリーマンの子弟が多いせいか、おっとり構えた恰好なのです。わるくいえば趣味的で、これといった特徴はなく、自治会活動も低調ですから、秋葉のクラス委員としての仕事は単調なものでした。

 いってみれば二年C組は羊の群れを集めたようなクラスです。もっとも冬岡忠治という番長気どりの男と、数人の取り巻きがいて、異端者ぶりを発揮していますが、それも多少血の気が多いだけのことで、C組のなまぬるい空気が余計反撥させるのかもしれません。

「文化部でも運動部でも、なにかクラブにはいってやってみるかい。文化部はかなり盛んだけれど、鼻につくよ。運動部はどこもパッとしないから、経験があれば、レギュラーになれるぜ。前の学校では、なにをやってたの」

 秋葉がそう言うと、春海はまた何秒か時をおいて、

「……べつに……」

 と返事は短いのです。

「どこでも一通りやってみていいんだぜ。ひとりで行きにくいなら、話をつけてやるよ。ひやかしのつもりで、あちこちのぞいてみるといいね」

「……ありがとう」

 うなずいて春海はゆっくり答えます。

 伏し目がちに、そうです、春海鯛介はいつも半分瞼をとじていますが、ときどき目をあげて無作法なほど見つめるのです。べつに不快をおぼえないのは、目の運びに節度があって迷いがないせいでしょう。不快どころか、目の動きだけについていえば、チラチラと揺れることのない澄んだ強い光が、あとあとまで心に残るのでした。しかし、こんなでは、不快感は与えないにせよ、とてもクラスメートに好感はもたれません。

「精薄児でなけりゃ、ニヒリストの目つきだよ。イヤーな感じ」

「どうも、ズレてるね。鈍いことはたしかだな」

「オツムは弱くもなさそうだけど、つきあえないね。申しわけない。こちとらは、ツーてばカーとこなくちゃ」

 こんな陰口が秋葉の耳にはいります。クラスメートの三分の一は女生徒ですが、こちらの評判もまあ似たようなものでした。

「ブッてるわね。イカスつもりかしら」

「田舎者コンプレックスよ。ご誠実だわ」

「素朴でいいじゃない。そっとしといてあげなさいよ。気の毒に」

 春海は同情され、半(なか)ば無視されてしまいました。秋葉ものれんに腕押しみたいで、いい加減拍子ぬけがしてサジを投げた恰好です。

 こうして春海鯛介はふた月あまりもごく目立たない存在でした。その評価ががらりと一変したのは、十一月初めに教室内で起った盗難事件以来のことです。

 

 いまでも秋葉はその事件に疑問をもっています。一応解決はしたのですが、どうも釈然(しゃくぜん)としません。事の真相が判らないのです。

 この冬休みにスキーにいくのを諦めて家にいるのも、受験勉強というのは体(てい)のいい口実で、じつは春海に会って事実を聞きだそうという下心からでした。これまでのところ三遍会って探りを入れてみたのですが、成功しません。とどのつまり狸の夢をみるのが落ちです。収穫は皆無でした。

 事件の二、三日前に模擬試験の成績発表がありました。H高校では、進学志望率がわりと高いため、受験指導にはかなり力こぶを入れ、二年生の進学志望者は年四回、学年別の模擬テストを受けることになっています。

 受験者はだいたい百五十人くらいで、そのうち五十番までの成績表が廊下に貼りだされるのです。秋葉次郎の過去二回の総合成績は、十二番と八番でした。Z工大志望者としては、十番前後なら、まあまあの成績です。安心もできないが、そう心配するにも及ばない。そんな相場でした。

 春海鯛介が最初に人目をひいたのは、十月中旬に行われた第三回テストの成績が、月末に発表されたときといえましょう。

 秋葉は前回よりも二番さがって、ちょうど十番でした。そして秋葉のもとの位置、八番には春海鯛介の名がみえます。

 しかし級友のあいだに格別反応はありませんでした。

「成績が人間のすべてじゃないからな」

 成績の悪いものはそう考えます。C組には十番以内が春海のほかに四人もいるのですから、こんなことでいちいちおどろいてはいられません。春海については、精薄児という見方が妥当でないことは判りましたが、そのほかの評価が改められた様子はないのです。してみると、春海の好成績はむしろ、手ごたえのない反感に恰好をつけたきらいがあります。

