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2022/01/01

萩原朔太郎詩集「純情小曲集」正規表現版 旅上

 

   旅 上

 

ふらんすへ行きたしと思へども

ふらんすはあまりに遠し

せめては新しき背廣をきて

きままなる旅にいでてみん。

汽車が山道をゆくとき

みづいろの窓によりかかりて

われひとりうれしきことをおもはむ

五月の朝のしののめ

うら若草のもえいづる心まかせに。

 

[やぶちゃん注:私の今年年初第一の電子化注なれば、底本(早稲田大学図書館「古典総合データベース」の初版原本。全画像PDF)はこちらの25コマ目、ノンブル「22」「23」)の当該ページ画像をリンクさせておく。

 本詩篇は恐らく萩原朔太郎の詩集の中でもマイナーな本書のうちで、特異的にその冒頭二行が独り歩きして、洒落たフレーズとして知られているものである。萩原朔太郎の詩句の一節であることも知らずに覚えている人も多いようである。初出は大正二(一九一三)年五月号『朱欒』。但し、無題である。筑摩版全集により以下に示す。

   *

 

 

 

ふらんすへ行きたしと思へども

ふらんすはあまりに遠し

せめては新しき背廣をきて

きまゝなる旅にいでゝみん

汽車が山みちを行くとき

みづいろの窓によりかゝりて

われ一人うれしきことを思はん

五月の朝のしのゝめ

うら若草のもえいづる心まかせに

 

   *

また、筑摩版全集の草稿ノート「習作集第八卷(愛憐詩篇ノート)」(全集解題を読むに、現存するノート二冊(「第八卷」と「第九卷」)は『幾度かの推敲を經て、著者の自身の保存用として淨書したものと思われる』とあり、『各作品はほぼ創作順に配列されている』が、『書寫年代は「習作集第八卷」が大正二年四月から九月までであり、「第九卷」が大正二年九月からほぼ翌年十二月頃までと思われる。淸書ノートであるため、書寫時と創作時はかならずしも一致しない』とあり、『これら「習作集」は第八・第九卷だけが残され、第一卷から第七卷までと』、『第十卷以後んついてはまったく不明である』とあるもので、さらに言っておかないといけないのは、『これら二册のノートは『愛憐ノオト 前後二卷』として渋谷國忠の監修・解說で、昭和三十七年十一月、世界文庫から復刻された』ものであって、以上から「愛憐詩篇ノート」という別題は萩原朔太郎によるものではないことを知っておく必要があるので、今まで簡略的には記したものが古い電子化にはあったが、本年初めということで、改めて注しておく)に「五月」という標題で、草稿が載る。以下に示す。

   *

 

 五月

 

ふらんすへ行きたしと思へども

ふらんすはあまりに遠し

せめては新しき背廣をきて

氣まゝなる旅に出でゝ見ん

汽車が山路(みち)を行くとき

水色の窓に寄りかゝりて

我ひとりうれしきことを思はん

五月の朝のしのゝめ

うら若草のもえいづる心まかせに

              (一九一三、四、)

 

   *

このクレジット時は、萩原朔太郎満二十七であった。]

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