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2021/12/07

「南方隨筆」版 南方熊楠「牛王の名義と烏の俗信」 オリジナル注附 「二」の(1)

 

         

 人間は勝手極まる者で、烏が定刻に鳴いて晨[やぶちゃん注:「あした」。朝。]を告げると、露宿する者は寒夜の過ぐるを欣び流連[やぶちゃん注:「りうれん」でもよいが、「ゐつづけ」とも当て訓する。遊興に耽って家に帰るのを忘れることを言う。]する者は飽かぬ別れの近づくを哀しむ。「柹食ひにくるは烏の道理かな」で、實は烏の知つた事で無い。謝在杭の言に、鴉鳴俗云主有凶事、故女子小人聞其聲必唾之、卽縉紳中亦有忌之者矣、夫使人預知有凶、而愼言謹動、思患預防、不亦吾之忠臣哉。時鳥なども、初音を厠で聞けば禍有り、芋畑で聞けば福有り。故に其鳴く頃高貴の厠には芋の鉢植を入れて置くと夏山雜談に出る由(嬉遊笑覽八に引く、予の藏本には此事見えず)。グリムの獨逸鬼神誌(一八四四年ギヨツチンゲン板、六三七頁)に、最初烏は後世程惡鳥と謂れなんだと有ると同時に、氏の獨逸童話に、水汲みに出て歸り遲い子供を、其父が烏に成れと詛ふと忽ち皆烏に成つた譚有るを見ると、歐州でもいと古くより烏を機會(をり)と相場(さうば)に依つて、或は吉祥或は凶鳥としたらしい。エンサイクロペヂア・ブリタンニカ十一板廿二卷に、鴉は鳥類中最も高く發育した者で、膽勇明敏智慧三つながら他鳥に傑出すと有る。

[やぶちゃん注:「柹食ひにくるは烏の道理かな」ブログ「日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~」のこちらによれば、不確定ながら、日本人の僧として初めて「禅」を「ZEN」として欧米に伝えた禅師としてよく知られる円覚寺管長の釈宗演(安政六(一八六〇)年~大正八(一九一九)年)の句とする。

「謝在杭の言に……」明朝の文人・官人であった謝肇淛(ちょうせい 一五六七年~一六二四年)の字(あざな)。歴史考証を含む随筆「五雑組」全十六巻の作者として知られ、他に「文海披沙」・「文海披沙摘録」等を著している。以下の引用は、その「五雑組」の巻七にある。「中國哲學書電子化計劃」のこちらで影印本の当該箇所が視認出来る。以下、訓読しておく。

   *

 鴉(からす)鳴くを、俗に「凶事有るを主(つかさど)る」と云ふ。故に女子・小人は、其の聲を聞けば、必ず、之れに唾す。卽ち、縉紳の中にも、亦、之れを忌む者有り。夫れ、人をして、預(あらか)じめ、凶あるを知りて、言を愼しみ、動を謹(いま)しめ、患(わざはひ)を思ひて、預じめ、防がしむれば、亦、吾れの忠臣ならずや。

   *

なお、私の寺島良安の「和漢三才圖會第四十三 林禽類 慈烏(からす) (ハシボソガラス)」でも、この一部が引かれてあるので、参照されたい。

「夏山雜談」(なつやまざうだん)は幕臣で国学者の小野高尚(たかひさ 寛政一一(一八〇〇)年~享保五(一七二〇)年)の随筆。幸いにして、国立国会図書館デジタルコレクションの写本があり、偶然に開いた場所に当該部があった。ここの左丁の四~五行目である。

「嬉遊笑覽」国学者喜多村信節(のぶよ 天明三(一七八三)年~安政三(一八五六)年)の代表作。諸書から江戸の風俗習慣や歌舞音曲などを中心に社会全般の記事を集めて二十八項目に分類叙述した十二巻付録一巻からなる随筆で、文政一三(一八三〇)年の成立。思うに、熊楠は同巻の冒頭の「卷八」の「忌避」のパートのみを探したものと思われる(実は私も先ほどはそこばかり見ていた)。実はその後の「方術」のパートにあった(所持する岩波文庫版で確認)。国立国会図書館デジタルコレクションの「嬉遊笑覧 下」(成光館出版部昭和七(一九三二)年刊行)のここから次のページかけて編者による頭書き「厠にて郭公を聞く」とする中にあり、当該部は次のページの二~三行目である。

「グリムの獨逸鬼神誌」不詳。発行年と出版地からは「Deutsche Mythologie」(「ドイツ伝説集」)か?