 盗難事件が起ったのはそんな時期でした。

 十一月二十日の昼休みのことです。秋葉は夏川ユリに廊下に呼びだされました。

「お金がなくなったの。どうしよう」

 ユリは小声でそう言いました。

 机のなかに入れておいた財布の位置が、いま見ると変っている。中身を調べたら、五千円札が消えていたというのです。

「思い違いじゃないのかい。例えば……」

「けさ机にしまうとき、あらためたのよ」

「厄介なことになったぞ。きみ、いつもそんな金を持ちあるくの」

「あしたお休みでしょ。朝、出がけにパパにねだって、まきあげてきたのよ」

 ユリの父親は一流会社の重役だそうです。父は会社の車が使えるので、自家用車のほうは母とユリがかわるがわる乗りまわすという結構な身分でした。

 夏川ユリはC組の人気者です。ちょっとした女王格で、庭球部では花形選手の一人でした。同性にも異性にも受けがいいのは、美人で才気煥発(かんぱつ)で金持なのに、へんに気どらないせいでしょう。しかしあいにくなもので、美貌が逆にわざわいして、気さくにふるまえばふるまうほど、異和感がつきまとうふうなのです。やはり美人はうぬぼれ、才女は小才を見せびらかし、金持はお高くとまるのが、気楽なようです。

「クラスに泥棒がいるなんて思いたくないが、仕方がない。早速みんなを集めよう。夏川くん、これはぼくの考えだが、一応クラス内だけの問題として扱いたいのだけれど。どうしても解決がつかなければ、そのときは風間先生に相談することにして……」

 秋葉がそう提案すると、

「あくまでクラス内の間題にしてほしいわ。内輪のことですもの。お金は、出なければ出ないでいいのよ。間題を外部に持ちだすようなら、盗られたのは嘘だって言うわ」

 夏川ユリは美しい眉をかげらせて答えました。

 ほかのクラスには知られないように非常呼集がかけられ、校内に散らばっているクラスメートが教室に集ったところで、秋葉は事情を説明しました。すぐさま議長を選んで善後策の討議にはいったのですが、議論百出して容易に対策のメドがつきません。

「犯人は外部の人間かもしれないのになぜ、内部の問題にするのか」

 まずこんな意見が出て、しばらくもめました。

「かりに、かりにだ、このなかに犯人がいた場合、罪人にしたいか。問題を外に持ちだせば、いやおうなく罪の烙印を押されるだろう。泥棒にも三分の理窟、わけもなく罪を犯すものはいない。しいて罪を追究せず、金が戻らぬ場合は、一人百円ずつ持ち寄ればすむではないか、クラス内の問題とすべし」

「反対。校内の問題なら、法的な罪人とはならない。動機いかんにかかわらず、罪は罪だ。罪はまぬがれても、人間、犯した罪は償わなければならない。それが本人のためでもある。もし外部からの犯行なら無実の級友同士が疑い合って、厭な思いをすることはないだろう。学校の間題とせよ」

 ともに一理ある意見です。その罪を憎み、その人を憎まず、救済を願う友情の美しさ。深遠な思想も織り込まれて、なかなか有益ですが、秋葉はどちらもちょっと大げさすぎるような気がしました。第一、これは討論会ではないのです。

 結局、「暫定的にクラス内の問題とする」という秋葉次郎の意見が通って、方法論に移りました。

「不愉快な仮定を忍んでもらいます。紛失した金がこの室内にある、と仮定します。発見方法についてご意見を求めます」

 議長も苦しそうだな、と秋葉は同情しました。

「議論の余地はない。所持品検査と身休検査をするまでだ」

「室内にあるとは限らないから、手分けをして校内くまなく捜す必要がある」

 いくら不愉快な仮定を忍ぶにしても、魂の救済について激論した同じ口から、刑事の手口が提案されるとは意外でした。これにも反対の火の手があがります。

「人権無視の暴挙だ。所特品検査だなんて、許せない」と叫んだ男は、人に知られたくない恋人の写真でも持っているのでしょうか。一方、身休検査は女生徒側からのいっせい反対にあいました。

