「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 (無題)(ふるさとの春はさびしく光りかがやける) / 「田舍に住みてゐる男の言葉」の既に失われた草稿か?
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ふるさとの春はさびしく光りかがやける
されどもとほいパリあたりの並木みちをゆく娘らの春着をしのんでゐる男もゐる
その男の身のうへにもさいはひあれと祈る
男は田舍に住んでゐて都の美人を戀してゐる
都の春の朝げしきを電車の窓からのぞくことのよろこびにふるへてゐる
この男の友だちはみんな都に住んでゐる
都の友だちは男のためにもしんせつでも快活でもある
けれどもてんでんに何かの憂愁になやんでゐる人たち
ああすべて立派な建築 おほひなるたましひは都にある
汽車はすべてをのせてゆく
またその汽車のはしりゆくときには
利根川にわたせる鐵橋の柱にも川浪はげしくおしかへす
されどもふるさとの春はさびしくして
わづかに土筆よめなの芽を光らしむる田畠のみつづけるけしき
けしきは遠くかすめる勢多郡龍藏寺の屋根に光り
うつうつと田舍ぐらしの甲斐なきをうちかこつ
じつにやくざなる男の身のうへにも
さくらさくとき春の幸福あれと祈る。
編註 「勢多郡」は萩原朔太郎の郷里前橋市と境を接し、「龍藏寺」は前橋市郊外一里餘の北方にあり。
[やぶちゃん注:底本では最後の「編註」は一行で書かれてある。底本の「詩作品年譜」では、推定で大正五(一九一六)年の作とし、『遺稿』とする。筑摩版全集では、「未發表詩篇」の中に「田舍に住みてゐる男の言葉」という題名でかなり似ている別稿が載るので、以下に示す。そこには最後編者注があって、『各行冒頭の數字は著者が附したもの。』とある。太字「ぴいす」は底本では傍点「ヽ」。句読点は総てママで、濁点の欠落や、「17」の「しづにおとへて」もママ。本篇と筑摩版全集校訂本文から「じつに」「おとろへて」(實に衰へて)の錯字・脱字と考えてよかろうか。
*
田舍に住みてゐる男の言葉
1ふるさとの春はさびしく光りかゞやける、
2されども遠い巴里(パリ)あたりの並木みちをゆく娘らの春着をしのんでゐる男もゐる、
3その男の身のうへにも幸福(さいはひ)あれといのる、
4男は田舍に住んでゐて都の美人を戀してゐる、
5都の春の朝げしきを電車の窓からのぞくことのよろこびにふるへてゐる、
6この男の友たちはみんな都に住んでゐる、
7都の友だちはしんせつでもあり快活でもある、
8けれどもてんでになにかの憂愁になやんでゐる人ひとたち、
9ああすべて立派なる建築、おほいなる精靈は都にある、
10すべてをのせて汽車はゆく、
11その汽車のはしりゆくとき、
12利根川わたせる鐵橋のぴいすにも川浪はげしくおしよせる、
13されども故鄕の春はさびしくして、
14わづかに土筆よめなの芽生を光らしむる田畑のみつづける景色、
15けしきは勢多郡龍藏寺の家根のいらかに光り、
16けしきは甚だしく遠方に赤城城をながめ。
17しづにおとへてやくざなる男の身のうへにも、
18なほしづかにさくらのはなはちりかゝりて、なほ春のさいはひあれかしと祈る。
「ぴいす」というのは、よく判らないが、‘bridge-piece’で、橋杭の上に架け渡して、歩廊となる橋板の下でそれを支える橫鉄材を指すか。
「勢多郡」旧郡域は前橋市(但し、明治二五(一八九二)年に市制を施行して前橋市となった区域(ここに萩原家は含まれる)、及び、利根川以西と、山王町・西善町・中内町・東善町及び山王町一・二丁目の一部の三地域を除く)及び渋川市・桐生市・みどり市の市域の一部という広域で、「今昔マップ」のこの辺りになろうか。
「龍藏寺」群馬県前橋市龍蔵寺町にある天台宗青柳山(せいりゅうさん)談義堂院龍蔵寺。山号は「青柳大師(あおやぎだいし)」とも称される。当該ウィキによれば、『寺伝によれば』、延暦三(七八四)年に『勝道によって創建されたと伝えられるが、南北朝時代の』応安三(一三七〇)年に『笠間道玄の開基、豪尊の開山により創建されたとも伝えられる。古くから』、『天台宗の中心的な寺院のひとつとして栄え、天台宗の檀林(学問所)が設置されていた。江戸時代には前橋藩主の帰依を得、藩主から寺領を与えられていた』とある。ここ(グーグル・マップ・データ)。
なお、本篇には『草稿詩篇「未發表詩篇」』に『本篇原稿二種三枚』としつつ、無題の一種のみがチョイスして示されてある。以下に示す。同じく表記は総てママである。
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○
ふるさとの春はさびしいく光りかゞやける。
故鄕されどもとほいパリあたりの竝木路を步むゆく女づれの娘らの春着をかんがえ春着しのびてをしのんでゐる男もゐる
その男の身の上にもさいはひあれと祈る、
男は田舍に住んでゐて都の女た美人を戀してゐる
都の春の朝げしきを電車での窓ガラスからのぞくことのよろこびにふるへてゐる
この男の友だちはみんな都に住んでゐる
それから都の友だちたちは男のためにしんせつで憂愁も快活でもありあるけれども
てんでんに何かの憂愁にになやんでゐる人たち
ああすべて立派な建築おほひなるたましひは都にある、
男は あすこそ
汽車がすべてをのせてゆく
またその汽車のはしるゆくとき 姿をながめてときには
利根川近 近きわたせる利鐵橋の下柱にも川浪はげしくおしかへす、
されどもふるさとの春はさびしいく光りかゞやけるして
わずかにつく上筆よめなの芽生を光らしめる田畑のながめのみみつゞけるけしき
根 あぢけもなないけしきを眺めて
ふかい嘆きらしらずして
けしきは遠くかすめる勢多郡龍藏寺の家根をながめてに光り
〈ただ〉うかつうかつと田舍にくらせるぐさし[やぶちゃん注:編者は「ぐらし」の誤記とする。]の寂しさ甲斐なさにうちかこつ に日をくらすをうちかこつ
じづにやくざなる男の身のうへにも
うすくらい顏の男にも
さくらさくとき春の幸福あれと祈る
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さて、この「田舍に住みてゐる男の言葉」草稿と本篇とを比較してみると、極めて酷似することが判る。細部に異同はあるが、それは小学館と筑摩書房双方の判読者の捉え方の違いとしても違和感はないと私は感ずる。されば、本篇と、この最後の草稿は、私は同一と見做すものである。
なお、筑摩版に載るそれは、現在では、研究者によって、大正五年十月頃の作と推定されている。]
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