萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 斷片 (無題)(食卓の上の白い皿が) / 筑摩版全集『草稿詩篇「未發表詩篇」』の「未發表詩篇」の決定稿「家」の草稿の後半と同一原稿と推定
○
食卓の上の白い皿が
しぜんに𢌞轉をはじめました
まつ白の肉皿が
食卓のへりを旋轉する
しづかに
物哀しく
なんの音もなく
光る薄手の皿が
食卓のへりをめぐつて居る
さて窓の外では
ちらちら雪のふつて居る光景ですが
それもしづかに
まるで音もなく
淚ぐましい朝餉のあとでは
ひつそりとあなたを待つてゐる
いつも寂しげに待つてゐるのに
夫人よ
雪の山路をはるばるとこえて
夫人よ
今朝のおとづれを待つてゐるあひだ
食卓の
[やぶちゃん注:これは、筑摩版全集の「未發表詩篇」にある「家」という詩篇の、その草稿の一つと一致することが判った。かなり面倒だが、まず、「未發表詩篇」パートにある「家」を示す。「永却」(「永劫」の誤記であろう)・「施囘」はママ。詩篇の後に編者注があり、以下の三項が箇条されてある。
◆
* 「ノート」より。
* 本篇の題名は「家」「空家」とも抹消されていないが、「家」は「○」で圍んであるので決定稿は「家」とした。
* 本稿右下欄に「カルヴアリの丘(キリスト磔刑の丘)」と記されている。
*
永却
時
家
空想家
まつ白の肉皿が、
食卓のへりを施囘するめぐつて居る、
しづかに
物哀しく、
なんの音もなく
光る薄手の皿が
食卓のへりをめぐつて居る
さて窓の外では
ちらちら雪のふつてる光景ですが
それもしづかに
まるで音もなく
くれてゆく一間の隅で
この人氣のな き い屋敷の 庭では 中で
どこかの一廣間にそつとかくれてる居て
白いたましひが祈つて居る樣子です
*
整序すると(題名は並置して残した。「空家」の方が私はいいと思うからである)、
*
家
空家
まつ白の肉皿が、
食卓のへりをめぐつて居る、
しづかに
物哀しく、
なんの音もなく
光る薄手の皿が
食卓のへりをめぐつて居る
さて窓の外では
ちらちら雪のふつてる光景ですが
それもしづかに
まるで音もなく
どこかの廣間にかくれて居て
白いたましひが祈つて居る
*
となる。さて、次に『草稿詩篇「未發表詩篇」』の仮題して『家』『(本原稿三種四枚)』とあるものを、煩を厭わず、総て示す。歴史的仮名遣誤りや誤字は総てママ。□は判読不能字。
*
家別れ
寒い冬の日のある朝のこと
光る銀の鐵砲は
光る白い鴨を擊つために
雪白の薄い 皿が 料理皿が
食卓の上で𢌞轉 する を始めていました
食卓の上の白い皿が
しぜんに𢌞轉を始めました
しづかに
しかも物悲しく
□□□なんの音もなく
┏光る雪白の皿が 薄いあまたの皿が
┗光るまつ白の光る肉皿が
[やぶちゃん注:最後の「┏」及び「┗」は私が附したもので、この二行は並置残存であることを示す。]
食卓の上をへりを𢌞轉しためぐり始めたつて居る光況です
それをばだれ に も知らずしづかにもうら哀しく
さて窓の外にはをながむればちらちら雪がふつて居るますが
この けしき ときの
この 今朝も
なん て といふこのしんに淚ぐましい//心もちで//朝餉のあとで//
[やぶちゃん注:「//」は私が附したもので、「心もちで」と「朝餉のあとで」が並置残存されてあることを示す。]
この日ひつそりとあなたをたづねまてきした
夫人よ
永久のお別れをつげ
お別れを いたし つげに
夢のうちにて
雪 の小路 ふる路をばはるばると
だれも知らぬ 夢の 遠い世界からない山路をこえ
夢にも知らぬ こ その夫人よ
夫人よ
とこしなへの今朝お別れを告げにまゐりましたきました
夫人よ、
さよならとこしなへにさよなら
*「ノート」より。[やぶちゃん注:全集の編者注。]
○
食卓の上の白い皿が
しぜんに𢌞轉をはじめました
――――
光るまつ白の肉皿が
食卓の上でヘリを運轉施轉して居るする
しづかに
物哀しく
なんの音もなく
光る薄手の皿が
食卓のへりをめぐつて居る まする
さて窓の外をでは
ちらちら雪のふつて居る光景ですが
それもしづかに
なんまるで音もなく
この淚ぐましい朝餉のあとではでは
ひつそりとあなたをまつて居るのに
今朝もいつも寂しくげに待つて居るのに
夫人よ
だれも知らない山路をこえ
雪の山路をはるばるとこえて
夫人よ夫人よ
あなた
今朝のおとづれを待つて居るあひだ
食卓の
*この原稿には、以下がない。
*
以上を総て整序すると(編者注は除去)、
*
別れ
冬の日のある朝
食卓の上の白い皿が
しぜんに𢌞轉を始めました
しづかに
物悲しく
なんの音もなく
┏光る雪白のあまたの皿が
┗光るまつ白の肉皿が
食卓のへりをめぐつて居る光況です[やぶちゃん注:「光景」の誤字。]
しづかにもうら哀しく
さて窓の外をながむればちらちら雪がふつて居ますが
このしんに淚ぐましい//心もちで//朝餉のあとで//
ひつそりとあなたをたづねまてきした
だれも知らない山路をこえ
夫人よ
今朝お別れを告げにきました
夫人よ、
とこしなへにさよなら
○
食卓の上の白い皿が
しぜんに𢌞轉をはじめました
――――
まつ白の肉皿が
食卓のヘリを施轉する[やぶちゃん注:「旋轉」の誤字。]
しづかに
物哀しく
なんの音もなく
光る薄手の皿が
食卓のへりをめぐつて居る
さて窓の外では
ちらちら雪のふつて居る光景ですが
それもしづかに
まるで音もなく
淚ぐましい朝餉のあとでは
ひつそりとあなたをまつて居る
いつも寂しげに待つて居るのに
夫人よ
雪の山路をはるばるこえて
夫人よ
今朝のおとづれを待つて居るあひだ
食卓の
*
「いつも寂しげに待つて居るのに」の字下げを除けば、本篇は以上の筑摩版全集の草稿の後の方と相同と言って問題ない。不審な字下げは(こうした仕儀はオノマトペイア以外では通常、萩原朔太郎は採らない形式である)、或いは、前行の「ひつそりとあなたをまつて居る」との多重性が見られることから、或いは「ひつそりとあなたをまつて居る」と「いつも寂しげに待つて居るのに」を候補として並置残存させただけのものである可能性が高いように感じられる。
因みに……この詩篇……私は読みながら……図らずも……芥川龍之介が最後に愛した片山廣子を秘かに呼んだ――「越し人」――という名を想起していた。無論、未発表詩であり、龍之介が、この詩篇を見た可能性は、まず、ない、と言えるのではあるが……。]