「たとえ同性でも、おのれの意志に反して、からだにふれられるのは絶対いやよ」

 そう言われてみると、判るような気がするので、男性側も無理じいはできません。といって、身休検査ぬきの所持品検査は無意味です。

 こうなれば、捜査の方法は自然、限られてくるので、誰でも思いつきます。

 「消去法だ。アリバイを調べてみよう」

 こんな簡単なことに気がつかなかったのは、本質論に心をうばわれていたからでしょう。

 この日の課業をみると、物理実験と体操がつづき、教室がからになるのはこの二課目の授業中だけです。人目があるのに他人の机はあけられません。実験室への行き帰り、運動場への行き帰り。犯人がクラス内にいるなら、この四回の機会にしぼられてきます。最後に教室を出るか、最初に教室へはいるか。こんなときには、たいてい誰かと連れ立って、もしくは前後して出はいりをするものです。

 偶然一人になることもあるので、この方法は完全とはいえませんが、犯人捜しが狙いではなく、ほしいのは全員無罪の証明です。

「では一人でもアリバイのあいまいな人が出た場合は、この方法はいさぎよく撤回することにして……」

 議長がそういいだしたとき、秋葉は何人かの目が春海のほうに注がれているのに気づきました。単独行動といえば、誰しもまず春海鯛介のことが頭にうかぶのです。

「議長、反対」

 と、秋葉は思わず叫んで手をあげていました。

 

「たとえ撤回しても、一度かけられた疑いは消えない」

 と秋葉は立って述べます。

「人けのない教室のなかに、ただ一人ぼんやり居残った経験、教室に戻って気がつくと空家同然で、自分の存在があやふやになる経験、こんな経験は誰にもある。ここでは、疑ワシキハコレヲ罰セズ、では足りない。疑ワシキハコレヲ疑ワズ、といきたいのです。要するに、全員がシロであることを証明できれば、これに越したことはないのですが、功をあせって思わぬ犠牲者を出しては困る。その意味で只今のアリバイ捜査は、不完全かつ不適当な方法だと考えます」

 秋葉は午後の始業時間が迫っているので、気が気でないのです。国会のように、審議未了につき放課後まで休会、とずるずる順延できればいいが、突然のことですから、放課後まで持ち越すと、課外授業やクラブ活動、その他もろもろの予定をもつ人々に、迷惑が及びます。いまでさえ、ドアをあけてのぞきこみ、「なんだ、秘密会議か」と、からかって立ち去るほかのクラスの生徒たちが、うさんくさげに好奇のまなざしを投げていくのですから、もう一度くりかえせば、対策の立たぬうちに事が外部に洩(も)れかねません。そうなると余計面倒です。どうしても昼休みのうちに目鼻をつけておきたいのでした。

「最初にお断りしたように、被害者の夏川ユリも、あくまで内輪の問題として、とくに捜査方法については充分慎重に……」

 秋葉がそう言いだしたとき、

「金の保管も慎重に」

 と半畳を入れた者があります。はじめて笑い声が起りました。

「その点、夏川ユリはくれぐれも無用の疑惑を生ぜしめないよう……」

 つづいて秋葉がそう言いかけると、「生ぜしめた。もうおそい」とそこでまた野次がとびました。

 その通りです。哲学者や宗教家のような口ぶりで論じあっているうちに、一同の頭上には早くも疑惑の雲がたれこめていたのでした。

 考えると馬鹿らしい。万一、これがクラス内部の犯行だとしても、夏川ユリは別にして、四十八人のうち四十七人までが潔白です。かりに一人二人、共犯者のおまけがついても、四十五、六人は無関係で、とんでもないとばっちりを食ったわけです。もしかすると四十八人の全員が潔白なのですが、困るのは、四十八人の誰もが「わたしはやらなかった」とは言えても、「きみはやらなかった」と言いきれないことでした。それに第一、こう議論が長びくばかりで、方策も立たないときては、夏川ユリの名前がでたとき、「盗まれたのが悪い」という非難もこめて、うっぷんばらしの野次がとぶのも当然でしょう。