「氏の獨逸童話に、水汲みに出て歸り遲い子供を、其父が烏に成れと詛ふと忽ち皆烏に成つた譚」『「南方隨筆」版 南方熊楠「詛言に就て」 オリジナル注附 (8)』で注したが、再掲しておく。「七羽のカラス」である。多言語の対訳が載る「グリム童話」の卓抜なサイト「grimmstories.com」のこちらで読める。]

 爰にいふ鴉は英語でラヴエン吾邦で從來「はしぶとがらす」に宛てゝ居る。實は「わたりがらす」、學名コルヴス、コラクスがラヴヱンに正當する。「わたりがらす」は北亞細亞(吾が千島にも有り)と全歐州、西半球では北氷洋[やぶちゃん注:底本では「北米洋」であるが、同種の分布範囲から選集の「北氷洋」を採った。]よりガテマラ國まで棲み、烏屬中尤も分布廣い物だ。又此篇に烏と書くは英語でクロウ本邦で普通に「はしぼそがらす」に宛てゝ居る。英國でもクロウと呼だは成る程「はしぼそ」だが、今日は正名ルク、學名コルヴス、フルギレグスたるべき者(吾國の「みやまがらす」に近い)をクロウと云ひ居る。本草綱目に烏鴉を四種に分つ。O.F.von Mollendorff, “The Vertebrata of the Province of Chihli with Notes on Chinese Zoological Nomenclature,” in The Journal of the North China Branch of the Royal Asiatic Society, New Series XI, Shanghai, 1877, pp. 88-89 に、その四種を釋して、紅嘴鴉又山烏又鷁(げき)とは英語で chough 是は嘴細長くて鉤(まが)り脚と嘴が紅い。英語で紅脚烏(レツド・レグド・クロウ)ともいふ。學名ピロコラクス、グラクルス、次の燕烏又鬼雀は學名コルヴス、トルクワツス、此二種は日本に無いらしい。次に慈烏又慈鴉又寒鴉又孝烏は英名ブラツク・ジヤクドー、學名コルヴス、ネグレクツスだろと有る。故小川氏の日本鳥類目錄に大阪長崎產と有るが、和名を擧げぬを見ると日本に少ない者歟。次に鴉烏又烏鴉又大嘴鴉は「はしぼそ」とルクと「わたりがらす」を併稱するらしいと云ふ。扨本草には見えぬが、カルガ地方で老鴰(ラヲクワ)と呼ぶのが日本の「はしぶとがらす」と同物らしい。廣韻に、鴉は烏の別名、格物論に烏は鴉の別名にて、種類又繁、有小而多羣、腹下白者、爲鴉鳥、有小嘴而白、比他鳥微小長、而反哺其母者、爲慈烏、大喙及白頸、而不能反哺者、南人謂之鬼雀、又謂之老鴉、鳴則有凶咎。是とモレンドルフの釋と合せ攷ふるに、支那で專ら其鳴くを忌む烏は日本に無い燕烏で、反哺の孝で名高い慈烏は、大阪長崎等に有るも今に日本名も付かぬ程尋常見られぬ者、從つて自分の孝行は口ばかりで、偶々四十九歲迄飮み續けて孝を勵む吾輩を見るも徒らに嘲笑する者世間皆然りだ。其から鴉烏又烏鴉は大嘴とも云はるゝから、訓蒙圖彙や倭漢三才圖會や須川氏譯の具氏博物學等に烏を「はしぼそ」、鴉[やぶちゃん注:底本は「烏」だが、選集で訂した。]を「はしぶと」とし居るが、其實支那の鴉烏又烏鴉は、主として本邦の「はしぼそ」に當る。本邦の「はしぶと」は支那の大嘴鴉乃ち「はしぼそ」より一層嘴が太い。比較上附られた名で、學名を、ボナパルト親王がコルヴス、ヤポネンシスと附けたは日本に專ら固有ながら、又ワグレルがコルヴス、マクロリンクスと附けたは「はしぶと」を其儘直譯したのだろ。斯く本家本元の支那で烏と鴉を通用したり、烏鴉とか寒鴉とか老鴉とか種別も多きに、普通の書史には一々何種の烏と判つて書かず、本邦にも地方により「はしぶと」多く又「はしぼそ」が多い。此二つの外に、烏の一類で日本で「からす」と名の附く鳥が、小川氏の目錄を一瞥しても十一種有る。本草啓蒙に熊野烏は一名那智烏、大さ白頭鳥(ひよどり)の如く全身黑く頂毛立つて白頭鳥の如しと有るから、牛王に印した烏は「はしぼそ」でも「はしぶと」でも無い特種と見える。一八五一年板モニヤー、ウヰリアムスの英梵字典に、クロウの梵名三十ばかり、ラヴヱンのを十三出せるが、是又支那同樣多種に涉つた名で混雜も少なからじと察する。印度の家邊に多き烏(クロウ)は學名コルヴス、スプレンデンス、是は其羽が特に光るからで、經律異相二十一に引いた野狐經に、野狐が烏を讃めて、唯尊在樹上、智慧最第一、明照十方、如積紫磨金と有るも過譽[やぶちゃん注:「ほめすぎ」。]で無い。水牛と仲善い烏の事は、上に述べた。鴉(ラヴヱン)に相當する印度種は、先づ「わたりがらす」の多少變つた者らしい。其から濠州や阿非利加南北亞米利加の烏や烏と通稱さるゝ物は、又それぞれ異つて居る。一口に烏又鴉、クロウ又ラヴヱンと云ふ物の實際斯く込入つて居る所へ、佛經を漢譯する輩はクロウ(梵名カーカ)ラヴヱン(梵名カーカーラ)の區別もせず、烏鴉通用で遣つて除けたらしく、飜譯名義集などに烏鴉の梵名の沙汰一向見えぬ。こんな次第だから、本篇には本邦のはしぼそは素より支那の本文の譯經の烏又英文でクロウ及びルクと有るからすを一切烏と書き本邦のはしぼそと支那の本文や譯經の鴉又英文でラヴヱンと有るからすを凡て鴉と書いて置く。動物學上の議論で無く、要は口碑や風俗に關する語を書くのだから、たゞ烏(クロウ)と鴉(ラヴヱン)が別物とさへ判れば足るんぢや。

