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2021/12/26

萩原朔太郞詩集「蝶を夢む」正規表現版 波止場の烟

 

   波止場の烟

 

野鼠は畠にかくれ

矢車草は散り散りになつてしまつた

歌も 酒も 戀も 月も もはやこの季節のものでない

わたしは老いさらばつた鴉のやうに

よぼよぼとして遠國の旅に出かけて行かう

さうして乞食どものうろうろする

どこかの遠い港の波止場で

海草の焚けてる空のけむりでも眺めてゐやう

ああ まぼろしの乙女もなく

しをれた花束のやうな運命になつてしまつた

砂地にまみれ

礫利食(じやりくひ)がにのやうにひくい音(ね)で泣いて居やう。

 

[やぶちゃん注:「眺めてゐやう」「居やう」はママ。

「礫利食(じやりくひ)がに」種同定不能。「砂利喰蟹」の音からは、ジャリガニで、十脚(エビ)目ザリガニ下目アメリカザリガニ科アメリカザリガニ属アメリカザリガニ亜属アメリカザリガニ Procambarus(Scapulicambarus) clarkii を想起される方が多いであろうが、それはあり得ない。何故なら、アメリカザリガニは昭和二(一九二七)年五月十二日に、やはり外来種で食用目的での大正七(一九一八)年に移入されたウシガエル(ナミガエル亜目アカガエル科アカガエル亜科アカガエル属ウシガエル Rana catesbeiana )の餌として移入されたものだからである。則ち、本詩集が刊行された大正一二(一九二三)年にはアメリカザリガニはいないからである(ウシガエル移入問題とウシガエル及びアメリカザリガニが本邦に蔓延してしてしまった理由については、『小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十六章 日本の庭 (九)』の私の『「此處ではそれをヒキガヘルと呼んで居るけれども、自分は蝦蟇だと思ふ。『ヒキガヘル』といふ語は、普通蝦蟇(ブル・フロツグ)に與へて居る名である」「ヒキガヘル」「蝦蟇」「蝦蟇(ブル・フロツグ)」』の注を読まれたい。因みに、その元凶の発生源は、私の住む鎌倉であり、私が教員時代、数年下宿していた岩瀬なのである)。本邦には在来固有種で、ザリガニ下目ザリガニ上科アジアザリガニ科 アジアザリガニ属ニホンザリガニ Cambaroides japonicus がいるが、「砂地にまみれ」という表現は同種らしくなく、私は比定し得ない。寧ろ、これは河口付近の汚らしく見える砂地や泥地に棲息している(恰も砂利を食っているようにしか見えない、砂泥に「まみれた」複数種のみすぼらしい蟹類(恐らくは小型の蟹)を漠然と指しているものと思われる。

 初出は大正一二(一九二三)年五月号『婦人公論』。初出の標題はただの「烟」である。以下に示す。歴史的仮名遣の誤りは総てママである。総ルビであるが、一部に留めた。

   *

 

 

 

野鼠は畠(はたけ)にかくれ

矢車草はちりぢりになつてしまつた

歌も、酒も、戀も、月も、もはやこの季節のものでない

わたしは老いさらばつた鴉のやうに

よぼよぼとして遠國(ゑんごく)の旅に出かけて行かう

さうして乞食どものうろうろする

どこかの遠い港の波止場で

海草の焚(や)けてる空のけむりでも眺めてゐやう。

ああまぼろしの乙女もなく

しほれた花束のやうな運命になつてしまつた

砂地にまみれ

礫利食(じやりく)ひ蟹(がに)のやうにひくい音(ね)で泣いてゐやう。

 

   *

 なお、本篇を以って詩集「蝶を夢む」の「詩集前篇」は終わっている。]

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