 まもなく始業のベルが鳴るころです。

「こうしようじゃないか」

 と、秋葉はくだけたことばで言いました。

「今日はこれで打ち切りにする。もしこの中に、金を……つまり、だまって借りた人がいたら、あした登校してから……」

「あしたは文化の日」

「そうか。そんならあさってだ。教室で返してもらうことにする。元金の五千円だけでいい。利息は要りません」

 秋葉は時間に追われて、思いつきをしゃべるうちに、ふと冗談が口に出て、笑い声を聞いたとたんに、うまい手を思いつきました。

「自白と同じじゃないか。そんならいま返してもらえばいい」

 と誰かが言いました。

 そうもいかないので、口々に返済方法をもちだして、どうやら秋葉の思う壺です。いろいろと名案珍案がでて、なかでは教室のどこかに落しておく方法が最も有力でしたが、全員手ぬぐいで目かくしをしてから、室内の壁に沿って手探りで三回以上ぐるぐる歩きまわるという形式が嫌われ、結局秋葉のもちだした方法を採用することになったのです。

 それはこうです。全員が封筒を用意する。ごく普通の細長い封筒で、色は白。これを手に握れるように四つ折りにして、投票の要領で箱のなかに入れるのです。昼休みのそのときまで封筒は身につけて持ち、決して他人に見せないこと。型や色の違った封筒は厳禁。デパートの紙袋やピンクの封筒などは沙汰の限りです。封筒にインクや爪でしるしをつけないこと。要するに、金が戻った場合、自分だけの潔白を証明しようとしないこと。公平を期すためには、こんな条件も必要なのでした。

 犯人は金を封筒に入れるだけで、罪をつぐなうことができるのです。

「返す気がなければそれまでだな」

 そう言いだした男はみんなの嘲笑を買いました。

「なんのために討議したのだ。そんなことをいうと、おまえが盗んだと思われるぞ」

「封筒から金が出なければ、全員シロさ。万一出てきたら、水に流しておしまいだ」

「これだけお膳立てをととのえたら、誰だって返すわね。どっちにしても、あさってのお昼までに片づくじゃない」

 ともかく一応の対策ができたところで、うまいぐあいに始業ベルが鳴ったのです。[やぶちゃん注:以下、改ページで行空けはないが、改行をそれに転用した可能性があるので、一行空けた。]

 

 なか一日おいて四日の昼、予定通り四十八枚の封筒が箱のなかにおさまりました。被害者の夏川ユリは、クラス委員の秋葉と議長をつとめた男の両名立ち会いのもとに、一枚一枚封筒を調べていきます。お祭り気分の空気がひきしまって、静かな室内にペーパーナイフで封筒を切りひらく音だけが聞えてきます。

 四十八枚目の封筒をひらく音がひときわ高くひびきました。

「開封の結果をご報告します。紙幣は発見できません」と議長がいいました。

 溜息が洩れ、どこからともなく拍手が起ってしばらく鳴りやみません。紙吹雪をとばしたいたずら者もいます。感動的な瞬間でした。

「よって本法廷は」

 と議長がきまじめな顔でいいだしました。

「ここに次の通り判決をくだす。判決……全員無罪」

「ありがとう、みなさん」

 と夏川ユリがつづいて発言します。

「お騒がせしてごめんなさい。じつはあたし、お詫びしなければなりません。お金をとられたというのは嘘でした。この問題は今日かぎりで忘れてください」

 もう一度拍手が起りました。これでなにもかも元の白紙に返ったのです。

 しかし緊張がとけると、なにかしらじらしい感じがただよいはじめました。時がたつにつれて、室内の空気が重苦しく濁っていくようなのです。「チェッ、つまんねえの」といったのは、紙吹雪を投げた男。ご苦労千万にも紙吹雪を用意しながら、一方で五千円札がでる場面を期待していたのでしょう。そういえば、「返す気がなければそれまでだな」といったのも、この男でした。