[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。また、複数の「ラヴヱン」は実は出てくるつど、かなり表記が異なっているのだが(「ン」が「」だったり、「ヱ」が「エ」だったりとグチャグチャである)総て「ラヴヱン」で統一にした(因みに選集では総て『ラヴェン』である)。

『爰にいふ鴉は英語でラヴエンわが邦で從來「はしぶとがらす」に宛てゝ居る。實は「わたりがらす」、學名コルヴス、コラクスがラヴヱンに正當する。「わたりがらす」は北亞細亞(吾が千島にも有り)』「raven」(音写すると「レェイヴェン」が近い)は熊楠の言うように、鳥綱スズメ目カラス科カラス属ワタリガラス Corvus corax でを指し、現在の千島を失っている状態では、本邦には分布しない種である。以下の分布域は当該ウィキにある世界の分布地図を参照されたい。

「ガテマラ國」メキシコの南にある中米の現在のグアテマラ共和国(スペイン語:República de Guatemala)のこと。

『此篇に烏と書くは英語でクロウ本邦で普通に「はしぼそがらす」に宛てゝ居る』「crow」はカラスの総称。英和辞書によれば、大型のものは「raven」、中型を「crow」、小型を 「jackdaw」或いは「rook」と一般に呼んでいるとする。さて、日本で「カラス」といえば、通常は「carrion crow」=ハシボソガラスを指すが、実はスズメ目カラス科カラス属ハシボソガラス Corvus corone(嘴細烏。ユーラシア大陸の東部と西部のみに分布)もハシブトガラススズメ目カラス科カラス属ハシブトガラス Corvus macrorhynchos(嘴太烏。本邦で単に「カラス」と言ったユーラシア大陸東部のみに分布)もアジアにしか棲息せず、イギリスやアメリカには棲息していない。博物誌は私の和漢三才圖會第四十三 林禽類 慈烏(からす) (ハシボソガラス)、及び、「和漢三才圖會第四十三 林禽類 大觜烏(はしぶと) (ハシブトガラス)」を参照されたい。

