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2021/11/28

曲亭馬琴「兎園小説外集」第一 文政八乙酉年九月十一日紀伊殿より御用番御老中大久保加賀守殿え御屆書付の寫し / 曲亭馬琴「兎園小説外集」第一~了

 

   ○文政八乙酉年九月十一日、紀伊殿より、

    御用番御老中大久保加賀守殿え、御屆

    書付の寫し。

私領分紀州三山、御用に付、材木御尋有ㇾ之候處、奧熊野より、四十三里、深山に、大木一本有ㇾ之候、左之通り。

一 榎

  太さ、百二十抱、高さ、凡、八十七間程。

  南西え、出候、大枝、何れも十九抱

  より、三十抱程。

右の榎、東西南三方え、割れ有ㇾ之候處、宿木、生出候。左之通り。

一 椎

 高さ、二間位より、三間程迄、太さ一抱程。

 十三本。

一 松

 高さ、各、三、四間位より、太さ一抱半より、

 二抱程。九本。

一 黃楊

 高さ、二間位より、三間程迄。太さ、一抱位

 より、一抱半迄。十三本。

一 南天

 高さ、三間位より、太さ、四尺位迄。七本。

一 楓

 高さ、各、五間位より、太さ、何れも一抱位

 迄。七本。

一 竹

 高さ、三間程、太さ、二尺程。三十七本。

右之通りに御座候。此段御屆仕候。

 酉七月          紀州殿御城附

[やぶちゃん注:以下、底本では全体が一字下げ。]

解、按ずるに、此大榎の事は、これより先、「月堂見聞集」、享保の卷に見えたり。「見聞集」に載せし所、樹の大小、幷に「やどり木」の數、大かた、違はず。それよりして、又、百年ばかりを經て、こたび、人の見出せし也。

 

 

兎園小說外集第一

[やぶちゃん注:リストの頭の「一」の後に字空けを施した。

「文政八乙酉年」一八二五年。

「紀州殿」徳川斉順(なりゆき 享和元(一八〇一)年~弘化三(一八四六)年)。紀州藩第十一代藩主。第十四代将軍徳川家茂の実父。

「大久保加賀守」大久保忠真(ただざね 安永七(一七七八)年(一説に天明元(一七八二)年とも)~天保八(一八三七)年)。譜代大名・老中。相模国小田原藩第七代藩主。小田原藩大久保家第九代。

「八十七間」百五十八・一七メートル。以下、「一間」は一・八二メートル。

「月堂見聞集」(げつどうけんもんしゅう:現代仮名遣)元禄一〇(一六九七)年から享保一九(一七三四)年までの見聞雑録。「岡野随筆」「月堂見聞類従」とも呼ぶ。本島知辰(ともたつ)著。全二十九巻。江戸・京都・大坂を主として、諸国の巷説を記し、政治経済から時事風俗にまで亙る。自己の意見を記さず、淡々と事蹟を書き記したもので、大火・地震・洪水の天災記事や、将軍宣下・大名国替や、朝鮮・琉球人の来聘、正徳二(一七一二)年に発生した寄合松平左門家家中の騒動、江島ら奥女中の一件、享保十年の水野隼人正刃傷事件、同十二年の美作津山の百姓一揆、翌十三年の象(ぞう)献上のことなどが記された実録体記事である。

「享保」一七一六年~一七三六年。]

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