「このままでいいのか。夏川くんはああいうけどさ。いまや全員の問題だものな」

「罪を追究せず百円持ち寄れといったのは、きみだぜ。だからおれは最初から学校の問題にしろといったのだ」

「しかしクラスの恥をさらすことはない」

「盗難にあうのが恥か」

「迷宮入りになればね。C組の全員シロを、ほかの連中が信じてくれると思うのか」

 秋葉は級友たちの会話を耳にして「勝手なものだ」と思いながら、彼らを笑えませんでした。夏川ユリには諦(あきら)めてもらえばいい。彼女の五千円は、官庁づとめの父をもつ秋葉の百円王ひとつにも当るまい。だがもし、クラスの内外にかかわらず盗難が再発したら、責任を間われるだろう。「封筒に金がはいっていればよかったのに」秋葉自身、そんなことを考えていたのです。いくつかの視線がまたチラチラと春海にそそがれているのを見ても、秋葉はなぜか今度は気になりませんでした。

 そんなときです、春海鯛介が立ち上ったのは。汚ないものでもつまむように、二本の指で胸先にささえた紙幣を、じっと伏し目に見つめたまま、春海はやっと口をひらきました。

「……封筒に……入れたつもりで……」

 

 これが盗難事件のあらましです。

 春海はことばすくなに謝罪し、処置をまかせました。

 処分といっても、当の夏川ユリが、二つ折りにした真新しい紙幣を春海の手から直接受けとり、むしろはにかみながら、それをまた二つに折って小さな財布におさめて、

「いいわ。許してあげる」

 といったのですから、ほかの連中がとやかく言うことはないのです。

 それに春海の態度が立派でした。卑屈にすぎず、といって、ずうずうしくもない。万引き女が泣きわめき、訴え、ふてくされるのをみると、余計醜悪で同情も消えますが、春海の場合は反対に、ふだんと変りない態度がかえって好感をもたれたようです。自白に踏み切った勇気がたたえられたのかもしれません。「じたばたしすぎたからな、みんなは」と秋葉は思いました。じっさい、みっともないのは潔白な連中のほうでした。

 結果からいえば、春海鯛介は盗みを働いて株をあげたのです。株があがったといっても、時価百円とすれば、ほんの二、三円程度でしょう。一部には「やっぱりね」といった気分がつよいのです。むしろみんなは、事件が今度こそ片づいたことを喜ぶふうでした。

 相手が春海ですから、なぜ盗んだのかは判りません。聞くだけ骨折り損だとあきらめているのでしょう。

 ともかく春海が骨のある男として見直されたのはたしかでした。しかもこの事件には、ちょっとしたおまけがついたのです。

 五日の日曜日をはさんで翌六日の朝、秋葉は春海の額にかなりのコブができているのに気がつきました。よく見ると、目尻にうすいあざがひろがり、上唇は腫(は)れていたいたしく、耳の下にもバンソウ膏(こう)が貼ってあります。

「どうした春海、その顔は」

 一時限目に風間先生が見とがめて聞くと、春海は顔をしかめて、恥かしそうに、

「……自転車に、きのう、はねられて……」

 と答えたので、失笑が湧きました。同じコブでも、トラックやバイクにとばされてできたコブなら、誰も笑わなかったでしょう。

「自動車でなくて、よかったな。みんなも気をつけてくれよ」

 風間先生は、にこりともしないで、いわくありげにみんなの顔を見まわしました。盗難事件が洩れたかな。そう秋葉は思いましたが、べつにそんな様子も見えません。

 この日はじめてユーモラスな一面をみせた春海鯛介は、コブの代償に級友の同情を買ったのです。また一、二円がところ、株をあげたわけです。

 この同情相場は休憩時間ごとにじりじりと上げて、午後の課業が終るころには、ざっと十五円ほども高値がついたでしょうか。春海の怪我はリンチによるものだと判ったからです。

 自首した日の放課後、春海は冬岡忠治とその仲間に運動場の隅へ呼びだされ、なぐる蹴るの制裁を受けたらしいのです。冬岡の番長気取りも困りものです。人権尊重の時代ですから、これが露見したら、新聞沙汰になりかねません。