『英國でもクロウと呼だは成る程「はしぼそ」だが、今日は正名ルク、學名コルヴス、フルギレグスたるべき者(吾國の「みやまがらす」に近い)をクロウと云ひ居る』ある英語辞書では確かにイギリスではイギリスの棲息しないハシボソガラスを「crow」と呼ぶともあったが、現行では、英語「rook」は、熊楠は近縁種みたようなことを言っているが、本邦にも分布する、ずばり、カラス属ミヤマガラス Corvus frugilegus を指す。「和漢三才圖會第四十三 林禽類 山烏(やまがらす) (ミヤマガラス)」も参照されたい。

「本草綱目に烏鴉を四種に分つ」幸い寺島が和漢三才圖會第四十三 林禽類 慈烏(からす) (ハシボソガラス)で引いているので、和訳しておくと、

①「慈烏」(じう)。小型で純黒。嘴が小さく、反哺(はんぽ:伝説で、成体になると、自分にして呉れたように親に給餌するをことを言う)する。

②「鴉烏」(あう)。「慈烏」に似るが、大きく、觜や腹下が白い。反哺をしない。

③「燕烏」(えんう)。「鴉烏」に似て、大きく、項(うなじ)が白い。

④「山烏」(さんう)。「鴉烏」に似て、小さく、嘴が赤い。穴居する。

となる。中国という条件と後の熊楠の解説から、これは、

①「慈烏」=カラス属コクマルガラス Corvus dauuricus(種小名はダウーリア地方(ダウール族の根拠地とされる。バイカル湖の東に相当する)に由来し、朝鮮半島・中国・台湾・日本・モンゴル人民共和国・ロシア東部に分布する。本邦には越冬のため、本州西部、特に九州に飛来する冬鳥で、稀に北海道・本州東部・四国にも飛来することがある。全長三十三センチメートルで、本邦に飛来するカラス属では最小種である。全身は黒い羽毛で覆われ、側頭部に灰色の羽毛が混じる。頸部から腹部の羽毛が白い淡色型と、全身の羽毛が黒い黒色型がいる。嘴は細く短い。)

②「鴉烏」=ハシボソガラス・ハシブトガラス・カラス属ワタリガラス Corvus corax(ユーラシア大陸全域・北米大陸に分布する。本邦では北海道に於いて冬の渡り鳥として、例年。観察される。ハシブトガラスよりも一回り大きく、全長六十センチメートル。)

③「燕烏」=カラス属クビワガラスCorvus torquatus (英名も文字通り「Collared crow」である。中国・台湾に分布(本邦には棲息しない)。英文の当該種のウィキの写真を見られたい)

④「山烏」=カラス科ベニハシガラス属ベニハシガラスPica pyrrhocorax(中国東北部ではやや標高の低い草原に群れで見られる。本邦には棲息しない。全身の羽衣は光沢のある黒色で、嘴が赤く、細長く、しかも下方に湾曲して先が尖る。足も赤色である。)

に比定してよいと私は思う。

「O.F.von Mollendorff」ドイツの動物学者(専門は有肺類(カタツムリ類))オットー・フランツ・フォン・メレンドルフ(Otto Franz von Möllendorff 一八四八年~一九〇三年)。

 「The Vertebrata of the Province of Chihli with Notes on Chinese Zoological Nomenclature」「河北省の脊椎動物と中国の『動物命名規約』に関する注記」。当該資料をネット上に見出すことは出来なかった。

「紅嘴鴉又山烏鷁(げき)とは英語で chough」ベニハシガラス。英語では事実、単に「chough」(チャフ)或いは「Red-billed Chough」(「赤い嘴を持ったチャフ」)と呼ぶ。因みに、学名の「pyrrhocorax 」(ピュロコラックス)もギリシア語で「炎色のカラス」の意である。「學名ピロコラクス、グラクルス」とあるが、これはリンネが最初に同種に命名したシノニムであるCorvus graculus L. を指す(英文学術論文で確認済み)。但し、この熊楠の言う通りのそれ、Pyrrhocorax graculusは、調べたところ、現在、同じベニハシガラス属の別種キバシガラス(黄嘴烏)Pyrrhocorax graculus L.  に与えられてしまっているので、混乱を生ずるので、まずい。

