萩原朔太郞詩集「蝶を夢む」正規表現版 輝やける手
輝やける手
おくつきの砂より
けちえんの手くびは光る
かがやく白きらうまちずむの死蠟の手
指くされども
らうらんと光り哀しむ。
ああ故鄕にあればいのち靑ざめ
手にも秋くさの香華おとろへ
靑らみ肢體に螢を點じ
ひねもす墓石にいたみ感ず。
みよ おくつきに銀のてぶくろ
かがやき指はひらかれ
石英の腐りたる
われが烈しき感傷に
けちえんの、らうまちずむの手は光る。
[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。最終行の同語には傍点はない。
「らうまちずむ」は自己免疫疾患の一つで機序がよく判っていないリウマチ(rheumatism:英語のカタカナ音写は「リュマティズム」が近い)のこと。関節・骨・筋肉の強張り・腫 れ・痛み・変形などの症状を呈する疾患の総称。古代には「悪い液が身体各部を流れていって起こる」と考えられ、名は「流れる」の意のギリシャ語に由来するほどに古い。現在は主に「慢性関節リウマチ」を指す。「リューマチ」「ロイマチス」とも表記する。
「死蠟」は「屍蠟」(「石竹と靑猫」の私の注を参照)に同じ。筑摩版校訂本文は勝手に「屍蠟」に変えてあるが、誤字でもないものを、こんなことをする権利も正当性も、全く以って、ない。殆んど、差別用語の言葉狩りの狂信的ヒート・アップと同じである。
「らうらん」は「老懶」「老爛」で 年老いて物憂いこと。また、そのさまを言う語。
初出は大正四(一九一五)年一月号『異端』であるが、標題は「墓參」。以下に示す。歴史的仮名遣の誤りや誤字(屍臘)は総てママ。太字は同前(こちらでは最終行の「らうまちずむ」にも振られてある。
*
墓參
おくつきの砂の中より、
けちゑんの手くびは光る、
かゞやく白きらうまちずむの屍臘の手、
指くされども、
らうらんと光り哀しむ。
あゝ、故鄕(ふるさと)にあればいのち靑ざめ、
手にも秋くさの香華(かうげ)おとろへ、
靑らみ肢體に螢を點じ、
ひねもす墓石にいたみ感ず。
みよ、おくつきに銀のてぶくろ、
かゞやき指はひらかれ、
石英の腐りたる、
我れが烈しき感傷に
けちゑんの、らうまちずむの手は光る。
*
なお、筑摩版全集の『草稿詩篇 蝶を夢む』の最後には、『輝やける手(本篇原稿一種二枚)』としつつも、掲げずに、『本篇原稿の題名は「墓參」とある』とのみ記す。]
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