 べつに街のやくざなどとのつながりはなく、「男一匹」がどうの、「男のいのちの純情」がどうやらしたとかいう歌を口ずさみ、そとでは喧嘩(けんか)のまねごともやるようですが、教室では秋葉の言いなりになるくらいですから、手に負えない乱暴者ではないのです。根は純情な感激屋でした。

 校内でもまれに、「正義のため」やら「仁義を教えるため」に、悪くすると「虫の居所」のぐあいで、ご法度(はっと)の制裁もやりかねませんが、それもせいぜい痛くないビンタを張る程度で、今度のように怪我をさせたためしはないのでした。

 こんな噂はたちまち広がります。秋葉は冬岡をつかまえて、事の真偽をたしかめました。

「春海のコブはおまえがつけたって、本当か、冬岡」

「コブはおれじゃないけどよオ……ぬすっとたけだけしいって、あんなのだよ、な。おれは引きずり倒しただけさ……うんともすんとも、言わないだろ、あいつ……AとBがアタマにきちゃって、靴でやったんだ……やりすぎたよ、な。こう、背中をまるめて、音(ね)もあげずにいるんだ、あいつ」

「バカだよ、おまえたちは。訴えられて、表沙汰になれば、退校ものだぞ」

「ぬけ目はないよ。ぬすっとは訴えやしないさ。言ってやったよ、でけえつらするなって……」

 冬岡は得意の鼻をうごめかしていましたが、一週間後には、その鼻柱をへし折られるようなはめにおちたのです。

 冬岡も、その腰巾着(こしぎんちゃく)のAもBも、柔道部員です。あまり稽古には出ないので、来年も対外試合の選手になれる見込みはありません。

 たまたま冬岡が稽古に出た日に、春海は道場にあらわれ、稽古着を借りて着換えました。

「いい心がけだ。一丁、もんでやろか」

 冬岡が声をかけると、春海は気がなさそうにうなずいて、

「……このなかでは、誰が……つまり、一番つよいのは、誰だ」

 といいました。

「そうだな、三年生はもうあまり出てこないが、あそこの五分刈り頭が、副将だった人だ」

「……あとで……よかったら、もんでくれ」

「ああ、いいとも。おやすいご用だよ」

 しかし冬岡はやがて、穴があったらはいりたいような気もちを味わいました。副将といえば、C高校では一、二を争う実力者です。それが春海との乱取りで、藁(わら)人形みたいに振りまわされているではありませんか。

 春海がもどってきて、まだ消えない額のコブを指先でなでながら、「よかったら、もんでくれ」と言ったとき、冬岡は胴ぶるいがとまらなかったといいます。

 「……いやなら、いいんだ……人はみかけによらないだろう……前の学校には、おれなんか歯が立たないのが、十人はいた……上には上があるものだ……でけえつらをするなよ、冬岡」

 口も利(き)けないでいる冬岡に、春海はそういってめずらしく白い歯をみせ、笑いかけました。

 副将がその場にきて入部をすすめましたが、春海は断りました。対外試合のときだけでいい、という頼みにも応じません。

「……やりたいけど、だめなんです。友人を……片輪にしてから……久しぶりに今日……やっぱり、だめだった。気もちが……腕がちぢんで……」

 あの日もし、なにかの拍子で腕がちぢまなかったら……と考えて、冬岡はぞっとしたそうです。

 この話が伝わると、春海の株はいっぺんに……まあ、そうですな、三十八円分ほどはねあがりました。暴落をつづけてきた兜町とはあべこべに、春海の株はあがる一方です。

 十一月末に発表された模擬テストの成績で、春海はもう一度注目を浴びました。前回の八番から四番にあがったのです。秋葉は逆に四番さがって十四番に落ちていました。

 秋葉が狸の夢か見るようになったのは、それからまもなくです。

 

 同じ模擬テストでも前回のは春海の株価に影響がなく、今度のそれは、金額にして……毎度金の話で恐れいりますが、数字はやはり便利な尺度ですからな……ざっと四十五円ほど株をあげています。理窟に合わないようですが、世の中では、現象としてはよく似た材料でも、決して同じ結果は生みません。