「燕烏又鬼雀は學名コルヴス、トルクワツス」先に示したクビワガラス。

「慈烏又慈鴉又寒鴉又孝烏は英名ブラツク・ジヤクドー、學名コルヴス、ネグレクツス」これが困った。まず、英語の「black jackdaw」では種同定が出来ない。ただ、「jackdaw」は通常はカラス属コクマルガラス Corvus dauuricus を指す。先に注した通り、同種には全身が黒い黒色型がいるので、それを指すと考えればいいのだが、この「コルヴス、ネグレクツス」というのが、見当たらない。コクマルガラスのシノニムであれば、それで終わるのだが、いっかな見当たらない。一つ気になったのは、この「ネグレクツス」という種小名で、これは真っ黒な「jackdaw」で、「negro」由来なではないか? という疑問であった。もし、だとすれば、これには差別的なニュアンスが感じられる。しかし、如何に差別的であっても、命名規約上、それらは資料として必ず残さねばならないから、見つからないのは、そもそもが、おかしいのだ。差別学名だから、抹消してなかったことにするわけには行かないのである。絶対的「言葉狩り」が生物の種同定を混乱させることがあってはならないのである。そうしたことが差別撤廃の普遍的な正当性だなどと主張するなら、バカガイ(「馬鹿」とは違うという語源説など問題にならぬ。「馬鹿」を連想させる以上、それは差別語となる)や「~モドキ」という当該生物の冤罪的偽物扱いの和名群も、これ、ごっそり、総て、変えねば、おかしいだろがッツ!?!

「故小川氏の日本鳥類目錄」鳥類学者小川三紀(みのり 明治九(一八七六)年~明治四一(一九〇八)年:静岡市生まれ。旧制中学四年で処女論文を発表し、一高・東京帝大医科大在学以降、飯島魁(いさお:動物学者。特に鳥類・魚類や海綿・寄生虫に関する研究で知られ、黎明期の本邦の動物学の近代化に大きな役割を果たした)東京帝大教授を助けて、剥製標本や鳥卵標本を集め、日本鳥類学の礎を築いた。奄美・琉球産鳥類の研究で知られるほか、五百二種を記載した主著「日本産鳥類目録」(明治四一(一九〇八)年刊)は鳥類研究者の座右の書となった。精力的で発想の豊かな人物であったが、京都帝大福岡医科大(現在の九大医学部の前身)在職中に数え三十四の若さで病没した。その名はリ(スズメ目スズメ亜目ヒタキ科 Luscinia (ルスキニア)属オガワコマドリ Luscinia svecica の和名に残っている。

「カルガ地方」(Калуга/ラテン文字転写:Kaluga)は現在のロシア連邦西部のカルーガ州。モスクワの南西約百九十キロメートル、オカ川沿いに位置し、モスクワとウクライナのキエフを結ぶ鉄道や高速道路が通る。十四世紀半ばにモスクワ大公国の時代に要塞が築かれたのを始まりとする。旧ソ連時代は軍需産業、ソ連崩壊後は自動車工業が盛ん。ロケット工学の先駆者ツィオルコフスキー所縁の地として知られ、彼の業績を称えた博物館がある。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「老鴰(ラヲクワ)」(lǎoguā)中国の北方方言で「カラス」のこと。熊楠は『「はしぶとがらす」と同物らしい』とするが、多分、違う。ワタリガラスのことと思われる。にしても、東欧に近いロシアの鳥を示すのに、これはないだろうと思うんだがねぇ?……

「廣韻」(くわうゐん(こういん))は韻書「大宋重修広韻」。北宋の陳彭年や丘雍 (きゅうよう) などによる奉勅撰。一〇〇八年に完成した。「切韻」「唐韻」の音系と反切を継承し、平声(上・下)・上声・去声・入声の全五巻から成り、二万六千百九十四字を収め、平・上・去・入の二百六韻に分けてある。古代の字音を知る上で、極めて重要な資料とされる。

「格物論」不詳だが、調べたところ、熊楠の引用する文字列と合致するものが、清の陳元龍が一七三五年刊行した博物学書「格致鏡原」にあることが判った。「漢籍リポジトリ」の「欽定四庫全書」の「格致鏡原卷七十九」の「鳥類三」の「079-2b」の四行目を見られたい。熊楠はここを「格物總論烏鴉别名種𩔖亦繁……」から、頭をちょっと訳して引いたのであろう(表字の一部が異なるが、意味は変わらない)。あたかも熊楠自身が「格物總論」という原書を読んだかのようにしているのは鼻白む。そこを暴いて、訓読しておく。

   *

「格物總論」に、『「烏(う)」は「鴉(あ)」の別名なり。烏、種類、又、繁(おほ)し。小(しやう)にして、多く羣がり、腹下の白き者、有り、「鴉鳥(あてう)」と爲(な)す。小さき嘴にして白く、他鳥に比し、微(かす)かに小(すこ)し長くして、其の母に反哺する者、有り、「慈烏」と爲す。大きなる喙(くちばし)及び白き頸にして、反哺する能はざる者は、南人、之れを「鬼雀」と謂ひ、又、之れを「老鴉」と謂ふ。鳴けば、則ち、凶咎(きようきう(現代仮名遣:きょうきゅう))あり。』と。

   *

「訓蒙圖彙」(きんもうずい:現代仮名遣)は儒者・本草学者中村惕斎(てきさい:京の呉服屋に生まれた町人であったが、当代の知られた思想家伊藤仁斎と並び称された碩学であった)によって寛文六(一六六六)年に著された図入りの類書(百科事典)。全二十巻。

「須川氏譯の具氏」(ぐし)「博物學」アメリカ人編集者で作家(児童文学を主とした)でもあったサミュエル・グリスウォルド・グッドリッチ(Samuel Griswold Goodrich 一七九三年〜一八六〇年)が一八七三年に出版した「A pictorial Natural History」(「図説博物学」)を、明治八(一八七五)年に、須川賢久の訳、田中芳男の校閲で翻訳され、翌年に刊行、明治十年代の小学生の博物教科書として大いに使用されたそれを指す。本書は博物学の説明を中心に、宇宙や物理に関する記述も含まれている。早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらで訳本全十巻を視認することが出来る。

私は――六十四にもなった私は――一見して魅了された。小学生時代に、「微生物を追う人々」に魅了された如くに……。明治初期の日本では、今日のような教科書は未だ存在せず、欧米で刊行された書籍を翻訳・翻案して教科書としていた。「具氏博物学」は、こうした明治初期に使われた翻訳教科書の一つである。

「ボナパルト親王がコルヴス、ヤポネンシスと附けた」ハシブトガラス亜種ハシブトガラスに、Corvus macrorhynchos japonensis Bonaparte, 1850 がある。

「ワグレルがコルヴス、マクロリンクスと附けた」Corvus macrorhynchos Wagler, 1827。ハシブトガラスのタイプ種。

『「本草啓蒙」に熊野烏は一名那智烏、大さ白頭鳥(ひよどり)の如く全身黑く頂毛立つて白頭鳥の如しと有る』小野蘭山述「重訂本草綱目啓蒙」の「慈烏」のここの右丁十行目に出る(立項標題は前丁である)。

「一八五一年板モニヤー、ウヰリアムスの英梵字典」イギリスの東洋学者・インドでオックスフォード大学の第二代サンスクリット教授であったモニエル・モニエル=ウィリアムズ(Monier Monier-Williams 一八一九年~一八九九年)のサンスクリット辞典は現在も広く使われている。

「印度の家邊に多き烏(クロウ)は學名コルヴス、スプレンデンス」カラス属イエガラスCorvus splendens 。インド及び中国南東部が本来の分布域。本邦にはいない。

「經律異相二十一に引いた野狐經」「大蔵経テキストデータベース」のこちらの「T2121_.53.0114b28」を参照されたい。当該部である。訓読する。

   *

 唯(ひと)り尊(たつと)くして 樹上に在り

 智慧 最も第一にして 明らかに十方を照らし

 紫磨金(しまごん)を 積むがごとし

   *

「紫磨金」「ごん」は「金」の呉音。紫色を帯びた純粋の黄金。最上質の黄金を指す語。

「飜譯名義集」(ほんやくみやうぎしふ)は南宋で一一四三年に成立した梵漢辞典。七巻或いは二十巻。法雲編。漢訳仏典の重要梵語二千余を六十四目に分類し、各語について、訳語・出典を記したもの。]

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