 今回のテスト成績は、秋葉次郎にはショッキングなものでした。席次だけについていえば、四番と十四番では、相撲の番付なら小結と前頭十枚目くらいなひらきで、まあ大した違いではない。二場所もすれば、入れ替わる可能性もあるのですが、秋葉は最近、春海鯛介が自分と同じZ工大志望であることを風間先生にきいて知ったばかりです。春海に差をつけられたのが問題ではなく、春海がたまたまZ工大志望だったことが不都合なのでした。

 席次ばかりでなく、このところ株をあげ放題にあげているあの春海鯛介が、です。いいえ、田舎者とさげすまれ、存在を無視され、出来心にせよ、級友の金を盗んでスキャンダルの種をまいたあの春海が、です。

 短期間にその変りようはどうでしょう。いまや春海は畏敬の的(まと)です。リンチの首謀者、冬岡忠治にいたっては、春海鯛介を英雄視さえしているのです。

 そのころ秋葉は風間先生に呼ばれて、妙なことを聞かされました。

「どうだい、春海と自転車は。うまくいってるようじゃないか」

「自転車ですって」

「とぼけるな。国定村の親分だよ」

 長岡ならぬ冬岡忠治のリソチ事件を、先生は知っているのでした。

「スパイがいるのですか」

「バカをいうな。勘でわかるさ。それにおしゃべりが多いしな。盗難騒ぎも判っていたが、きみたちの自治にまかせて、様子をみていた。しかしあれは一杯くわされたようだな」

 そのときはぼんやり聞き流しましたが、秋葉はあとで「一杯くわされたようだな」という一言が気になりました。

 どんな意味か。春海が騒ぎを起して、一杯くわしたのか。それとも、春海は無実で、姿なき犯人に一杯くわされたのか。

 春海以外に犯人はない、という最初の空気は、いつからともなく、五分五分に変りました。級友の見方が半々に割れている意味ではなくて、級友個人の心のなかに、二つの見方が争っていたのです。シロかもしれない。クロかもしれない。しかし間題をむしかえすのは面倒だ、といったぐあいに。

 春海が厳格清廉(せいれん)で鳴らした判事の遺児であることも、あとでわかりました。判事の息子だからシロとはいえませんが、秋葉はあのただごとでないストイシズムが判るような気がします。なにしろ、伯父さんの大きな邸宅で優遇されながら、年の瀬というのに、火の気のない殺風景な小部屋にこもって、ひざ小僧を毛布にくるみ、机に向っているのですから。

 級友たちには、春海がシロかクロかはもうどうでもいいのです。やはりクロだとしても、自白した勇気は、罪をつぐなってお釣りがきます。それに被害者は毎月二万円も小遣いをつかう夏川ユリです。口にこそ出しませんが、心ひそかに溜飲をさげた者も多いはずです。

 月野好子のように無実を信じるものさえ出てきました。春海の返した五干円札は、手の切れそうなサラの札を二つ折りにしたもの。ユリはそれをまた二つに折って財布に入れたのですが、ユリの財布は小さくて二つ折りのままではおさまらない。つまりあの五干円札はユリの財布にあったものとは違う。だから春海は無実だ、というのが好子の論法でした。

 しかし返したのは盗難のあった翌々日ですから、同じ紙幣を返すとはかぎりません。財布の大きさに目をつけたのはさすがに女性ですが「どうも女の論理には飛躍がある」と秋葉は思うのです。

 夏川ユリの春海を見る目つきも尋常ではありません。事件直後はこだわりなく話しあっていたのに、やがてユリは春海を避けはじめました。秋葉がそれとなく観察すると、ユリはときどき遠くからじっと春海を見つめています。

 いいえ、ユリのことはどうでもいい。秋葉が胸を痛めているのは、花田千枝子の心変りでした。

 駅前のひなびた商店街に、「花田屋」というソバ屋があります。千枝子はそこの娘でした。手不足なので昼のうちは店を手伝い、夜は定時制の高校に通っています。

「結婚するなら、鼻低く、愛嬌第一、料理好き」

 これは結婚相談所の広告ではなく、秋葉次郎が兄の太郎からもらった葉書の全文です。大学三年のとき年上の美人と結婚した兄から、半年後に送られたものでした。恐らく最初の幻滅を歌ったものでしょう。

 秋葉は経済的にも苦労した兄の見本があるので、学生結婚はしないつもりですが、千枝子をみていると、受験一色に塗られた心がほのぼのとあたたまる思いでした。

 はじめて「花田屋」に誘ったのは冬岡です。食べるものはいつもキツネうどんでしたが、三回目ごろから秋葉は、三角に切った油揚げが自分のだけ三枚浮かせてあるのに気がつきました。みると冬岡たちのはどれも二枚ずつです。間違えたのではなく、四回目も同じでした。そういえば、ネギの量も倍近くあるのです。ウスアゲとネギを入れるのは千枝子の役目でした。冬岡たちは軽口をいって千枝子を笑わせています。

「へえー、ゼリー雪井が結婚したの。知らなかったな。愚か」

 秋葉にしてみれば、油揚げの足りないのを知らずにいる彼らのほうこそ、愚かです。

 兄の言ってよこした三つの条件のうち、料理の点は不明ですが、さきの二つ「鼻低く、愛嬌第一」が千枝子の身上でした。ひと頃の秋葉には、キツネうどんが生甲斐といえたくらいです。

 ところが春海を誘ってから事情が変りました。はやくも二回目に春海の油揚げが三枚にふえたのです。そして三回目には、「おれはタヌキだ」と春海がいうのを、「キツネにしろよ」「タヌキが滋養になる」「この店はキツネにかぎるのだ」と説き伏せた秋葉は、自分の油揚げが二枚に減っているのを見たのです。千枝子は多分、春海にほれこんでいる冬岡の宣伝にのったのでしょう。女心はあさはかなものです。兄貴の忠告もいい加減なものだ、と秋葉は思いました。その後は「花田屋」に誘われても、秋葉はもう、「うどんかけ」しか食べません。

 冬休みにはいる前に、月野好子が秋葉にこんなことを言いました。盗難事件は夏川ユリの打った芝居だ。ユリは何度か、春海について、「いじめてやりたい衝動を感じる」といっていた。それに近頃街に出るとき、ほそい金のネックレスをつけて、聞きもしないのに、「ちょうど五千円よ」

と吹聴している。つまりあの事件は、疑いが春海にかかるのを見ぬいて計画した狂言だ。それがいまは春海にイカレているというのです。

 そうかもしれません。しかし秋葉は一方、こうも考えます。いまとなれば、春海が盗んだとは思えない。そんなら退校程度の犠牲を覚悟で、無実の罪を背負ったのか。クラス内の問題としておさまることを計算の上、「勇気」を効果的に示したのではないのか。冬岡を恨ませずに心服させたのも、老獪(ろうかい)な手口といえないだろうか。

 秋葉は冬休みになって春海を三度訪ねたのですが、あいまいに笑うだけで、春海はことばを濁すのです。「一杯食わされたようだな」といった風間先生はなにを考えていたのでしょう。

 冬休みもあとわずかです。秋葉は休みのうちにもう一度春海に、できれば夏川ユリにも会って、真相をつきとめたいのですが、もうどうでもいいような気がします。

 いくら捜しても尻尾はないかもしれません。尻尾があるものなら、無理につかまえなくとも、自然に見えてくるでしょう。たとえ尻尾をとらえても、ベッドから落ちて頓死(とんし)でもしたら、つまりません。じたばたすればするほど悪くなるのが世の中です。そう思えば、狸の夢も消えるでしょう。先は長いのです。

[やぶちゃん注:「ゼリー雪井」不詳。架空の歌手か俳優か。

 因みに、本作中で、月(十一月)日付や曜日を細かに示しているが、試みに調べて見たが、発表された一九五八年以前直近数年を遡っても、それに完全に一致する年は、なかった。簡単に出来ることを敢えて合わせようとしなかったのは、あくまで創作物という矜持からであろう。]

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